5月2日、3日に訪れた飛騨の旅ですが、今回は時系列は無視して、
書きたいところから記録していこうと思います。
初日、2日は実家を出発してから、まず飛騨一宮の水無神社に行き、そこで5月の例祭を見てから、次に神岡の吉田にある常蓮寺に行きました。
なぜ常蓮寺に行きたかったかといいますと、今回は聖徳太子と止利仏師についていわれのあるところを回りたかったからなのです。
常蓮寺参道より笠ヶ岳を望む。
一番、分かりやすいと思い、先日の記事に載せたある講演会の文字起こしですが、
より、
少し抜き出しますと、
「……止利仏師が飛騨で生まれたということを証 明してくれるのが、この和漢三才図会であり ます。 これは江戸時代中期につくられた、今で言 えば百科事典でありますが、この中に止利は 飛騨の国に生まれたということが記述されて おります。それが、これでございます。そこに鞍作止利という、丸の打ってあるところが あると思うのですが、そこに止利仏師は司馬 達等の孫であるが、飛騨の国、鞍部多須奈の 子であると記されております。 以上のようなことで、江戸時代の中期にも止利仏師が飛騨の国で生まれたということ が言い伝わっていたということが確認できると思います。
この和漢三才図会をつくった人は寺島良安さんという、お医者さんだそうです。全体 は105巻ありまして、81冊に及ぶ膨大なものの中に、これが出ております。 飛騨には、江戸の終わりから明治の初めなのですが、斐太後風土記という本がつくら れました。これは代官所の役人でありました富田禮彦さんがつくったといわれておりま す。この中に飛騨中のことが全部網羅されております。何々村は何から何、何がとれた とか、いろんなことが書かれておるわけなの ですが、この中の吉城郡小鷹利郷の月ヶ瀬村 というところに記述されております。これが天生村にも記述されております。それから、吉城郡の高原郷の吉田村なのですが、 ここにも記述されております。ここで、何で記述されておるかといいますと、先ほどお話しいたしました聖徳太子像なのですが、天生に祀られておりました。平清盛が病気をされたそうですね。そのころに平清盛の病気平癒を願い、日本全国の有名な仏像を集めたらしいです、京のほうへ。それが天生谷から出ていったということが記述されております。
そのようなことで、止利仏師が天生で木を切ったということがわかるとは思います。 それで、なぜ元の位置まで持って戻ってこなかったかと思うのですが、富山の八尾に聞名寺という寺があるそうです。そこまでは戻ってきたそうなのですが、そこからは戻ってはきませんでした。聞名寺の手継ぎが吉田村にある常蓮寺というお寺でして、そこまでは戻ってきたのであります。それで、常蓮寺に太子像が祀られている わけなのですが、その太子像はこういう厨子の中にお さめられております。
神岡の常蓮寺に祀られているのですが、毎年7月24 日の御開帳にこれを拝むことができます。高さは大体 80センチ弱、これが、太子がつくったとされる仏像で あります。これが後ろのほうから見た写真です。これ が横から見た写真です。これもそうです。先ほどの写 真の高さ80センチ弱、横は肩幅が24センチだそうです。 太子像ということで、それが祀られております。 9 河合村に、その聖徳太子堂跡という石碑があります。これは天生地区の部落の中にありまして、前にあったところとは1回、引っ越ししたそうですが、今はこのような形で太子堂跡として祀られております。……」
ということで、こちらに書かれている太子堂に行きたかったわけです。
平清盛の病気平癒のためと書かれていますが、
ここら辺は平家の落武者が流れ込んできたとも言われており、もしかしたらそんなことで伝説の一部になっているのかもしれません。
水無神社から1時間ほど、途中、上宝の道の駅で昼食をとりましたので、もう少しかかっていますが、それぐらいの距離です。
上宝という土地も、この辺は神岡なので、「神宝」であろうと思われ、少し不思議な感じがしますね。
ちなみに、この前の記事に書きました池ケ原湿原を教えてくださった宿の方は、神岡出身だそうで、名前も神谷(かみたに)さんだそうです……
常蓮寺に行ってきたと言ったら、えっと、驚いていました。怪しい家族と思われたでしょう笑
さて、聖徳太子がご自身で掘った自分の像があるという常蓮寺ですが
誰もおらず、ほんと私ってマニアックだな(笑)と思いました。
ですので、ゴールデンウイークにわざわざ混むところに行くというわけでもないので、主要道路を抜けさえすれば、すいすいで、密ではないのです(笑)
それでも、北アルプスを美しく望める高台からは、もしかしたら本当に鞍作止利、多須奈? 聖徳太子? 本当は誰なのか分かりませんが、こちらにおられたんじゃあるまいかと思うと、感慨深いものがあります。
鐘楼
山門
多分、もともとは天生にあったものが回り回ってこちらにあるのでしょうが、天生に行って聖徳太子の碑を見たいと言ったら、カミタニさんはすぐ「止利仏師ですか」と答えられたので、何か伝説も知っておられるのかもしれません。
吉田の辺りの人はそういうことをよく知っているともおっしゃっていました。
肝心の常蓮寺はとてもいい場所にあるのですが、本当に誰も来られていない感じで、最近まで青年たちの学びの道場(寺子屋?)みたいなのがあったらしいのですが、とうとうなくなってしまったそうです。
とても残念なことだなと思いました。
笠ヶ岳であろうと、いろんなアングルから何回も撮っちゃう。
今でも7月24日には聖徳太子自作の太子像が公開され、夜には太子踊りが催されているそうで、その時には活気づいているのでしょうね。
なかなかその日ちょうどに行くことは難しいですが、行ってみたいです。
本堂の向こう側に大イチョウがありました。
近づいてみます。
すごいたらちねですね
中も少し見させてもらいました。
大杉
帰りに撮ってみました。
常蓮寺について。
聖徳太子自作の像、天然記念物の樹木と300年続く踊りが魅力のパワースポット
北飛騨地方では最古の真宗寺院が常蓮寺です。毎年7月24日の夜に、吉田太子踊りが行われます。手を大きく振り、肩より高く上げて、みんなで輪になって踊るのが特徴です。きっかけは300年以上前に、常蓮寺に、古くから秘仏として聖徳太子自作の太子像があったのを越中に移されてしまったところ、大きな飢饉に見舞われたため、民が時の高山藩主に像の奉還を嘆願しました。、旧暦の6月24日にその望みがかなえられたそうです。その前夜に、常蓮寺境内の桜に影がさして光輝いたことから、人々はこれを太子の帰還の前兆だと、喜び、みなで寺へ集まり、手を振り足を踏み、草履が破れるまで徹夜で踊り明かした、という言い伝えがもととなり、300年以上経った今なお踊り継がれています。