「千歳ちゃん、最近きれいになったんじゃなあい?」
近頃、知り合いによくそんなことを言われるようになった。
今目の前にいるのは、同業の声優の子。
キャリアは千歳のほうが長いけれど、年はさほど変わらないので親しくしている。
今日は、ラジオ収録の仕事だ。本番まで時間があるので、控え室で待機中。
「そ、そうかな」
「そうよー。何、彼氏でもできた?」
「あ、うん……まあ」
なんと返答していいか迷っていると、
「できたできた。いい男が!」
マネージャーが脇から突っ込む。
ぎょっと目をむく千歳を尻目に、「ええ関さんほんと?」「ほんとほんと。あれはいい物件ですよ」「なにー、千歳ちゃん上玉つかまえたの」と外野で盛り上がる。
ちなみに千歳のマネージャーの関は、三十五歳で独身。竹を割ったような性格だ。そのせいか男性を見る目は割りとシビアで厳しい。
なのにこの高評価は珍しい。そう思いつつ、
「物件なんて言い方よして。司さんは不動産じゃないの!」
むくれると、「そうか、司さんっていうのかー」と同業の子は頬杖をついて身を乗り出してきた。
「なに司さん?」
「春川」
「で、どんなひとなの? 年上?」
「うん。六つ上」
もう曖昧にしておくのもな、と思い、千歳が打ち明ける。
「へえ、大人だねー。もしかして彼氏って。同業者?」
「ううん。会社勤めの、普通のひとだよ」
「会社勤めか。固いのね」
かたい。
あのひとを固いというのは……うーんちょっと違うかも。
「固くはないよ。頭とかむしろすごく柔らかいし」
いやあれは、頭がすごく切れるのか。
「でも六つ上とかで、話、合う? 大人の男って甘えられるけど会話がいまひとつなー」
「か、会話って、そこは気にしたことないけど。どっちかっていうと甘えられるってとこが違うし」
「甘えさせてくれないの?」
う、と千歳は詰まる。そうじゃないわけじゃない。けど、あのひとは。
「……すごく意地悪なの。意地悪してこっちの反応見て愉しむとこがある」
「へえ、S属性なんだ」
「エ、S属性?」
ああでも、ありかも! 確かに司さん、そっちかも。
心の中で激しく同意する千歳。そんな千歳を窺って、同業の子はかすかに笑った。
「優しくない男って、燃えない?」
意味ありげに言う彼女の恋愛経験って、い、いったいどんなのなんだろう。おたついていると、それまで脇で会話を聞いていた関が口を挟む。
「燃える燃える。はまっちゃうんだなこれが」
やめときゃいいって最初から分かっててもねーと、苦笑い。
「関さん、自虐ネタ?」
「まあねー。あたしも若い頃は、ってこれ禁句?」
「禁句ですよ。でも優しくない男って、ベッドでめちゃくちゃ優しかったりしません? そうゆうのにやられちゃうんだよなー」
「ああ、あるある。ギャップ萌えベッド版っての?」
「普段優しい男が、寝床に入ったとたん鬼畜ってのもいいですよねー」
お、大人の会話で、とてもついていけない。
千歳は赤くなってテーブルの上のカップコーヒーを取り上げ、口を付ける。
淹れ立てなので熱い。猫舌気味なので、気をつけてすする。
と、
「アップダウンがあるジェットコースターみたいな恋じゃないとさ。した気にならないことは確かだけど……」
関が意味深な目つきで千歳を見て言った。
「あの男は、気をつけなさいよ、千歳」
どき。
銀縁のめがねの奥からじっと見据えられ、千歳は思わず声がぶれる。
「あ、あの男って、司さん?」
「そう。あれはね、人当たりがよさそうでいて、その実、結構くわせものよ」
以前引き合わせたときのことを思い出しているのだろうか。頭の中の記憶をさぐるような口調で関は言った。
「そ、そんなこと」
「仕事、営業でしょ。立ち回り上手くて外ヅラは抜群によさそうだけど、案外、性悪。ああいうのを悪い男っていうのよ」
分かってる? あんた免疫ないんだからね、と念を押された。
千歳はとっさに返せない。言葉に窮する。
同業の子は色めきたった。
「ええ、関さんのその評価ってなに。会ってみたい、千歳ちゃんの彼氏!」
「だ、だめ、そんなの」
この話の流れで会うとかはだめっ。
そう言おうとしたところに、ADがひょいと顔を出し、
「時間です。ブースに入ってくださーい」
と声をかけ、そこはそのままお流れとなった。
悪い男っていうのは、当たってるかも。
さすが、関さん。伊達に恋愛の数を重ねちゃいない。
でも、性悪っていうのとは、違う。
違うもん……。たぶん。
アパートまで送ってもらう車の中、信号待ちでキスをするのは、二人の間でいつしか習性となっていた。
でも、今夜は千歳のほうから長く求めた。いつもとは違う情熱を感じたのか、ふと司が顔を離した。
「どうした?」
真顔で尋ねる。夜の闇に縁取られ、表情がよく見えない。
「どうしたって何が」
「いや。なんだか、いつもより積極的だなあって思って」
なにかあった? と目で訊いている。
まさか、収録前のやりとりを本人に伝えるわけにいかず、話をはぐらかそうとした。いっそう司にもたれ、キスをねだる。
「たまには、いいでしょ。私からおねだりしても」
「そりゃあ願ったりだけどさ」
優しく深く、口腔を舌でまさぐりあう。次第に興奮のボルテージが高まって、唇が離れがたくなる。
信号が青になっても発車させないことに痺れを切らして、後続の車が苛立たしげにクラクションを鳴らした。
名残惜しそうに視線を残して、司がキスを終えた。
ギアを操作して、車を出す。しばらくタイヤがボディに伝える振動に身をゆだねるふたり。
おもむろに司が口を開く。
「ねえ、してくれない」
「え?」
「ここで」
千歳が見ると、真顔でフロントガラスを見つめている。
感情の篭らない声。でも、千歳には、彼の中の滾る欲望が手に取るように分かる。
だから訊いた。
「……ここで?」
「そう。ここで」
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