秋田に向かう「こまち」の車窓は、時折、雪がちらちらと降っていました。
外に出ると風が冷たく、すっかり冬。今年初めて見る雪景色です。
青森に住む、夫の母が、突然亡くなったと連絡が入ったのは、22日その日の朝7時。
翌日、6時に家を出て、息子と2人で家を出ました。片道、8時間の長旅です。
95歳と高齢でしたが、10月初めに息子が旅行がてら田舎に行ったときは、まだ元気で、一緒に行った友達と泊まった部屋にやってきて、友達に「○○(息子の名前)さんをよろしくお願いします。」と言っていたそうです。
「おばあちゃん、ちょっと痩せたけれど、案外、元気そうだったよ。話も普通にできたし。」
そんな息子の言葉に安心していました。 ……もしかしたら、100歳まで生きてくれるかな? なんて。
夫を含めて、4男2女、6人の母として、百点満点の人でした。
慈愛深く 相手の心を解きほぐすような人懐っこいかわいらしい笑顔で、誠心誠意尽くしてくれる人でした。
その優しい笑顔で、誰とも仲良くなってしまうような、誰にも愛される人でした。
自分より、相手の気持ちを大切にする、心の温かい人でした。
私の夫をはじめ自分の3人の息子を失くしてしまった時も、自分の悲しみを表に出さず、嫁の私たちや子供たちのことばかり、気遣ってくれました。
一人で泣いていたそうですが……。
そして「他人でも、近所の人でも、いつどこで自分が世話になってしまうかわからないのだから、自分ができるときは、惜しまずに尽くさないとだめだ。」
そんなお母さんの言葉が、私の胸に深く響きました。 お母さんの人生そのものだったから……。
自分のことより、相手の気持ちを考えて、恩を着せるということがなく、相手に気を遣わせないように陰で気づかいをしてくれました
確かに嫌な顔一つせず、文句を言ったことは一度も見たことがありません。
いつも、お願いしたり期待していた以上にやってくれていました。
こんな人がいるんだなぁと思ったくらい……。
趣味の洋裁で、日常に着られる服を 私たちのために、たくさん作りためて、お土産に持たせてくれました。
一枚一枚、着る人のことを考えて作ってくれたんだろうなぁと思うと、心があたたかくなりました。
田舎につくと、嬉しそうにあたたかく迎えてくれ、
帰る電車では、電車の窓を開けると、ずっと手を振って見送ってくれていました。
ちょっと寂しそうに……。 切なくて心が痛くなりました。
いつも、私は感謝の気持ちでいっぱいになって帰ってきました。 そう。いつもいつも…。
今年のお盆も、この年で、お坊さんを各家に案内して回っていたそうです。
暑い中、腰を曲げて、お経の間は、外に座って待っていたとか……。まわりが心配するくらい…。
最近まで、魚をさばいてお刺身を作ったり、曲がった腰で、できることはやっていたそうです。
頼ることより、尽くすことが生きがいみたいな人でした。
母のことを語るとき、こんなふうに「……でした。」と過去になってしまったことが、痛いほど寂しく悲しいです
私のことを親身に心配してくれる大切な人を、また一人失くしてしまいました。
そしてもう、私にとって、親と呼べる人はいなくなってしまいました。
お母さん、……私は、なんてお礼を言っていいかわかりません。
言い尽くせないほどです。
これまで本当に本当に…本当にありがとうございました。
どうか安らかに…。
(先に行ったたくさんの人たちにきっと大歓迎されているんだろうなぁなんて思いながら、あの笑顔を思い出しています。)