どこだかわからない何もない空間。ひとりの男が歩いてくる。
中年男「ここは、どこだ? 俺は何でこんなところに…」
暗闇から、老人がぬっと現れる。
老人「あなたは死んだんですよ。交通事故でした。あっけなかったですね」
中年男「死んだ…。俺は、死んだのか?」
老人「そうですよ。これからあなたは、長い旅に出ることになります。出発の前に、ひとつだけ願いをかなえることができますが、何かありますか?」
中年男「願い? じゃあ、生き返らせてくれ。俺は、あんたよりも若い。まだ、やりたいことがいっぱいあるんだ!」
老人「それは、無理です。では、他になければ…」
中年男「だったら、妻に会わせてくれ! せめて、女房には別れを言っておきたい」
老人はにっこり笑ってうなずくと、あたりはまばゆい光に包まれた。光が消えると、男の目の前に中年の女が立っていた。
中年女「あなた、何で死んじゃったのよ。まだ、家のローン、残ってるのよ」
中年男(女の顔を覗き込み)「誰だ、あんたは?」
中年女「あら、いやだ。私の顔、忘れちゃったの? もう、なんて人なの」
中年男「芳恵なのか? お前、そんな顔、してたんだ。そう言えば、お前の顔、じっくり見たことなかった気がするな…。(間)今まで、ありがとう。これで、さよならだ」
中年女「(明るく)後は心配しないで。あなたの保険金で、何とかやりくりするから」
女はまばゆい光にかき消される。光が消えると、男の子が現れる。
男の子「おじちゃん、出発の時間だよ」
中年男「ちょっと、待ってくれ。もう一人だけ、会いたい人がいるんだ」
男の子「どうしようかな? 願い事はひとつしか…」
中年男「いいじゃないか。ちょっと、面倒みてる子がいてね。俺が急にいなくなると…」
男の子「おじちゃんの恋人だよね。でも、会わないほうがいいと思うけど…」
中年男「さよならを言うだけなんだ。すぐ、すむから…」
また、光に包まれる。今度は、若い女が姿を現す。
若い女「おじさん! お金、持ってきてくれた?」
中年男(女の顔を覗き込んで)「お前、誰だ?」
若い女「なんだ、違うの? 今日は、会う日じゃないでしょ。私、忙しいんだから…」
中年男「嘘だ。俺の知ってる子は、もっと、奇麗で、スタイルもよくて…。こんな、そばかす顔のジャージ女じゃない。胸だって、もっとこう…」
若い女「ばっかじゃないの。私が、おやじと本気で付き合うわけないでしょ」
あたりは光に包まれ、女は光とともに消える。暗闇から老人が現れる。
老人「もう、心残りはありませんね。さあ、これがあなたの歩く道ですよ」
老人が指差すと、どこまでも続く道が現れる。男は先のない道をとぼとぼと歩き出す。
<つぶやき>私は心残りが一杯ありすぎて、願い事はひとつでは足りません。きっと…。
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