我が家にはホオミドリアカウロコインコのマメ♂・16歳とコミドリコンゴウインコのナッツ♀・15歳がいます。我が家にきて一番長い先輩たちですが、この時期のナッツは、とにかく凶暴化して側を通る犬・猫・人間に襲い掛かってきますし、大きな声で雄たけびをあげるので大変です。
ナッツは下のくちばしが伸びてしまう症状があり、1か月半くらいに一度くちばしカットに通院していますが、その時に夫が相談すると発情を抑える注射を打つことを勧められ、打ってきたと報告されました。
薬が効いている2週間の間に他に興味を移すように教えられて、バードアスレチック(止まり木にハシゴなどをつけて遊ぶもの)や宝箱(おもちゃや紙くずなどをごちゃ混ぜした箱に、大好きな粟やひまわりの種を入れて探す箱)をつくりました。が、新しい物に警戒心が強いので人間が思うように遊んではくれません。興味はあるけど怖いが強いみたいです。
その後、薬の効果で少しづつ凶暴化は抑えられ産卵もしていませんが、複雑な思いは否めません。
さて、マメは雄なので産卵はしませんが、この時期になると吐き戻し行動を頻繁にします。人の肩や家具の角など至る所に吐き戻すので拭き取り隊(私)は忙しいです。
そんな中で笑えるのは、電話の子機の6番に吐き戻しをすることです。ちょうどいい場所にあるからだと思いますが、なんでいつも6番??とふき取る度にクスッとしてしまいます。
吐き戻しは発情期を迎えた雄の求愛行動の一つとして、食べ物を吐き出してメスに与えるといった行動ですが、その他にも新たな行動を発見しました。それはマメが巣作りらしい行動をしていることです。
マメは救急用品や綿棒、化粧ポーチなどをしまっている備え付けの棚の中に入るのが好きなのですが、マメが出た後をみると毎回ビニール系の化粧ポーチの削りカスが散乱しています。(お陰で化粧ポーチはボロボロです)
その横には雑貨を入れる籠があるのですが、その中に入っていることも度々見かけます。その姿は卵を抱える親鳥のようです。
″何やってんのかな??”と気に留めていなかったのですが、どうやらマメも巣作りをしているのではないだろうか?ということに気づきました。
もしかしたら、今までもそうした行動をとっていたのかもしれませんが、子育てや巣作りは母親の仕事と決めていた勝手な固定観念ではないか???と、ネットで調べてみるとオスも巣作りをする種類があるというではありませんか。
マメの行動から、自分の中にはまだまだ根強く固定観念が残っているのだと思いました。
さて、シルバーバーチは固定感念について次のように述べています。
「こちらへ来てまだ霊的バイブレーションに順応していないうちは、地上時代と同じパターンの生活を営みます。低級界、いわゆる幽界は、いろいろな点で地上界とそっくりです。これは、新参者にショックを与えないようにとの神の配慮なのです。いきなり環境が変わると順応が難しいからです。
そこで、今おっしゃた方のように、こちらへ来てからも引き続き朝と昼と晩の生活を営む者がいることになります。そういうものという固定観念を抱いているために、そうなるのです。こちらは思念が実在となる世界です。意識の変化が生じないかぎり、その状態が続きます」 シルバーバーチ最後の掲示 P38 (ハート出版)
このシルバーバーチの言葉の中で、”死の直後に向かう世界・幽界は地上界とそっくり” ”思念が実在となる世界”というのは驚くことです。
「シルバーバーチの霊訓」という知識を知らなかったころの私は、死後のことなどあまり考えもしていませんでしたが、20代のころ父親が大病を患い命の危機に直面したときには、なんとか生きていてほしいと切に願っていたことから、地上限りの存在だと考えていたのだと思います。死んだら目の前から消えて無くなってしまうと…。
ですが一方で、善人は天国へ行き悪人は地獄に落ちるという迷信も潜在していて、いよいよ父が死の間際に立った時には天国に行けるように祈ったように思います。
死は恐怖であり、起きてほしくない出来事だと思っていました。
何とも、あやふやな考えであったと思いますが、それは世間一般に信じられている迷信や言い伝えなどが潜在意識に定着していたからです。
人間は地上生活の中で、様々な体験や知識をもとに自分の思想を作り出している存在なのだと思いました。
そして、その観念は死後もそのまま自分の意識として消えることなく続いていくのですから、死後の世界があることを知らずに幽界へ来た新参者は地上界とそっくりな死後の世界に来たこと、つまりは自分が死んだことに気づかないのも理解できます。
今の私は、誰にでも訪れる死を次の世界・霊界での永遠の進化の生活を営むための通過点として捉えていますし、そのための準備期間として地上人生があることを確信しています。
ですから、そっくりな幽界へ帰ってもシルバーバーチから学んだあらゆる知識と地上で改革した意識とで、すんなりと死後の世界に馴染めると思っています。
亡くなった大切な人たちも動物も霊の世界で元気に生活していることを確信していますし、自分が死を迎えたときには守護霊や身内の霊、霊的家族が、また可愛がっていた動物たちが死後の目覚めの手助けと喜びのために集まって来てくれるのですし、夢では毎晩のように会っているのですから懐かしさと地上人生を終えた安堵と喜びの中で迎えられるであろうと思います。(*1)
また死以外にも、苦しみや困難、試練や病気などを以前の私は起きてほしくない出来事だと思っていました。困難や試練に直面すると誰かのせいにしたり、環境のせいにしていました。
また困難や試練のないことが幸せだと思っていましたが、これも地上界特有の固定観念です。そういうものだとみんなが考えているので、そうに違いないと疑いもせずにいたのです。
しかし霊的存在である人間にとって困難苦難、試練こそ霊的成長するために必要なことです。
初めて困難苦難や試練が成長に必要だと知ったときは、腰を脱かすほど驚きましたが、苦しみを通して魂が強く逞しく鍛えられ、同時に自分を内省する時間を与えてくれる貴重なものだと今は思っています。
困難苦難や試練という苦しみが来るのは、自分自身の生き方が神の摂理に適っていなかったことを反省できる貴重な機会と考えていますし、また地上人生中に克服する課題として自分自身で決めてきたことだと勇気を出して立ち向かう決意もしています。
自分の内にはたくさんの固定観念があったことを痛感しますが、集団心理にも左右されやすかったのだと思いました。
「みんなが良いというから良いものなんだ」とか「大きな功績を残した人は人間的にも素晴らしい」と言うように、決めつけてしまう心理です。
「世間やみんなが言うから間違いない」と思ってしまうのですが、集団心理もとても怖いと思います。
なぜなら、自分で確かめることも疑うことも判断することもしないで、多数の人の考えに乗っかるだけなのですから…。
それは神から授かった神性を全く使っていないことになると私は思います。自分で考え、悩み、反省し、判断し、決断してこそ霊的存在であり、躓きながらも進化の道を歩むことができるのだと思います。
私は幸いにも「シルバーバーチの霊訓」に出合い、地上で起きるすべての出来事の判断基準として霊的真理という知識を持っています。(*1)
真理に照らして進むべき道を自分で考え、悩み、判断し、決断し実行することが出来ますが、それゆえに希望をもって地上人生を歩めるのだと思います。誰に何を言われても揺るがない基準があるからです。
″固定観念は思念が現実の世界である霊界では現実になる”のですから、自分の中の固定観念や迷信や集団心理を取り去って意識改革をしていきたいと思います。
私たち霊的存在にとっての基準は、神が愛によって創られた神の摂理と霊的真理以外にはありません。
絵本は全部で「コトとシンのうちゅういちたのしいおはなし」 「コトとシンの10のどうして?」 「コトとシンのうちゅういちたいせつなおはなし」 「コトとシンのうちゅういちすてきなおはなし」
「コトとシンのうちゅういちふじぎなおはなし の五部作です。
「コトとシンのうちゅういちたのしいおはなし」 と 「コトとシンのうちゅういちふじぎなおはなし には、いずれ誰もが訪れることになる死後の世界の素晴らしさや人間の構造が描かれています。 「コトとシンの10のどうして?」 には、なぜ自分が生まれてきたのか、また両親を選んだのはなぜなのか…など、地上人生の疑問についてが描かれています。
「コトとシンのうちゅういちたいせつなおはなし」 と 「コトとシンのうちゅういちすてきなおはなし」には、神と神の摂理について、神の愛についてが描かれています。
人生の道しるべになる霊的真理が描かれた素敵な絵本です。
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