少し前のことですが…TVのニュースで甲斐犬などの飼い犬を衰弱させたとして、元ブリーダーが逮捕されたと報道がありました。
自主廃業後も飼い犬の数が多すぎて飼育できない状況で、引き取り手を確保する必要があったとされますが、100頭にも増えてしまった犬たちの、その後はどうなるのだろうか…と、人間の無責任さに腹が立ち、悲しい気持ちになりました。
我が家にも多頭飼育崩壊で保護されたチワワのソイがいますが、ソイが保護された「保健所の成犬・猫の譲渡を推進する会」のサイトには、保護された犬や猫の数が減ることなく掲載されています。
次から次へと新たな犬たちが保護されているのです。
動物を自分たちの所有物やおもちゃ、お金のなる木とでも思っているのでしょうか。
いったい動物を何だと思っているのか!!と叫びたくなります。
人間に飼われた動物たちは、全てを人間に委ねています。人間は動物の命の責任を負っていることを忘れないでほしいと思います。動物も愛すべく仲間であることを知ってほしいと思います。
シルバーバーチは動物も人間も同じ霊が宿っていることを次のように述べています。(*1)
「霊はあらゆる生命現象が生まれるエネルギー源です。植物も小鳥も動物も人間も、すべてそうです。霊は存在の大原動力です」 シルバーバーチの霊訓10 P56
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「動物も宇宙進化の大機構で欠かせない存在であり、それは山川草木、海、そのほか自然界のあらゆるものが欠かせない存在であるのと同じです。それらを一つにまとめている絆が″霊″です。生命は一つなのです。人間は動物とつながっているだけでなく、生命あるものなら何とでもつながているのです。」 シルバーバーチの霊訓8 P183
この世に存在を得ているということは霊という原動力があってのことです。
それは人間だけでなく全ての存在が霊というエネルギー源によって存在を得ているということです。
であるならば、人間だけでなく動物、植物、自然…全てが欠かせない存在で、霊という絆で繋がっている、生命は一つに繋がっているということに納得がいきます。
そして、どの存在もが宇宙の進化には欠かせないのです。
こうしたシルバーバーチの深遠な言葉は、私の心に響いてきますし、持ちつ持たれつ、互いに助け合いながら進化していくのが、私たちに課せられた宿命なのだと思いました。
何ひとつ自分にとって必要のないものはなく、共存共栄しているのだと思います。
人間だけが特別ではないのです。勝手に他の生命を搾取したり、ぞんざいに扱ったりしてはならないのです。
それだけ、人間には大きな責任があるのだと思いました。
シルバーバーチは、人間という存在に生まれた責任について次のように述べています。(*1)
「人間は神の一部です。従って進化の順序の中で人間の次に位置する動物に対して、その霊性の息吹を吹き込む能力を具えています。つまり動物との接触の中で、愛という霊的な力によって、動物の魂に自我意識を芽生えさせることが出来るのです」 シルバーバーチの霊訓5 P90
神が人間に神性という神の属性を吹き込んでくれたように、その神性という資質を使って動物に愛という息吹を吹き込むことができる…それが人間の責任の一つであると思います。
私たちが人間として自我意識をもち、理性を働かせることができ、知識を使って物事を意識的に考えたり決断できるのは神の愛によってですが、その愛をもって動物に接するとき、動物の魂に自我意識を芽生えさせることが出来るのですから、その責任を果たせずにいるのは罪深いことなのだと思います。
また愛を発露しているとき自分を通して神の愛が注がれていると思うと、誰もが神に愛され神の愛の中でいることを思います。神の大きな愛というマントの中に包まれて私たちは生活を維持できているのだと感じるのです。
それにしても人間の接し方一つで、自分であるという意識、他人や外界と区別した自己の存在の意識を持てるようになるのですから…。
そう創造された神の叡智には驚きます。
全ての起きることに無駄はなく、完璧な計画があることも理解できます。
人間に秘められた資質は凄いとしか言いようがありませんし、それだけ神は人間を信頼しているということではないかと私は思うのです。
授かった能力を最大限引き出すことを神から求められているということなのだと思います。神はそうであって欲しいと願っているのではないでしょうか。
ですが、神はそれを強要したり、押し付けたりはしていません。
人間自身の意思に任せてくれています。
なんと懐の深い、器の大きい存在なのかと驚きますが、こうした深淵な知識を知らないがゆえに、自分の利益のため満足のために意識が向かっているのが今の現状なのだと思います。
一人でも多くの人が人間に課せられた責任に気づいたなら、きっと苦しむ人間も動物も減っていくと思います。破壊される自然もなくなると思います。
実際に多頭飼育崩壊で保護されたソイも、繫殖場で育ったミルキーも、我が家に来た時とはまるで違います。
びくびく隠れるように過ごしていた2匹も、今は自分の思いを主張して抱っこをねだったり、喜んだり、自分が先に構ってほしいと態度で示したり、安心しきって過ごしています。
ソイは譲渡当初には大脱走をしましたが、今はお家が大好きで、散歩のときには家に近づくと勢いよく駆け上がっていき、ドッグランに寄って思い切り駆け回ってから家に入っていきます。
ここが自分の家であることや安心できる場所であることを分かっているのだと思います。
大好きな娘が帰ってくると″待っていました!”と言わんばかりに、雄たけび?にも似た声をあげて飛びついていきます。
そんな光景は家族にとっても、ほんわかと温かな愛に満ち溢れた時間となっています。
どれもが霊という原動力が為せる業なのだと感じます。
人間が神の一部として他の生命に愛という息吹を吹き込むことが出来ること、神は霊という絆で全ての存在を一つに結んでいること…こういした真理を片時も忘れずに責任を果たしていたいと思います。(*2)
そして多頭崩壊や動物虐待などで、苦しむ動物たちが減っていくことを心から祈りたいと思います。
絵本は全部で「コトとシンのうちゅういちたのしいおはなし」 「コトとシンの10のどうして? 「コトとシンのうちゅういちたいせつなおはなし」 「コトとシンのうちゅういちすてきなおはなし」
「コトとシンのうちゅういちふじぎなおはなし の五部作です。
「コトとシンのうちゅういちたのしいおはなし」 と「コトとシンのうちゅういちふじぎなおはなし には、人間の身体の構造について、霊についての内容が描かれています。
どの絵本にも地上人生を豊かに生き生きと生きれる内容が満載です。小さなお子様から大人まで、楽しく心にしみる絵本です。想像を膨らませ、成長を育める内容になっています。
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