鳥と犬と猫と、ときどき雀

ー鳥2羽と保護犬2匹と捨て猫2匹との生活を綴ったブログですー

猫は人間の言葉が分かる!?

2023-01-15 | 日常のこと

先日、母からこんな話を聞きました。八割れ猫のウニが母の部屋へ遊びに行った時のことです。約120CMの高さに置いてある仏壇にヒョイと飛び乗って物色していたので、「ここは乗ったらダメなんだよ」と何度か諭すと素直に下に降りたと言います。

八割れ猫のウニ&シッポナをはじめ、チワワのソイやミルキーも、ホオミドリアカオウロコインコのマメも、コミドリコンゴウインコのナッツも自分の名前は分かっていて、呼びかけると振り返ったり、寄ってきたり、ウニは「ニャ~」と愛らしい返事さえしてくれます。

他にも、食事の時には待つことや食べ始めることも人間の合図でできますし、人間の行動をよく見ています。出かける支度をしていると散歩だと思いソイは喜びますが、「ごめんね。お留守番しててね」と話すと、ガッカリした顔をして、すごすごとお気に入りのハウスに入っていきます。どの動物も人間の言葉が分かっているのでは??と思うことがしばしばあります。

 

では、猫や犬は人間の言葉を本当に理解しているのでしょうか??

ある獣医師のサイトでは「一般的に、猫の知能は1歳半~2歳半の子ども程度であるといわれていて、単語の数としては80語~100語ほどは聞き分けられるようです。
名前を呼ぶと鳴いて答えたり、ごはん、チュール、ダメ、などの単語であれば理解できていますし、また、飼い主さんの言葉の調子で、褒められている、叱られている、なども判断できているようです(犬も同様)」とありました。

それにしても猫や犬が80語~100語も聞き分けられるとは、びっくりです。

猫や犬たちは、いえ、それ以外にも多くの動物が人間の言葉や感情を理解できるとなると、人間の責任は大きいと思いました。たくさん愛情を示してあげたいと思いますし、いつでも笑顔で楽しく接していきたいと思いました。

 

さて、動物たちの言葉や感情の理解について考える中で、人間同士は言葉という意思疎通のための表現があるのですから、もっと互いに理解しやすい立場なのだと思いました。もちろん言語の違いから意思の疎通が難しいこともありますが、身振り手振りで、また片言でも自分の思いを伝えることはできますし、今はスマホなどでの翻訳機もあり、言語の違いも昔ほど大変だと感じる人は少ないのかもしれません。

 

また、相手の言動から感情を読み取る、空気を読むこともできます。が、逆に自分が思っていたこととは違う受け取り方をされて関係がギクシャクしてしまうこともあります。

自分の思いや感情を正確に相手に伝えることの難しさを感じたことが何度もありますし、相手の思っていることを違う意味でとってしまったことも多々あります。また本心とは違うことを社交辞令という形で言ってしまうということや同調してしまうこともあると思います。

自分の思いや感情、思念を正確に伝えることの難しさ、相手の本心を読み取ることの難しさを思いました。

そんなことを考えていた時、ふとシルバーバーチの次の言葉を思い出しました。(*1)

「思念には実体があるというのは事実でしょうか」

「思念にも影響力がある――このことには異論はないでしょう。思念は生命の創造作用の一つだからです。ですから、思念の世界においては事実なのです。が、それが使用される界層の環境条件によって、作用の仕方が制約を受けます。

いま地上人類は、五感を通して鑑識する条件下に住んでいます。その五つの物的感覚で自我を表現できる段階にやっと到達したところです。まだ、テレパシーによって交信し合える段階まで進化していないということです。まだまだ開発しなければならないものがあります。地上人類は、物的手段によって自我を表現せざる得ない条件下におかれた、霊的存在ということです。その条件がおのずと思念の作用に限界を生じさせます。なぜなら、地上では思念が物的形態をとるまでは存在に気づかないからです」   地上人類への最高の福音 P159-160

ーーーーー

「今あなたは私に質問なさっていますが、その時あなたは、まず最初に頭の中に思念を抱きます。その思念の中身はあなた自身にはよく分かっています。つまり何を考えているかが分かっていらっしゃるわけです。ところが、それをこの私に伝えようとすると、何らかの表現形式、それも私に理解できるものに置き換えないといけません。それを皆さんは″言語”とお呼びになっているわけです。あなたが使用する言葉は、あなたが頭に抱いた思念を相手に理解していもらえる形式で表現しようとする試みの表れなのです。

そうなると、頭に描いた思念が相手に伝わるか否かは、その人の表現能力にかかってくることになりますが、しかし、たとえシェークスピアほどの才能があっても、思念は非物質的なものであり、それを物質的な言葉に置き換えるのですから、そのすべてを表現できるはずがありません。しかも、それを聞く側は聞く側で、その内容を理解するためには、その言葉を通して元の思念を想像しなければなりません。

このように、人間どうしでも、とても厄介な操作が長々と行われているのです。それに加えて、言葉にならない思念でもなんとか言葉に置き換えないといけませんから、そこに無理が生じ、誤解が生じます。言葉は必ずしも思っている通りのことを伝えてはいないのです。

(中略)

ですから、もしも言葉の中継なしに思うことが伝え合うことができれば、地上世界を悩ませている問題のすべて、とまではいかなくても、その多くが解消されるはずです。言葉による誤解と思い違いといったものが生じないからです。伝えたいことがそのまま伝わり、外交辞令とか、言葉をにごすといった余計なことをしなくなるはずです」  地上人類への最高の福音  26-27

 

シルバーバーチの言うように、自分の言動は初めに思念を抱き、それを言葉や行為にして思いを伝えていますが、それは私たちが肉体だけの存在ではなく、霊と霊的意識と霊体を具えた霊的存在だからです。

霊的存在であるから思念が行為に先行するのだと思います。本当の自分とは、次元の異なる無限大に広がる「霊」なのです。(*2)

 

人間は「万物の霊長」と自らを言いますが、実はまだ五感という物的感覚で自我を表現できる段階に至ったばかりなのですから、未熟な存在なのだと分かります。その未熟な肉体を通して次元の異なる思念を伝えるとなると、そこに歪みが生じたり欠けた部分ができて100%本心を伝えるのは難しいのだろうと納得もできます。

四角いクッションを丸いクッションカバーに入れるようなものなのかしら?と思います。

無理が生じたり、誤解が生まれて、相手を責めたり争ったり、それが牽いては紛争や戦争などにもなりえるのですから、とても不便な身体で生活をしているのだと感じますし、なんとか誤解のないように自分の思いを伝えたいとも思いました。

 

と同時に、今の地球に生きているということ自体が、この表現形態での体験が必須であるということですから、相手の言葉や言動の奥にある伝えられていない思念を想像して、もしも自分に対する辛い言葉や言動でも、本心はどうなのか?表現した言語の問題、足りなさかもしれない…と、その人の霊の部分に意識を向けて、寛容の心を養っていけたならと思います。

また他者の物的で利己的な思念も自分の物的意識や利己心も、あふれかえる物にも流されないように努力し、身の回りに存在する目に見えない世界、霊妙な雰囲気を感じ取れるように鋭敏な感覚を身につけたいと思います。

いつの日かテレパシーで交信できるまでに進化し、誤解の生じない世界になることを希望にして…。

 

 

 

 

(*1)「地上人類への最高の福音」は、スピリチュアリズム普及会で出版されています。
 
 
(*2)  「関東シルバーバーチの会」という、「シルバーバーチの霊訓」を学ぶ読書会のメンバーが「あいのしんこと舎」を設立し、自費出版にてスピリチュアリズムの知識を分かりやすく絵本にしました。

その中の「コトとシンのうちゅういちたのしいおはなし」  と 「コトとシンのうちゅういちふじぎなおはには「自分とはどういう存在なのか」「人間の本質とは何か」が、 「コトとシンの10のどうして?」 には「なぜ地球という星の各国に生まれてきたのか」など、人生の疑問が描かれています。

 「コトとシンのうちゅういちたいせつなおはなし」 と 「コトとシンのうちゅういちすてきなおはなし」には「神」についての驚きの内容がいっぱい詰まっています。全5部作になりますが、どの絵本も生きる上で役に立つ内容です。

 


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