先にご住職さんたちが気難しいというのを読んでいたので、私も心づもりをして、インターホンを押しました。
奥さまらしき方が出てきてくださり、御朱印をもらいたいのですが、と言って、御朱印帳を出したところ、「うちは今、書き置きしかなくて、直接は書けません」とおっしゃったので、「はい、分かりました」と言うと、奥さまが日付を書いてくださいました。別に書き置きのところもよくあることだし、書いてくれる時に嫌な態度とかそんなこともありませんでした。
気づくと、後ろに2人も女性が並んでいました。私はとても美しいお庭を眺めながら、ちょっとやりとりを聞いていたら、同じように、書き置きしかやっていないから、直接は書かないということを言っていましたが、その女性が不服そうだったのかは見てないからわかりませんが、書き置きが嫌なら御朱印は出せないと言っています。その後もずっと、ご住職が体調が良くないので、いい字が書けなくて、書けるときに書きためている。他の者が書く字は幼稚園児の書く字のようで、とても出せない。だから私たちが書いたものは出したくないとおっしゃっているようでした。そして、うちは誰でも来て、来てっていう商売みたいなことはしないというようなこともおっしゃっていました。
恐らくですが、こちらの寿福寺さんのご住職たちは、ここを守っているという思いがものすごいのかもしれません。北条政子と源実朝の菩提寺で、元をたどれば、頼朝の父、義朝の居宅だったところです。外から見えますが、拝観はしていないので、拝観料も取らない、というのも、そんな連綿と続く歴史ある地を守ることに並々ならぬ責任と、意思を持ってあたっていらっしゃるのだろうと感じます。
多分ですが、わたしには「書き置きしかありませんけどいいですか」だけだったのは、私の御朱印帳は十三佛のものだったので、目的をはっきり持ってお参りしていると思われたからかもしれません。多分、お寺や神社のものが混在していたり(別にしていてもいいみたいですけど)、ただ集めて回ってると思われてしまうと、何か一言おっしゃりたいのかもしれないなと思いました。
まぁ、言い方もありますけどね^^; でも、優しく言っても同じかもしれませんし。
ということで、話が長くなってしまいましたが。
寿福寺さんで御朱印をもらった後、そのまま今小路を歩いて、鎌倉駅の方へ向かいました。久しぶりにぷらぷらしてみようかと思ったのです。かわいい洋服やら雑貨屋さんがあります。
歩いていると神社の前を通りかかりまして、いつも気にはなっていたのですが、いつも車で通ることが多くて、そのまま通り過ぎていましたので、ここもじっくりお参りすることに。というか、ここの神社のお名前も知らなかったので、どんなところかしらと入りました。
巽神社という、なんと坂上田村麻呂が勧請したという古い古い神社でした。
お賽銭箱もありませんが、綺麗にお掃除はされていました。
横にあった立石が気になって見てみました。
猿田彦大神です。
以前、奈良の長谷寺に行く途中、田舎の道にいきなりこういう猿田彦大神の立石があって、素通りできなかったのを思い出しました。一緒だわ。
そのお隣に立つ木も、古いなぁと感じさせるほっとけない木でした。何の木なのかわかりませんでしたけど。
こちらの巽神社は元々寿福寺にあったそうで、寿福寺から見て、辰巳の方角なので巽神社だそうです。
本当に古いですね。
あんまり誰もお参りされないようで、残念です。
調べるとやはり鎌倉にはものすごい由緒があるけれども、あまり知られていない地がたくさんあるみたいです。
そのまま、鎌倉駅の線路を渡って、鶴岡八幡宮まで戻りました。
その日は八幡さんには通してもらうだけの予定だったのですが、茅の輪くぐりをやっていたので、くぐって、人形に穢れを取ってお祓いしてもらいました。
大銀杏も久しぶりに写真を撮りました。
2010年に大銀杏が倒れたニュースは驚きました。いつもここを通ると実朝を思っていましたが、寿福寺さんに行ったので余計に実朝のことを思いました。
接木もこんなに大きくなりましたね。
次は、五番、円応寺と六番、浄智寺です。