奥よりのテーブルに着いたカップルにサーヴしてきた新人が戻ってきた。
顔が赤い。
「どうしたの」
チーフである私は気になって尋ねた。
忙しい時間帯だが、上司として聞かないわけにはいかなかった。明らかに動揺している。
新人のフロア係。私はフロア主任だけでなく、彼女の教育係も兼ねていた。
「あ、いえ……なんでも」
口ごもって目を逸らす。
私は厨房から仕上がってくる料理をトレイに据える手を止めずに、
「ほんと? なんでもないって顔じゃないでしょ」と言葉を重ねた。
「……実は、」
逡巡したあげく、私の追及からは逃れられないと悟ったのか、新人は口を開いた。
女性客のほうは、あきらかにぽおっとしていた。心ここにあらずというか、夢から醒め切らないふわっとした雰囲気を纏って店にやってきた。
30代の半ばぐらいか、美しい、非常に人目を惹く容姿の持ち主だった。白い肌と美しいブロンド。モデルか女優かという品のあるたたずまいが印象的。
そして、彼女を連れた黒髪の男性客も、普通ではなかった。がっしりとした筋肉質な身体を無造作に白いシャツに包み、デニムにブーツと言うラフな格好だったが、ホテルのラウンジには不似合いかと思いきや、堂々とした振る舞いのせいか悪目立ちはしなかった。
総合格闘家か警察、もしくは軍の関係者かなと思った。身体を使う職種の気配がした。
こちらへどうぞと奥手の席に案内しながら、私はさり気なく二人の左手をチェックした。お揃いの結婚指輪が嵌めてある。ご夫婦だ。--すごい、お似合い。
水をグラスに注いでいる間に、
「朝食、セットでいいか」
メニューも見ずに、座るなり男性のほうが声をかけた。
「……あんま、食べられないかも。お腹っていうか、胸がいっぱい」
ソファに深く背を凭せ掛けながら女性が言った。
かすかに吐息交じりの甘い声で。
男の人のほうが、かすかに口元を引き上げた。笑ったのだと数秒遅れで気づく。
見とれてしまったから。
「眠ってないもんな、昨日はろくに」
「誰のせいだと思ってるのよ……」
メニューを引き寄せ、開く。でも読むふり。目を通す振りなのはすぐに分かった。
口調がちょっとだけ拗ねている。ぷんと。か、可愛い……。私より10歳以上は年上だろうに、何この可愛さ。異次元かよと思う。
私は女性のグラスに注ぎ終わってから、男性客のグラスを満たす。
すると、
「声、掠れてるな。風邪か?」
訊かれた女性が少し咳払いして喉元を押さえた。
「……冷房かしら。いがらっぽい」
「どれ」
無造作に、でも優しくテーブル越しに男性が女性のおでこに手を伸ばす。
指先で前髪を掻いて、手のひらを押し当て熱をはかった。
どき。
しばし、その態勢のままじっと男性は何かを考える風でいた。そして、ウンと顎を引いて
「平熱だな、大丈夫だ」
手を離す。
「……ま、さんざん鳴いたからな。一晩中。声も嗄れるさ」
さっきまで女性に触れていた手で頬杖を突いた。悪戯っぽい表情で正面に座る彼女を掬い見る。
女性客は真っ赤になった。
「誰のせいだと思ってるのよ」
両手を膝の上で握り合わせて、何かを憚るみたいに左右を窺った。
「さあ誰のせいでしょう」
そらっとぼけて男性は私を見た。
メニューは結局使わずに「モーニングセットをふたつ」と片目をつむって注文した。
「あー、それは……」
当てられたわね、完璧。夫婦のらぶらぶなやりとりに。
ここはホテル付きのラウンジなので、宿泊客が朝食を採るため訪れることが多い。つまり、家族連れだけでなくカップルが逢瀬の後に足を向けることも多い。
熱い夜を過ごした二人が。
新人は言った。
「めっちゃ、セクシーだったんです! 男の人のほう、なんかもう、色気駄々洩れっていうか、大人の魅力満載っていうか。もうもう、今思い出しても汗が出ます」
「……それはよかった、ね?」
「女の人も、既婚者には見えないっていうか、すっごく可愛くて。きれいなんだけど、その男の人と居るととってもチャーミングで、も~すてきすてき」
もだもだしている。
私は冷静に考えをまとめようとした。でもまとまらず、
「つまり、何なの?」
と言うしかなかった。
新人は力こぶを握りしめて力説した。食い気味に顔を近づけて、
「つまり、とってもお似合いの二人でめっちゃ眼福です! しかもエロいです。昨夜、旦那さんに抱きつぶされたみたいです、奥さんの方。めろめろです。すごくすっごく、やらしいですあの二人~」
と答えた。
私は言った。
新人教育ってほんと難しい。疼くこめかみを指先で押さえながら、
「ーーお願い、ちゃんと仕事して。ね?」
END
母の日の作品からの連作の終わりです。
すごいコメントに、爆笑してしまいました。いろいろとずるく描いてみました。純情夫婦。
ベッドでは、相手にマーキングをするタイプと見ています。しかし、ジョウが女性経験、生涯姫のみって、どうしても思えない不遜なファンでもあるんです。…私
J君の女性遍歴問題は長年の研究テーマでして(とはいえデータが皆無な為単なる妄想です)、私も姫だけってことは無いよね、と根拠なく思ってるのでした。たまにぽっと脳内の引き出しから取り出しては考察するんですが具体的にいつ何処で誰と…?とか考え出すと最適解が見つからずそのままそっと引き出しに戻して塩漬けにするような…。姫の目を盗んで…とか無理だよねえと思ったり。荒くれ者の船乗り人生だしリッキー位の年の頃に呑む打つ買うは一通り済ませて、なんだこんなもんか、とか思ってたのかなあーというのが現在の仮説ですが納得はしてません。。。
こんな阿呆な妄想で何十年も楽しませてくれるCJ、最高です。