どうして、どの猫も私にばかりなつくのか。 家族は忌々しく思っている。
なぜか、猫に好かれちゃうのよね~。(自慢!!=^_^=)
何がコツ…って言われてもね~。
やっぱり、オーラかな。
猫の気持ちをつかむ素質っていうのかな~…。
(漫画のハンターハンターでも言ってた。良いハンターは動物に好かれるんだって…!)
何が魅力って…? 猫にとって…?
そんなこと言われても、自分じゃわからないのよね~。 猫に直接聞いてよね。
自然と備わっている、なんかカリスマ性っていうの…? 猫にっとっての。
そんな特別な能力が私にはあるみたいなの。(自慢!!(=^・・^=)!!) あはは。
ホントは、内心 うすうす気づいている。
実は、「エサ係 トイレの掃除係」 だったりして…。 猫に好かれる条件って…。
「みけ!」
怒られると、いつも にゃごにゃご 言い訳する。
下から見上げて、一生懸命アピールしてるのに、無視される。 「人間は忙しいのよ!」
気を引こうと、テーブルの上に乗る。
目の高さが、同じになるから…。
「こら! 降りなさい! テーブルの上に乗るなんて…!!」
怒られるなんて、想定外だ。 甘えたかっただけなのに…。
なでてくれるんじゃないの?。
「そんなに簡単に降りられるか…。」
降ろそうと手で押すと、抵抗する。 また にゃごにゃご…。
その後、
「仕方ない。降りてやるか…。」
みたいな態度で、ようやく降りる。
反抗期だ…。
「くろしま」「ちゃしま」…だなんて、
ちゃんと名前さえついていないのに。
なんで、こんなに心に残ってしまったのだろう。
ほんの短い間だったのに。
あんまり別れが悲しかったからかな。
まるで 無邪気な天使だったな~。
天使…?
そう、まるで聖母子というと大げさだけど。
そんな優しさ、愛情、温かさ が
あの 親子にながれてたような…。
子を思う愛情と 母親の強さと、賢さ たくましさ。
お母さんが大、大、大好きな子供たち。
つかの間で あっけなくいなくなってしまうと、
理想までふくらんで
思い出って 大きくなってしまうのかもしれないね。
女の子と猫。こんなのどうでしょう?ちょっとレトロっぽい? pic.twitter.com/hCDuO0RGC0
何も疑わず、信頼しきっている。
澄み切った瞳。 まっすぐこちらを見てる。 すべてを投げ出して。
生まれたての、やわらかさ、温かさ。つい触れてみたくなる。 優しい気持ちになる。
生まれた時は、誰でもそうだったんだろうな~。 猫も人もおんなじ。
見ているだけで、幸せにしてくれる。心が温かくなるよね。
そんな「重さ」を抱き上げる。この手にかかっているんだな、という実感。
これが命の重さなんだろうな。
私たちは命を預かっているんだ。神様から。
幸せな気持ちで過ごせるように全力尽くすよ。って思ったよね。あの時。
はじめまして。我が家へようこそ。
お母さん猫の「みけ」
子供たちの、「くろしま」「ちゃしま」
野良猫だったけど、幸せだったよね。
お母さんと 一緒にいられて…
甘えていたよね。
至福の表情で…。
そんな雰囲気を描きたいと思った。みんなが幸せだったと思いたいから…かな。
お母さんと、子ネコ。
いいテーマかも…? と思った
完全な室内飼いはこの2匹がはじめて。
2回ほど、うっかり玄関のドアを開けっ放しにして、脱走したことがあった。
外を知らない箱入り猫だけに、迷子になったり、交通事故にあったら大変! とヒヤリとした。
運よく、すぐに発見され、大事に至らずに済んだ。
「みけ」は物怖じしないところがある。 冒険家気質…?。
興味のまま外に出たりするので、気が抜けない。
今でも、玄関のドアのところに座っていたりする。スキあらば…外をうかがう。
「くろ」は「みけ」のあとをついていく。 おそるおそる…。
それでも、「くろ」は大きな掃出し窓のカーテンの隙間から、よく外を眺めている。
興味津々だ。
いろんな猫が庭を行き来する。スズメやメジロが木にやってくる。
考えてみたら、一生をずーっと家の中で過ごすんだものね。外の世界を知らないまま。
2匹はそれほど気が合うわけではない。
もともと、他人同士。
性格も、体格も、生まれたところも違う。
お互いしかいないから、特別な存在であることには違いないけど…。
縁あって、一緒に過ごしている。
今では、外猫も少なくなった。猫同士の社会もなくなったのかな。”猫会議”と呼ばれる集会もあまり見なくなったなぁ。
友達になったり、けんかをしたり、ちょっとは冒険もしたり…。
そんなこともないまま、一生を過ごすんだなぁと思うと……。
猫の世界もかわった。
猫は、日常だ。
人が、運命に翻弄されるような、大きな試練に会っているときでも、
猫はマイペース。 普段の生活を守っていてくれる。
「ちょろ」は、「るど」のような強い印象はない。
2匹目の猫 ということもあるのかも知れない。
しかし、最大の原因は、そのとき、私たちに、心の余裕がなかったのだ。
「ちょろ」と過ごした9年間の後半は、
私たち家族にとっては、大きな波乱の時だった。
人生が、ずっとずっと平和だったらいいのに…。
家庭平穏で、楽しい思い出ばかりだったらいいのに…。
だけど そんな楽しい幸せな舞台ばかり用意されていることは、決してないのだ。 どんな人にも。
人は、様々なことに振り回される。心が揺れる。絶望することだってある。自分が、案外弱いことも思い知る。
不幸の中では、奇跡を信じる。期待する。だけど、そのほとんどは裏切られる。現実は残酷だ。
反面、思いがけない幸運に恵まれることもある。 プレゼントみたいに…。
家族の病気、入院、闘病 死 退職……。
子供たちの入学、卒業…。
大きなうねりの中で、もがいているとき、先を見失いそうになった時でさえ
「ちょろ」は淡々と普通に日々をを過ごしていた。猫は自分のペースを崩さない。
平静な日常を守る ”守り神” のように…。
何だろう?
空気のような存在? 人生のペースメーカーのような…?
どんな時も、人が息をしているように…。
リズムを守ってくれていた。
外で「ちょろ」の存在を忘れて右往左往していたときでも、
家に帰り、気が付けば「ちょろ」がそばにいた。
普通の顔をして…。
同情するわけでもなく。 共感してくれるわけでもない。
だけど、「あぁ…、時間は止まっていないんだな。」そう思った。
時間はすべてを過去にしていく。
そうやって乗り越えてこられたのかも知れないね…。
猫の性格によって、人の対応も変わる。
自分から逃げる人、そっけない人には追いかけたくなる。気になって仕方がない。
積極的に迫ってくる人には、逃げ出したくなる。可愛いと思いながらも、うっとうしくなる。
人間の恋愛にもよくあることだ。
「くろ」はガラスハート。すぐキズつく。
みんな、気を遣う。 怖がらせたら大変…と。
一度、関係がこじれると、しばらく尾を引いてやっかいなのだ。
この間ブログで話した目薬事件。その後もしばらくは人に寄り付かなかった。
だから、その後、ちょっと「くろ」が甘える兆しが見えると なんかうれしい。 ほっとする。
「ようやく、お許しが出たのかな?」
なんて、つい下手に出て、「くろ」のご機嫌を取ったりして…。
一方、ストーカーの「みけ」は、反対だ。
ずーっと私の後を付いてきて、足元に絡み付く。
なでると嬉しくてコロンとお腹を見せて、思いきり甘えてアピールする。
座っていると、後ろから腕の隙間に頭をむりやり突っ込んできて、だっこしてもらおうとせがむ。
ひざに乗ると、嬉しそうにゴロゴロ言って、竹久夢二の黒猫のように、よじのぼって、しがみついて、なかなか降りない。
……で、「みけ」のせいで私は家事が進まない。
こんなだから、「みけ」には誰も気を遣わない。
時々、鬱陶しいなんて言われちゃったりする。
愛情が重いなんて言われちゃったり…。
かわいそうに…。
かわいいんだけどねー。 こんな人なつっこい猫。
「みけ」がいなくなっちゃったら、淋しいだろうな。つい、そのありがたさを忘れてる。
一生懸命が裏返し。 なんだか悲しいね。みけ。
そっけなさについ心を惹かれ、 強引なアピールにはたじろいでしまう。逃げ腰になる。
そんな気まぐれな人間心理を、猫との関係に重ね合わせる毎日です。