背中合わせの二人

有川浩氏作【図書館戦争】手塚×柴崎メインの二次創作ブログ 最近はCJの二次がメイン

君の弱さ(後編)

2021年08月23日 11時38分31秒 | CJ二次創作
前編

なんとか身体を拭いて着替え終えた俺は、アルフィンを探した。
リビングに行っても居ないので、私室に向かうと、インターフォンに応答があった。
「はい」
「俺だ」
「……」
気まずい。やっぱり。
「ええと、俺が謝るのはなんか違うと思うけど、いちおう謝っておく。……さっきはすみません」
あれは単なる不幸なアクシデントだった。でもアルフィンにとって、見たくないものを晒したかもしれない。そこのところは、ちゃんと謝らないと。
少しだけ躊躇う気配がして、その後、ドアが開く音がした。
俺の前にアルフィンが立っているのが分かる。
「ぜ、ぜんぜん大丈夫。何も見てないからジョウが謝る事なんてないわ」
アルフィンは嘘が下手だ。でも追及はしない。お互いのため。
「探してたんでしょ。リビングに戻ろう。髪を乾かして、包帯を巻かないとね」
そう言って俺の手を握ってくる。そっと。
仲直りを許された俺はほっとして、「俺の部屋でやってもらってもいいか」と尋ねた。
「勿論、いいわよ」
アルフィンに促されて、俺は自分の部屋へと向かった。


お風呂場で、脱衣所でばったりなんて、心臓が口から飛び出るかと思った。
ピザンから来て男所帯で暮らすようになって、一番気をつけていたのに。
とうとうやってしまったわ。あたしは臍を嚙んだ。悔やんでも悔やみきれない。――お風呂上がりのジョウと脱衣所でかち合うなんて。
リッキーにタオルを取ってくるように伝えたんだけど、ほしかったサイズと違ってて、あたしが行くわと脱衣所に向かった。
ジョウがシャワーを浴びてるのは分かっていた。でもすぐにそこから出るつもりだったので、声も掛けずにいた。
……で、出くわしちゃったわけ。
「ごめんね。やっぱり一言声をかけるべきだったわ。あたしのほうこそ」
髪を乾かしてあげながら、ジョウに言う。でも、ドライヤーの音で聞こえないみたいで返事はない。
まあいいか。これ以上蒸し返さなくても。深掘りすると、その……いろいろ、思い出しちゃう。
なんだか頬が火照る。さっき出くわしたジョウの鍛え上げられた裸体を、慌てて頭から追いやった。
スイッチを切って、ドライヤーを手早く片付ける。
ジョウはベッドに腰を下ろして、リラックスしている。こんな風に誰かに髪を乾かしてもらうの、好きみたいだ。
あたしは包帯を巻こうとして、思い直した。ジョウの目にそっと触れた。傷はふさがっている。
ジョウの両のまぶたがぴく、と動く。眉間にしわが刻まれる。
「痛い?」
反射的に指先を引く。ジョウは、いや、とかぶりを振った。
「少し驚いただけだ。何ともない」
「……いま思い出したんだけど。あたしが子供の頃、けがをしたときに、お母様がよくしてくれたおまじないがあるの。ジョウの傷にやってみてもいい?」
そう訊くと、「おまじないか」とかすかに笑みを見せた。
超現実主義者のジョウにとっては子供だましみたいなものかもしれない。女こどもの遊びとまでは言わないだろうけど。
でも、何も笑うことないじゃない。
あたしはふくれた。
「ばかにしてるでしょ」
「してないよ。いいな、って思っただけだ。俺には母親の記憶がないから」
どうぞ、と彼は居住まいを正す。
「御利益あるのよ、ほんと、治りが良かったんだから」
半ばむきになってあたしはジョウの頬を両手で挟んだ。上向かせて額を額にこつんとくっつける。
急接近したので、ジョウが「お、おい」と動揺した。あたしは「いいから」とおでこを合わせたまま、目を閉じて念じる。
「いたいのいたいのとんでけ」
三回、繰り返した。
祈りを込めた。ジョウの目が治って、光を感じられるようになってと。
暗がりの中に明かりが差し込むイメージを思い浮かべながら。
ピザンに居た頃、乗馬していて馬から落ちたとき、宮殿でスケートボードをして膝当てもしないで派手に転んだとき。あたしはお転婆だったから、割と生傷が絶えなかった。けがをしたあたしにお母様が手当をして、必ずそのときに唱えてくれたことば。
お母様におまじないと優しいキスをもらうと、痛みが和らいだ。治りも早かった気がする。
ジョウは信じないかもしれない。傷ももう痛まないって言っているし。でも、少しでも早く治ってほしい。手術も無事に済んでほしい。その二つを願ってあたしはおまじないを唱えた。
そして額を離し、彼のまぶたに、まなじりに、まつげに唇を押し当てた。何かの儀式みたいに。ひとつひとつの輪郭を確かめるみたいに。
「……」
ジョウはあたしが手を離すと、ふうと息をついて身体の力を抜いた。そして、
「素敵なお母さんだな。うらやましい」
とても穏やかな声でそう言った。
声音で、本気でそう思ってくれているのがわかってあたしは嬉しくなった。
「効き目、ありそうでしょう。治るような気がしない?」
「うん。……アルフィンがやってくれるから、なおさら」
ジョウの表情が柔らかい。うっすら照れているのが分かった。
彼はあたしに右手を伸ばした。あたしはそれを握った。手をつなぐ。
ジョウは、何かを言おうとして少し迷い、そして思い切ったように言った。
「おまじないの追加もいいか」
手を引き寄せ、上体をあたしに預けた。胸が高鳴る。
彼の前に立っているので、彼の頰のあたりにあたしの心臓がくる。ジョウはあたしの胸に顔を押し当てて、心臓の音にじっと耳を澄ませた。
それは決して性的な感じではなかった。どちらかというとちいさな子供が甘えてくるみたいな心許なさがあった。
「……」
あたしは何だか切なくなって、ジョウの頭を抱きしめた。彼の目に響かないように、手でそおっと包む込む。しばらくそのままの体勢でいる。
何かが伝わればいい。言葉では届かない何かが、あたしの鼓動とか体温とかをとおして、彼に。あたしはジョウの髪に鼻先を埋め、何度も口づけを刻んだ。


いたいのいたいのとんでけ。
アルフィンは何度も繰り返した。小刻みな口づけとともに。
そうやって労ってもらって、俺はやっと自分が事故以来ずっと気を張って暮らしてきたことに気づかされた。
目のことで参ってしまわないように、努めて平静を装うのが自分を保つ方法だった。それ以外知らなかった。
でも、こうしてようやくアルフィンに委ねると、呼吸するのが楽になった。
今だったら打ち明けられる気がした。
「ほんとのことを言うと、少しだけ怖い」
俺はアルフィンに身体を預けたまま呟いた。
「手術して、もしも視力が戻らなかったら。一生目が見えなかったら。そう思うと、真夜中、冷たい汗をかいて飛び起きる」
あのときの、イヤな感触は忘れようとしても忘れられない。どんなに振り払おうともがいても、手脚にじっとりとまとわりついてくる。泥のように。
爆発事故のときの映像とともに脳裏にこびりついて離れない。
アルフィンは黙って俺の髪に頬を寄せて話を聞いていた。無意識なのか、ずっと頭を撫でている。
それだけで泣きたいくらい安心した。俺の口から言葉がするりとこぼれ落ちる。
「どうしよう。俺の目、このまま見えないままだったら。……どうすればいいか、全然思い浮かばないんだ」
きっと、今夜じゃなければ打ち明けられなかった。
俺自身、今の今までそんな気弱な思いでいると気づいていなかったから。
アルフィンがおまじないを唱えてくれたから言えた。そんな気がしていた。
初めてチームのメンバーに、アルフィンに、弱音を打ち明けることができた。
アルフィンはすぐには答えず、俺の問いかけに対して、何かを深く考えていた。
ややあって、アルフィンは俺を抱きしめたまま言った。
「もし、手術をしても、ジョウの目が見えないままだったら、」
何かの誓句を読み上げるように、一語一語区切りながら言う。
「あたしの目をあげるわ。ひとつ」
「……」
俺はゆっくりとアルフィンから身体を離した。
アルフィンを仰ぎ見る。姿は見えない。でも気持ちは痛いほど伝わる。
本気で言っている。真剣そのものだった。
しばらく、俺は何も言い返すことができなかった。
「角膜を移植する手術で、見えるようになるって話を聞いたわ。もしも再生手術が成功しなかったら、あたしの角膜をあげる、あなたに」
そうすれば大丈夫。見えるようになるわ。
きっと元のように仕事もできるはず。
アルフィンは笑顔で言った。見えなくても、頬笑みが浮かぶ。そんな声音だった。
俺はしきりにかぶりを振った。
「……何を言ってるんだアルフィン。簡単にそんなことを言うもんじゃない。俺は、君にそうしてほしくて話したんじゃない」
「わかってる。これはあくまでももしもの話でしょ。大丈夫よ。手術はきっと成功する。
でも、万一、ほんとうに万が一の時はあたしがあなたを助けるわ」
だから心配しないでと繰り返した。
俺はいっそう首を横に振るしかなかった。
「君の目をもらうとか、ありえない。俺はそんなことを望んでいない」
「あたしがそれを望むのよ。あなたじゃなく。
二つあって、分け与えるのが可能なのだとしたら、あたしの目であなたが光を取り戻すなら、あたしはジョウと分かち合いたい」
まるで母親が小さい子に何かを言い聞かせるような温かい声だった。あるいは年上の姉が弟を宥めるときのような。
俺は初めて会う女性を前にしたように、口をつぐんだ。
アルフィンは続けた。
「だから、ジョウ、憶えていて。怖くないわ。あたしがいるわ。この先、ずっと」
そう言って、ふっと顔に吐息がかかったかと思うと、唇に柔らかいものが押し当てられた。
キスだとわかるまで数秒の時間を有した。
俺は、動揺しながらそれを悟られたくなくて、しばらくじっと座っているしかできなかった。
アルフィンの唇が離れてだいぶ経ってから、
「これもおまじないの追加か?」
と言った。かすかに語尾が震えていないといいと願いながら、虚勢を張る。
「これは親愛の情のしるしよ」
アルフィンは俺の頭をもう一度胸に引き寄せた。「だいじょうぶ、あたしがついてるわ。だから大丈夫よ」と俺の耳もとで繰り返す。
何の根拠もない。でも今彼女にそう言って抱きしめてもらえることこそが、俺の救いだった。
俺を暗がりから救う。彼女の存在そのものが。
アルフィンがきっと一番そのことを分かっていた。
きっとこれからも俺が弱気になったときは、こうして何度でも彼女は大丈夫と言ってそばにいてくれるんだろう。おまじないだといって、労りの言葉を優しく口に載せるのだろう。
俺を胸に抱きしめながら。
アルフィンが光そのものなのだと俺は実感する。
黙っていると泣きそうだったから、俺はなんとか言葉を紡いだ。
「……こないだアルフィン、俺に訊いたよな。目が治ったら一番何がしたいって」
「ええ。仕事の他にね」
「あのときははぐらかしたけど、本当のことを言っても?」
「いいわ。聞かせて」
俺は頭にあることを整理して、言葉に置き換えた。
ちゃんと伝えたい。アルフィンの思いに応えたい一心で。
「俺は目が治ったら一番先に君を見たい。君のきれいな顔を手のひらで包んで、キスしたい。髪に触れたい。そして服を脱がせて生まれたままの君を抱きしめたい」
一番の願いはそれだった。
アルフィンが息を呑むのがわかった。驚きを隠せない。
言ってから俺は急に恥ずかしくなる。頬が熱い。見られたくなくて今更のように俺はうつむいた。
「……俗物っぽくて軽蔑されるかもと思って、こないだは言えなかったんだ」
引いただろうか。アルフィンがの反応がないから、俺は心配になった。
「……聞こえてるか、アルフィン」
「ごめん、だいじょうぶ。聞いてるわ」
ちょっと、びっくりしただけ。と囁くように声を落とした。
「軽蔑なんてしないわ」
「俺のーー男の願望なんてささやかで、しようもないものさ。がっかりだろう?」
ちっぽけだけど、とても大事なことなんだ。
アルフィンは動揺を隠せない様子だったが、それでもちゃんと俺に向き合ってくれた。
「そんなことない。無事に手術が終わったら、かなえればいいわ。一つずつ」
「かなうかな」
「たぶんね」
「それは、楽しみだな」
ほっとした。
俺はそのときリッキーの言葉を思い出していた。
弱っているときはもっとチームを頼っていい。もっと甘えていいんだという台詞を。
そうだな。こんな風に気弱なところをさらけ出しても、いや、さらけ出した方がアルフィンは何だか嬉しそうだ。心と心の距離が縮まったように感じる。
リーダーは強くいなきゃいけないと思い込んでいた。俺はずっと心のどこかで。
でも、そうじゃないのかもしれない。側にいる誰かを頼り信頼することが、結局は自分も頼られ、信頼される存在になるように、つながっているのかもしれない。
少なくとも、アルフィンに今夜打ち明けたことで、俺は楽になった。
俺の弱さが俺を助けてくれることを知った。
「ねえジョウ。あなたがさっき言ったこと、ーー目が治ったらっていう話、いますぐにここでできることもあるって分かってる?」
アルフィンが含みを持った言い回しで切り出した。
「?」
「あたしの顔を見て、キスをして、服を脱がせて、……っていう部分」
さすがに最後は恥ずかしいのか、ごにょごにょとぼかした。
あ、ああ、と俺もつられて体温が上昇する。
「その話か」
「初めのは、無理だけど……キスから後の項目は、その、手術を待たなくても大丈夫そうよ」
「そ、そっか」
「……」
雄弁な沈黙が俺たちの上に降りかかる。
誘惑に流されてしまいたい、このまま。勢いのままに。
その欲望を俺はすんでのところで抑え込む。断腸の思いだった。
「……実は、医者に内密で止められてるんだ。そういうことは、結構身体と目に負担がかかるからって。今はくれぐれも控えるようにって」
それが退院の交換条件だったんだよ。と言わなくていいことも付け加える。
アルフィンは少し拗ねた風に「ずいぶん用意周到なお医者様ね」と言った。
「ジョウが船に戻るとそういうことするって思ってるから、予め釘をぶっ刺したのかしら」
「さあ。俺って一体どういう風に見えてるんだろうな、医者に。野獣か」
言うと、アルフィンが笑った。鈴を転がしたような声で。
俺が目を傷めてからこっち、そんな風に明るく声に出して笑うことは、ほとんどなかった。
なんだかとてもまぶしかった。俺の頭の中にいる彼女と、目の前にいる彼女がかちりとつながった気がした。
早く見たい。アルフィンの笑顔を。一日も早く。
一番の俺の願いはやはりそれだった。
「待ち遠しい。手術を終えるのが」
俺は心からそう思った。
この部屋に来る前と、今とでは、気持ちが全然違う。まっさらな希望すら胸に浮かんできているのだから。
アルフィンの力はすごい。
「そうね。表情が全然違うわ」
アルフィンは俺の顔をまた手のひらで挟み込んだ。そうっと上向かせる。
もう、次の瞬間に何が起こるかは分かる。俺は黙ってアルフィンのキスを受け入れた。
俺の弱さもためらいも、全部受け止めてくれる彼女の口づけに酔う。
至福のひとときをたゆたう。
かすかに吐息を漏らして唇を離してから、アルフィンはひどく言いづらそうに俺に言った。
「ジョウ、やっぱり髭を剃ったほうがいいかも……。キスするとちくちくして痛いわ」
俺は久しぶりに声に出して笑った。

END

手術は無事成功します。その後のお話はまた別の機会に……。

⇒pixiv安達 薫

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2 コメント

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pixivも投稿ありがとう (ゆうきママ)
2021-08-23 20:53:26
同じ日に二つの作品どうもありがとうございます。
ジョウは、長髪だから、ドライヤーが必要なのね。
しかし、気がきく医者だ(笑)
是非、続編読みたいです♡
返信する
髪は自然乾燥だと傷みます (あだち)
2021-08-25 03:42:19
すぐに乾かしちゃいましょう。将来もふさふさでいるために。笑
続編は、、、、裏の艶話になることが必須なので公開場所を考えて書きます。笑
返信する

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