そこで、日ごろ高校生に政治・経済を教えている立場から一言記しておきたい。
トップ校といわれる高校生でも、残念ながら憲法が何のためにあるかを全く理解していない。国家権力はひとたび暴れ出すと何百万人でも人を殺すことができる。そうした、権力の怖さを十分に理解していないから、憲法の役割が理解されないのも無理はない。
生徒の大半(ほぼ全員)は、憲法は「国民が守るもの」と思っている。
いや、正確に言えば、小学校・中学校で、そのように教わってきたのだろう。
そうでなければ、かくも多くの優秀な生徒が憲法を「誤解」しているはずがない。
おそらく「皆さん、差別はいけませんよ。憲法14条には法の下の平等と書いてあるでしょう。皆さん、憲法を守りましょうね」と教わってきたのではないか。
こげなうそげなことを教えるくらいなら、教えんといてほしい、というのが正直な感想である。
言うまでもないことだが、憲法とは権力者が好き勝手な権力行使をできないように、「国家権力を縛る」ためにある。
それにより国民を守るのだ。
こうした考え方を「立憲主義」という。
生徒は、モンテスキューの名前も知っている。三権分立ということも知っている。さらには、立法、司法、行政間の「抑制と均衡」の細かな知識も持っている。たとえば、首相は国会が指名するとか、衆議院は内閣不信任決議をすることができるとか、首相には衆議院を解散させる権限があるとか、裁判所には違憲審査権があるとか、国会は弾劾裁判で非行を犯した裁判官をクビにすることができるとか、最高裁判所長官は内閣が指名するとか、こうした入試で問われる細かなことは実によく知っている。
しかし、そもそも何のために三権分立が定められているのかと問うと、答えられないのだ。
教育でいちばん大切にしなければいけないのは「そもそも論」であり、「土台」部分である。
しかし、そうしたことをきちんと教える教師は少ない。
ほとんどの教師は、「これはセンター試験に出る」とか、「そこまではセンター試験には出ないだろう」とかいう判断基準で、教える内容を選別しているのが実態である。
高校生になって、初めて立憲主義の考え方を知り「感動」するというレベルの低いことでは困るのだ。
憲法19条 「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」の文の主語が何であるかわからないようでは困るのだ。
安倍総理は、憲法改正に積極的な立場をとっている。
それはそれでいい。
以前、9条(戦争放棄)を変えたいがために、96条の憲法改正手続きをやさしくするという姑息な考えを主張したこともあったが、これは世間から批判され急速にしぼんだ。
しかし、憲法改正が難しい中で、今度は「憲法解釈を変更」することにより集団的自衛権を行使できるようにしようとしている。
憲法改正という正々堂々とした議論ではなく、勝手に解釈を変更して日本の方向性を決める。
これはあってはならないことだ。
これでは、立憲主義が死んでしまう。
そもそも、「集団的自衛権の行使」ということも、一般の人にはなかなか分かりづらい用語である。
集団的自衛権の行使とは、簡単にいえば、「アメリカと一体となって戦争のできる国にしようね」ということにほかならない。
どうして、マスコミはもっとわかりやすく書かないのか。
多くの国民はアベノミックスを支持している。
劇薬かもしれないが、なんとか日本経済を立ち直らせてほしいと願っている。
第三の矢である「成長戦略」とはいったい何なのか、わくわくしながら待っている(もし、そうした戦略があればの話だが)。
しかし、憲法9条を改正して、日本を「戦争のできる国」にすることまで安倍政権に委ねたわけではあるまい。
今の選挙制度のもとでは、この政策は支持できてもこの政策は支持できないという場合、優先する政策で1票を投ずるしかない。
安倍総理には、そうした世論をしっかり受け止めてほしいと願っている。
そうしないと、次の選挙でしっぺ返しを受けることになるだろう。
学生時代に「自由とは国家権力を批判できることである」と憲法学の野中俊彦先生から教えていただいた。
その言葉の重要性をますます感じる今日この頃である。
最後に、以前私が法学館憲法研究所に投稿した文章を再掲載しておく。
http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20130107.html
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