南英世の 「くろねこ日記」

どケチの神様

「大日本どケチ教」の教祖を名乗り、「もったいない」を信条として倹約のあり方を説いた吉本晴彦。彼の先祖は江戸時代初期から梅田地区の大地主で豪商であった。

彼は同志社大学に進んだ後、出征した。戦後帰ってきてみると、1万坪の梅田の土地は焦土と化し、そこに100軒以上のバラックづくりの闇市が不法占拠する形で立っていた。粘り強い交渉によって不法占拠問題を解決し、1976年、梅田のランドマークとして30階建ての大阪丸ビルを建設した。日本が経済成長を遂げるなか、「こころは豊かに、買わずに貯めよう」をキャッチフレーズに、メーカー側の「買わせろ、捨てさせろ、無駄遣いさせろ、流行遅れにさせろ」に対抗した。

やがて吉本晴彦に転機が訪れる。日本経済のバブルに乗ってしまったのだ。梅田の公示地価はうなぎのぼりに上昇した。

 梅田の公示地価(1㎡あたり)

1983年 630万円

1984年 720万円

1985年 870万円

1986年 1210万円

1987年 1870万円

1988年 2600万円

1989年 3150万円

 

これは公示地価である。実際の取引価格はこの2~3倍はしたと言われる。オークションではゴッホの「ひまわり」が58億円、ルノアールの「ムーラン・ド・ギャレット」が119億円で落札され話題になった。美術品には適正価格がない。100円でも1億円でも需給が一致すればそれが適正価格になる。土地も似たようなところがある。

バブルが崩壊し土地価格が下落を始めたのは1991年(平成3年)である。吉本晴彦は北新地のソシアビル(雑居ビル)に投資をしていたが、資産価値の90パーセントを失った。1995年には木津信用組合が破綻した。

1個1円の石があり、それがバブルによって1億円になり、やがてバブルがはじけてまた1円になったとしても、その間眠っている人にとっては何もなかったと同じである。しかし、人々はその間眠っていたわけではなかった。バブルによって大規模な不良債権が発生し、日本はその後30年の長い不況に苦しむことになる。

2003年、吉本建物と大阪丸ビルは事実上の経営破綻をしてしまう。吉本晴彦は会長職を辞職し、2017年に亡くなった。バブル当時、日本を1個売ればアメリカが4個買えると言われた。しかし、その異常価格を多くの人がバブルだとは認識できなかった。どケチ教の元祖がバブルに手を出したのも無理がなかったのかもしれない。

今、その丸ビルの解体工事が進んでいる。

 

なお念のため申し添えておくが、吉本晴彦と吉本興業は何の関係もない。別の吉本である。

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