「ハイ、こっち、目線下さい」
「あーいいですね。そのまま、動かないで、ハイもう一枚。後ろのダンディな方、大きい、そうあなた。無理に笑わないでいいですよ。むしろ、カメラ睨むぐらいでお願いします」
「へ……へへ」
タロスの顔が、イヤに青黒い。緊張しているのだ、柄にもなく。
「前の赤い髪の方、小柄なーーそうそうあなた。イイ感じです。無理に背伸びしようとしないでいいですから、胸を逸らしすぎないで」
「こ、こうかい?」
身体を前にやったり、後ろに逸らしたり、前後やじろべえみたいなリッキー。体幹があきらかにぶれている。
そんな二人を尻目に、アルフィンと言えば堂に入った振る舞いで、カメラマンに言われるまま笑顔を見せている。
ここは、アラミス市内にあるとあるスタジオ。
今日は、俺たちはノーギャラの仕事に駆り出されていた。
年に一度の丁稚奉公……ではなく、ご奉仕活動。来年度のクラッシャー・カレンダーの撮影協力だ。さいきん、アラミス本部は、クラッシャーの職業のイメージ刷新と広報活動もかねて有料販売、無料配布どちらものカレンダー作成に乗り出している。
あまたあるチームの中で、俺のところが表紙と巻頭の1月を飾るんだと。ここ4年は不動の位置らしい。タロスによると。
カレンダーの表紙と、1月担当。それは、花形の証で、いちおう光栄なことなのだろうがーーいかんせん。
いかんせん、俺と、アルフィンの今の感じが……なあ。
「おーい、ジョウ。嬢ちゃんと何かあったのか、おめえさんたち」
撮影が小休止にはいったところで、エギルに声をかけられた。
「エギル、来ていたのか」
いつの間に。全然気が付かなかった。俺はスタジオ戸口にいる彼の許まで近寄っていく。仕事の視察なのかきょうはスーツを身に付けている。この人は、バリバリ現役で働いている頃によく可愛がってもらった記憶が鮮明で――その頃のことはとてもはっきりと思い出せるーーいまのかっちりとした恰好をしている方に違和感がある。
「ああ俺ア一応この企画の責任者だからよ。お前さんの親父に命じられてな」
やる気がない風にエギルは言って見せた。カレンダーの担当……ますます「らしく」ない。
「そうなんだ。出世するのも大変なんだな」
そう言った俺を、なんだかしみじみとした目で見てくる。俺はなんだい、まじまじと見てと目で訊いた。
「ん?」
「いや、なんだか雰囲気が変わったなーと思って……。頭の手術、たいへんだったんだってな。ダンから聞いていた」
エギルはそう言った。
親父と俺の話をするんだ、と意外に思いながら「いや、髪のせいだろ。雰囲気が違うの」と答える。実際に俺は手術前後の記憶がない。ある日、目が覚めたら世界が変わっていて驚いた、と言う感じだ。
エギルは納得した様子ではなかった。しきりと顎を手でなぞり、
「そうかア? んん……。まあいいや。それよりよ、さっきも言ったけど、あのナビゲータの娘っ子と何かあったのか」
と言った。
どき。
さすがエギルは見逃さない。
「アルフィンと? 俺が?」
「ああなんか、さっきからずっと見てても、おめえさんたち、目も合わせねえから不自然だなあと思ってよ。撮影で緊張してるのかと思ったけど、ジョウのチームはここに毎年呼ばれて慣れてるからそれはねえかなって気もするし。なんだ?喧嘩か? 痴話喧嘩」
「……んなんじゃねえよ」
俺は仏頂面を作っているだろう。こんなんじゃエギルに怪しまれると思っても、自分ではどうにもしようがなかった。
久方ぶりに会ったエギルにさえ見破られるくらい、ぎすぎすして見えるのか俺たちはとげんなりする。ドリンクコーナーで飲み物を取りながら休憩しているアルフィンを見やる。
アルフィンは今日は黒い、タイトなロングドレスを身に付けている。髪は緩く結い上げ、大きく開いた背中がとても眩しい。真っ白な、陶磁器みたいなすべすべの肌が黒に映える。
今年のカレンダー撮影では、みな正装して撮影する企画だった。そのあとで、船<ミネルバ>を背景に合成で入れてスタイリッシュな感じに完成させる予定らしい。
という訳で、アルフィンだけでなく、俺もタロスもリッキーもスタイリストが用意したタキシードを着せられている。(そう。まさに、「着せられている」と言う着こなし……)その中でひとり、アルフィンだけが女優然と振舞えていたのだ。
ドレス姿の彼女を目で追って、俺は思う。やっぱりきれいだと。
すんなりと細いだけではなく、胸は豊かで腰はくびれている。スタイルがいい。ここに集まったカメラクルーたちも、彼女のあまりの美貌に驚いた様子でちらちらと何度も休憩中のアルフィンの様子を盗み見しているのに俺は気づいていた。
アルフィンと俺とは、あの夜の「部屋デート」以来、関係がぎくしゃくしてしまっていた。
「兄貴、なんかしたろう、アルフィンに。例えば、手、出すとか」
数日後、リッキーに俺は追及された。なかなか鋭い。
「……ノーコメントで」
「それってコメントしてるみたいなもんじゃん! なんだようしくったのかい。アルフィンのあの態度、何であんな風になってんだよ……」
「しくった、のか俺」
知らず呟いていた。やっぱり、意に添わぬことをして、完全に怒らせた?
距離をおかれてしまって、うかうかと声をかけることもできない。
黙り込んだ俺を見かねて、リッキーが言った。
「兄貴……大丈夫かい」
「ああ。まあ、俺は大丈夫だ。でもなあ、まさかあんなに怒らせちまうとは思わなかったんだよ」
腕を組み、首をひねる。キスしただけ、と言う言葉が出かかって慌てて留める。そういういい方はよくない。キスは大問題だったのかもしれない。アルフィンにとっては。
しかし……。どうにも解せない。
リッキーは「いや、あれは怒ってるって感じじゃないぜ、どっちかっていうと、アルフィンのあの様子はさ……」と頭の中にここ数日の彼女の姿を思い出すように遠い目をして言う。
「?」
「怒ってるってより、なんか戸惑ってるみたいに見えたよ、俺らには。ーー兄貴とどう接していいか分からなくて困ってる、っていうか。なんかうまく言えないけれど」
「……」
リッキーは「とにかく」と話しをまとめようとした。
「早いとこなんとかしなよ。長引くとこじれるよ」
じゃあ俺らも休憩スペースでお菓子もらってくる。と向こうへ行ってしまう。
俺はタキシードに合わせた蝶ネクタイの結び目を指先でぐいと緩める。
やれやれ。肩をすくめ俺は舌を打つ。
「それができるんなら、もうとっくにやってるよ」
ジョウと、ぎくしゃくしてしまっている。
悪いのは、あたし。あたしがどう接していいのか分からないでいるから。ジョウに。
話しかけられないように距離を置いてしまう。極力、二人きりにならないように注意して生活している。リッキーとタロスが居てくれて助かった。あたしたち二人きりだったら、本当にどうしようって思う。
何で彼に話しかけられたくないかというと、あの晩――ジョウの部屋でキスをされた日のことの整理がついていないからだ。気持ちの。
何で泣いたりしちゃったんだろう。キスが嫌だったわけじゃないのに。むしろ、ジョウからキスを求められて、とても甘くて優しくて、どきどきしたのに。
ファーストキスだった。ジョウと出来て嬉しかった。
--驚いただけ? からだがびっくりしちゃったのかしら。驚いた反射で、涙が出たのかも。そうじゃないなら説明がつかないもの。あんなに好きな彼からのキスで泣いてしまったことが。
あたしも戸惑っていたけど、ジョウは困惑していた。狼狽えていたと言ってもいい。きっと誤解している。あたしが、ジョウのことが嫌で、キスがショックで泣いたんだって思ってる。早く否定しないと、彼を傷つけたままだ。違うのって言わないと、あなたのせいじゃないのと説明してあげないと。
ーーでも、とそこでまた思考が袋小路に入ってしまうのだ。堂々巡り。
「……同じ船で暮らしてるんだからよ、あいさつとかだけじゃなくて、普通に雑談とかしねえと、アンタもジョウも息が詰まらねえか?何があったかしらねえが、ほどほどで手打ちにしねえとな」
こないだタロスに、遠慮がちにたしなめられた。
決して居丈高ではなく、タロス自身も柄じゃないぜ、俺がこんなことすんのは、っていう風に言うから余計に堪えた。
分かってる。そんなの分かってるの。
でも……どうしたらいいのか分からないのよ。
あたしはぼんやりと手にしたドリンクを見つめていた。すると、
「お疲れ様ですー……、大丈夫ですか。疲れちゃいました?」
背後から声をかけられる。さっき、あたしを担当してくれたヘアスタイリストさんだった。若くてシュッとしている。お洒落なメガネの奥の目が柔和だった。
「あ、大丈夫です。ちょっとライトの熱に当てられたみたいで」
あたしはこめかみに緩く落ちてきた髪を耳に掛けた。
「お水持ってきますか。少し腰かけてはどうですか」
あちらにチェアーがありますよと彼が促す。
ご親切にどうも、と言おうとして、向こうでジョウがあたしとスタイリストさんを見ているのに気付いた。
やだ……。ちゃんと断ろうとしていたの、気づいてくれた?男の人と話しているの、変なふうに誤解されたらいやだわ。
「あの、平気ですから」
あたしは少し語調を強めて言った。彼はそうですか、と手を引いて、代わりにあたしの顔をまじまじと覗き込んだ。
あたしはジョウの視線を感じつつ、
「なにか?」
とスタイリストさんに訊いた。
「いえ、セットした髪がほつれてしまいましたね。直しましょう。奥のパウダールームに行きましょう」
ササ、と再度促す。耳に掛けたはずの髪がひと房、くるんと眼の前に落ちかかった。
「あ」
「撮影に差し障りますよ。ーーさ、数分ですみますから参りましょう」
彼は、あたしの手を取って、行きかける。振りきれない。
「おい」
ジョウの声が鋭くそれを遮った。
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