3週間前の暑い夏の日、早朝の犬の散歩中の出来事でした。
とあるお宅の地下駐車場前でオスのチワワが立ち止まり、リードを持っていた娘が仔猫の鳴き声に気づきます。
丁度、出勤前でバイクにまたがった家主と居合わせたので、仔猫の声が聞こえることを伝えて駐車場の中に入らせてもらいましたが、(家主は、急いでいて直ぐに走り去りました)駐車場には沢山の放置された荷物があって、探し当てることはできませんでした。
早朝(5時半)だったこともあったので、時間を置いてお宅を訪ねることにしました。
数時間後、仔猫の声のするお宅を訪ね、住人に訳を話して駐車場内を探すと、駐車場の奥の茶箱の中に3匹の仔猫を発見!!みんな元気そうに見えます。
ホッとしながら、持参していた段ボール箱に入れて保護しました。
その後、鳥や犬がお世話になっている獣医に見てもらいましたが、野良猫だと思っていた仔猫は、捨て猫だと獣医は言います。(野良猫だったら、こんなに人に慣れていない)
その言葉に愕然としました。
もし誰も気づいていなければ、仔猫にはとても出れない深い茶箱の中で、野垂れ死にしていたかもしれないのです。
もし捨て猫だとしたら、飼猫を捨てる飼い主の無責任さに悲しい気持ちになりました。
増えた仔猫を育てるのが難しいのなら、捨てることより里親を探すことや処分する動物が増えないような配慮をしなくてはいけないと思います。(外には出さないとか、これも人間の勝手だとは思いますが、避妊や去勢の処置も考えなくてはならないと私は思います)
また実際に目の当たりにした出来事に、ただその人だけを責めるだけでは何の解決にもならないのだと思いました。
こうした出来事は、地上に住む私たち全員が考えていかなくてはならない問題なのです。
さて、私は15年ほど前から、「シルバーバーチの霊訓」(*1)というスピリチュアリズムの知識を学んでいますが、その中には動物に対する様々な真理が述べられています。その一節を記します。
「進化の法則は、存在と活動の低い形態から高い形態への絶え間ない進行の中で働いております。
低い動物形態においては、見た目には残忍と思える食い合いの形をとります。が、進化するにつれてその捕食本能が少しづつ消えていきます。
先史時代をごらんなさい。捕食動物の最大のものが地上から姿を消し、食い合いをしない動物が生き残ってきております。
これにはもう一つ考慮すべき側面があります。
そうした動物の世界の進化のいくつかの面で人類自身の進化がかかわっていることです。
すなわち人類が進化して動物に対する残忍な行為が少なくなるにつれ、それが動物界の進化に反映していくということです。」
シルバーバーチの霊訓8 P178
この箇所を読むと、人間も動物も繋がっていることを感じます。
同時に、自分で考え、判断し、決断し、理性を働かせることができる人間は、動物に対する大きな責任があることも感じます。
私達人類が進化をしたならば、動物の進化に反映するのですから…。
とすれば、平気で動物を捨てる行為は人類の進化がまだ未発達であるということでもあります。
この言葉を他人事とせず、心に刻んで、仲間として地上に生命を与えられた動物を沢山愛して、幸せになれるように頑張ろうと思いました。
また、シルバーバーチは次のようにも教えてくれています。
「優しさが優しさを呼び、哀れみが哀れみを呼び、愛が愛を呼び、憎しみが憎しみを呼びます。
ですから、人間は常に最高の理想を目標としなければいけないということになります。
そう努力することの中で、人間と動物とが進化の道程でお互いに促進しあうことになるのです。それは全ての生命が一つだからです。
物質的にはさまざまな区別がありますが、霊的には一つです。」
シルバーバーチの霊訓8 P186
こうして動物たちが我が家に来たのには、生命として、霊として一つである動物たちとの生活を通して、互いに愛し合い進化を促進しあう体験の機会を頂けたのだと思います。
「シルバーバーチの霊訓」が人類の常識となった世界には、捨てられる動物もなく、みんなが共に暮らす素晴らしい世界になっていることでしょう。
そうした未来像を心に思い描きながら、沢山の愛を渡しながら日々を過ごそうと思います。
その後、仔猫の1匹(キジトラ)は里親さんが見つかり、先住猫とも仲良くなり新たな生活が始まりました。
2匹(八割れ)は共に生活する中で、引き離すのが可哀そうになり家で引き取ることを決めましたが、鳥たちや犬たちとの関係はこれから少しづつ築いていくことになります。
みんなが楽しく過ごせる生活になることを願いならが日々奮闘しています。
(*1)「シルバーバーチの霊訓」シリーズは、”潮文社”から発行され、その後、絶版となりましたが、現在、スピリチュアリズム普及会で復刻・出版されています。
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