14時開演なので、早めに着いて先にご飯を食べていくことにしました。
が、何も決めていなかったので、着いてから、魚が食べられるところと検索して、だるまさんというお店に行ってみました。
明治26年に金沢の達磨(たつま)仁三郎さんが創業したという老舗でした。
既に客待ちで並んでいましたが、順番は割と早く回ってきました。
アジのお寿司がオススメだったので、私はそれにしようとしたら、12時の時点で完売でした。
なので、オススメお寿司セットとアジのお刺身を注文しました。
今回のお寿司は鯛が多めでした。
やっぱりプリプリで美味しかったです。
店内も100年超そのままらしく、レトロで良い感じでした。
達磨大師?がこんにちは。
開場までまだ時間があったので、小田原城を見学することにしました。行ったことがなかったんですよね。
あまり時間はなかったのですが、天守閣に登らなければ見学は無料なので、回れるところを見ようということで、突撃。
馬が出る門だそう。
その前の広場みたいなところには馬場があったので、ここが今でいうところの駐車場ですかね。
この建物の隣が昔の馬場になっていました。
ここ↓
今は観光案内とトイレになっています。
大手門を入ります。
赤銅の門でした。
階段を登ります。
お城に行くまではクルクルと道も曲がり、階段が長く、この日は蒸し暑さも相まって、ヘトヘトです。
お城ですもんね。
でも歴史を感じさせるお庭が守られているのを感じました。
でも歴史を感じさせるお庭が守られているのを感じました。
さらに階段を登ります。
さっき表から見た木が支えられています。
小田原評定に参加してきました笑
小田原評定とは
戦国大名の後北条氏における重臣会議のこと。月2回開かれ、諸事を決した行政機関とあります。
北条氏といっても、今のドラマの鎌倉殿の北条氏ではありません。
この故事は、現在は、誰も責任を負って決断しようとせず、いつまでも結論が出ない会議や話し合いの例えとして、使われていますね。
天下統一まで目前に迫った豊臣秀吉が、小田原城の北条氏政、氏直を攻めた際、小田原城内では、さらに立て籠るのか、出撃するのか?また徹底抗戦するのか和平の道を探るのか、なかなか意見がまとまりません。いたずらに時を過ごした後、結局は降伏しましたが、氏政は切腹、流罪となった氏直は失意のうちに亡くなり、北条氏は滅亡してしまいました。ここから無駄に時間ばかり過ごして何事も決まらない話し合いを小田原談合と言いはやしたと、18世紀に書かれた「関八州古戦録」にあるそうです。19世紀に書かれた「松屋筆記」では同じことを小田原評定と呼んでいるそうで、ここから現代まで流れているのですね。
まぁ戦なんかの重大な決断を迫られる時に、グダグダしてたら、そりゃ負けますわね。
当の本人たちじゃないから、言いますケド笑
天守閣は有料なので入らず笑
次に二宮報徳神社へそのまま回りました。
ご存じ二宮尊徳さんを祀ります。
ちょうどこの日は神徳景仰祭だったようで、午前中はご祈祷はされていないようでしたが、午後でしたので、ちょうど参拝しようとしたら、太鼓が鳴り、御祈祷が始まりました。
ありがとうございます♪
明治27年に、二宮尊徳翁の教えを慕う伊豆、三河、遠江、駿河、甲斐、相模の六か国が報徳社の総意により、翁をご祭神として、生誕地である小田原の小田原城二の丸小峰曲輪の一角に神社を創建したそうです。
本当に静かで静謐な空気を感じる素敵な神社でした。
さて、ここから三の丸ホールへ戻り、コンサートへ。
ここは建て直して2年ほどで、とても綺麗なホールでした。
外観は撮っていませんが、今日は雨も降って、霧が立ち上り、窓から小田原城がばっちり見えて、とても良い景色が見られました。
コンサートは小田原市長さんも来られていましたよ。
とても長く活動している合唱団なのですね。
声を出すことは体にもとても良いことだなと思いました。
帰りは娘がお世話になっているおじいさま方に挨拶などして、帰りました。
小田原、新幹線で通過したことしかありませんでしたが、いいところでした。気になるお店もたくさんあり、干物やお饅頭やら、ゆっくり見たかったです笑
また、行ってみたいですね!