鳥と犬と猫と、ときどき雀

ー鳥2羽と保護犬2匹と捨て猫2匹との生活を綴ったブログですー

おねだりのポーズ、祈りのポーズ

2023-09-01 | 犬のこと

保護犬チワワのミルキーは、わが家へ来て早々に『結腸の陥頓(かんとん)による腸閉塞』(直腸に穴が開いてそこに腸が入りこみ壊死する)になり大手術をしたのですが、その時に痛みをこらえるためにあちらこちらに移動したり、「おねだりのポーズ」や「祈りのポーズ」をしていました。

「おねだりのポーズ」とは手を合わせて上下に振るしぐさで、「祈りのポーズ」とは頭を低く下げて前脚の肘を床につけ、体を弓なりにしてお尻を高く上げるストレッチのようなポーズです。

今もミルキーは人間が食べている物が欲しいときに良く「おねだりのポーズ」をするのですが、当初の苦しそうなミルキーの姿が脳裏をよぎり、どうも好きになれません。

 

そんな犬のしぐさについて考えていましたが、犬たちが「祈りのポーズ」をしていても実際に祈りをしている訳ではもちろんありません。

祈りとは人間だけが持つ、自分をはるかに超えた偉大な存在との接触を求めて行う行為なのだと思います。

誰もが困ったときや苦しいとき、悲しいとき、試練にあったときなどに祈った経験が一度や二度はあると思いますし、「お願い神様、助けて下さい」などと安易に言葉にしてしまうと思いますが、祈りとはいったい何なのでしょうか。

祈りの効用は本当にあるのでしょうか。奇跡はおきるのでしょうか。ーこんなことを思ったことはありませんか。

 

そこで「祈りに」について語られているシルバーバーチの言葉を抜粋し、本当の祈りについて考えてみたいと思います。(*1)

「私は祈りとは魂の憧憬と内省の手段、つまり抑えがたい気持ちを外部に向けて集中すると同時に、内部に向けて探照の光を当てる行為であると考えております。本当の祈りは利己的な動機から発した要望を嘆願することではありません。われわれの心の中に抱く思念は神は先刻ご承知なのです。要望は口に出される前にすでに知れているのです。

なのになぜ祈るのか。それは祈りとはわれわれの周りに存在するより高いエネルギーに波長を合わせる手段だからです。その行為によってほんの少しの間でも活動を休止して精神と霊とを普段より受容性に富んだ状態におくことになるのです。わずかな時間でも心を静かにしていると、その間により高い波長を受け入れることが出来、かくしてわれわれに本当に必要なものが授けられる通路を用意したことになります」  シルバーバーチの霊訓7  

ーーーーー

「利己的な祈りは時間と言葉と精神的エネルギーの無駄遣いをしているにすぎません。それらには何の効力もないからです。何の結果も生み出しません。が、自分をよりいっそう役立てたいという真摯な願いから、改めるべき自己の欠点、克服すべき弱点、超えるべき限外を見つめるための祈りであれば、その時の高められた波長を通して力と励ましと決意を授かり、祈りが本当の効用を発揮したことになります」   シルバーバーチの霊訓7

 

このシルバーバーチの言葉から痛感するのは、シルバーバーチの教えを学ぶ以前の私の祈り?は、利己的な動機から発した要望を嘆願ばかりしていたということです。もはや祈りでなく利己的な願い事だったのです。

身体に不調和があると「どうか治してください」とか「痛みを止めてください」、困った事態になると「なんとか上手くいきますように」「困難がなくなりますように」など、なんとも短絡的で恥ずかしい限りですが、多くの人がそうなのではないでしょうか。

自分に都合が悪いことを何とかうまく回避したり、やりすごすためにお願いをするのです。

 

また願いが叶うことで祈りが効果を発揮したと考えている方が多くいると思います。

実際、真理を知る以前は私もそうでした。願いが叶わないと「神なんていない」とか「神様の意地悪」なんて思ったものでした。

 

でも実はそうではありません。

今は祈りとは一人静かな時間の中で周りに在る高いエネルギーに波長を合わせ、その中で自分を内省し足らないところを補えるように祈ることで、力をもらったり、勇気をいただいたり、魂を鼓舞されています。(*2)

「そうだった私には神から授かった無限の神性があるのだから、これを引き出せば乗り越えられない困難はないんだ!!」と心を入れ替えることが出来るのです。

 

これこそが祈りの効用であり、祈りが叶ったということなのだと私は思います。

なぜなら、こうした心の動きは神の摂理である御心を信じて合わせようとする行為であり、そうなったとき人間は霊的に成長の道を歩めるようになると思うからです。

「地上人生わずか100年たらず、どんなことも霊の世界での生活を思って耐えてみせる」と思えるのであり、「どんな試練もその奥にある神の深い愛を感じられるように力をください」と祈れるのだと思います。

 

実際に息子の病気から人知を超えた出来事を前にして、物的世界に頼れるものはないのだと痛感しました。

その時に私は地上人生を導いてくれている守護霊や霊医団の方々を頼りにしましたが、最も頼りになる存在は神であると思いました。

この全宇宙を創造し、摂理で支配し、全てが成長の過程を進むように配剤してくださっているのは神であるからです。その神の御心に委ねるのが一番なのだと思えるようになったのです。

 

誰であろうとその成長を願って公平に愛し、摂理によって平等に対してくださる神なのですから。

私にとって祈りの時間は神とのふれ合いの時間であり、自分の心を省みて整える時間であり、神を絶対的に信仰していこうと高揚できる時間です。

人生の中で最も崇高で貴重な時間であることに間違いはありません。

 

 

PS その霊の親である神が意地悪をしたり、見捨てたり、えこひいきをしたり、一部の人間にだけ奇跡を起こすはずはありません。

最後にシルバーバーチの言葉です。(*1)

「地上のいずこであろうと、通路のあるところには霊力はそそがれるのです。 (中略)

あなた方は人々に次のように説いてあげないといけません。すなわち、どの人間にも神性というものが潜在し、それを毎日、いえ、時々刻々、より多く発揮するために活用すべき才能が備わっていること、それさえ開発すれば、周囲に存在する莫大な霊的な富が誰にでも自由に利用できる事、言語に絶する見事な叡智が無尽蔵に存在し、活用されているのを待っているということです」   

シルバーバーチの霊訓7

 

 

 

 

 

 

 
(*1)「シルバーバーチの霊訓」は、スピリチュアリズム・ブックスから購入できます。
 
(*2)  「関東シルバーバーチの会」という、「シルバーバーチの霊訓」を学ぶ読書会のメンバーが「あいのしんこと舎」を設立し、自費出版にてスピリチュアリズムの知識を分かりやすく絵本にしました。

絵本は全部で「コトとシンのうちゅういちたのしいおはなし」     「コトとシンの10のどうして?」   「コトとシンのうちゅういちたいせつなおはなし」  「コトとシンのうちゅういちすてきなおはなし」

「コトとシンのうちゅういちふじぎなおはなし の五部作です

 「コトとシンのうちゅういちたいせつなおはなし」  「コトとシンのうちゅういちすてきなおはなし」には、神についての心温まる内容が描かれています。神が存在し私たちの身近にいることが可愛い絵と分かりやすい文章で表現されています。

 


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