T里病院退院11年目に突入

精神科医の偽診を晴らしそれにより派生した事件の追及解明がライフワーク

罪悪感からか普通にストレートに伝えられなかった統合失調症

2024-11-29 12:42:36 | 🟧 T里元院長
このような重大なことは週一勤務の弟嫁ではなく、先ずは父を呼び出して一番に伝えるべきだろう。その上私は誰からも教えてもらえなかった。たまたま看護師の持っていたファイルを見せてもらって知ったのだった。


(当時から弟とは付き合いがなく弟嫁とも一切話したことがなかった)




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偽診を告げる手順を練った元院長

2024-11-15 20:56:18 | 🟧 T里元院長
武志はアル中だけでなく統合失調症だったと広まってから5年過ぎての退院だった。だから十分に広められ深められ浸透していた。

それも知らぬまま退院2年後に母の葬式を向かえた。飲酒を頑張って母の葬儀に出席できたという自負もあり、少しはマシな対応を期待していたがそうではなかった。

後で思えば不治の病統合失調症が広まっていたので警戒されたのは当然だった。元々仲が悪くなかった数人だけは適当に話を合わせたくれたが。

それでも初対面にも関わらず話しかけてきてくれた人もいた。恥を晒しに出席したようなものだったが唯一の収穫だった。

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おそらく元院長は精神病院に入院している患者の家族のことなど深く考えたことはない。自分たちとは別次元の世界だと生まれた時から体に染み付いているので興味が湧かないのだろう。

長年病院に勤めており気心も通じ合った弟嫁(当時)に最初に伝えたのは間違いない。義理の兄が4回目の入院にも関わらず徹底して避けている親族が従業員の中にいる。悪い情報をカミングアウトするには打ってつけの存在だっただろう。

弟嫁 → 弟 → 父。この伝わりを待って院長は父へ伝えたのだろう。



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退院10周年を向かえての所感 (2024.11.14)

2024-11-14 12:01:23 | 🟧 T里元院長
こういうブログをやっていると私に近寄ってくる人はいない。私の方からも誰にも近寄っていくことはできない。

そういう他人と関われない生活はこのブログが終わるまで続く。

事件のこと、統合失調症のことを考えながら一日一日命が削られていくだけの生活なので、今日の退院10周年は非常に感慨深い。

明日から11年目が始まるが、果たして何歳まで健康寿命で居られるものか分からない中で何をどこまで達成できるかが、出来ただけで良いという気持ちになってきている。

それは達成してもそれからの目標も楽しみもないからである。(種切れで)子供を作れる訳でもなし、金を貰えたとしても免許は偽診で失っているので車を買うという楽しみもない。

それでも自分のことしか心配事はないというのが今の生活を辛うじて保てている理由だろう。

次の目標は退院15周年だろうか。自分一人で動ける状態で。

おわり


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【解説追加】お金をちょうだい〜美川憲一

2024-11-04 14:21:07 | 🟧 T里元院長

※介護認定申請手続き後の利用状況だが、近所の予防型デイサービス(器具を使ったトレーニングなど)に2回行っただけで、それ以外はまったく利用したことがない。ちなみに介護保険料は生活保護費から差し引かれて代理納付されている。


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袴田巌さんは47年で2億円超、14年の私は

2024-10-11 01:06:39 | 🟧 T里元院長

袴田さんの補償金が話題になっていたので自分の事と照らし合わせてみた。

私はアルコール依存症で入院したが途中から統合失調症の偽診断が下され、トータル6年4ヶ月の入院を強いられるはめになった。

アルコールの治療を最大1年4ヶ月とすると偽診による不当拘束は5年間。そして退院後はその病名を背負わされて不本意な人生を送る事9年。トータル14年間と考えると5千万円というのは決して高くはなく妥当だと思うが。

もちろん私の場合はその性質上、裁判で争って勝ち取れるものではないし、法的には院長は払う義務はない。ブログの読者によっては、私が何とか因縁を付けて金を巻き上げようとしているように見えるかもしれない。

退院時すでに61歳。そして微かに残火が灯っていた60代の9年間も統合失調症という烙印を押されたまま無意味に過ぎ、ついに古希を迎えてしまった。退院後、仕事に就く事、子供が産める女性を探す事から始まって、どんどん望みは小さくなり、10年後の現在は老老介護の相手を探すのが目一杯。

そんな状況でたとえ5千万円貰えたとしても何も大きく変わることはない。生活保護を辞め、贅沢はできないという状況で一年一年暮らして行くだけだ。特別に生活も変わらないし、考えつくのは病院に行って支払いをする時、自分の面子を保てて惨めで哀れな思いをしなくて済むことだろう。

金を貰ったという情報が漏れればそれ目当ての女が寄ってくるかも知れないが、もう夢もチボウもない。

生活保護受給者はどのような最後を迎えるのかは探しても情報がない。人に言えないほど悲惨なのだろう。想像しただけでオゾましくなる。だから金が残っているうちに普通の死に方ができればという願望はある。

私の人生は5000万円程度では、というよりお金では何も変わらないほど底辺で固定されてしまったのである。

まあ性能のいいPCを買うことくらいの夢はある。もうろくして使えなくなっていても抱いて眠りたいほどではあるが。



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【退院10周年企画②】偽病名を被せられ、一生入院と決まっていた男

2024-10-01 13:24:46 | 🟧 T里元院長
(旧作ポッドキャスト)




少し前、薬剤師動画で旧チャンネルがバンされるまで公開していたポッドキャストです。改めて見直してみると表現がややキツいと思いましたが、動画は手直しが効かないのでそのまま出します。
【退院10周年企画①】の中で文章で書いた内容とほぼ同じです。



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【退院10周年企画①】偽病名を被せられ、一生入院と決まっていた男

2024-09-26 02:24:00 | 🟧 T里元院長
私は6年4ヶ月入院させられていた(拘束されていた)が、T里病院元院長は「統合失調症と命名し、一生入院だと家族に伝えた」ことの重大さをあまり理解していないだろう。
本人はそのような患者に囲まれて長年仕事をしており、統合失調症に対しての感覚は、一般病院医師の感覚に当てはめるとインフルエンザくらいの感覚なのかもしれない。

(旧作ポッドキャスト)


私は退院後、遠くの施設にいる母に一度だけ会えたが、それから1年間は見舞いに誘ってもらえなかった。どうせまた再入院すると思っていた私を見舞いに誘うかどうか、父と妹は躊躇っていたようだ。(後日気づいた)

痺れを切らした私は妹に直接電話をして、ようやく見舞いに連れて行ってくれるようになった。その頃の話では、天敵の弟は借金問題による金策や仕事で忙しく、ほとんど見舞いにも来ないと父と妹は私に説明していた。

しかしそれは大嘘だった。私が再入院するまでは都合よく誤魔化しておこうという結論からだった。母が亡くなったのはまさに夜中だったが、最後の立ち会いに妹は私を誘わなかった。

既に前日母の様子は見ていたし(下写真)、夜中だったので私の体調などを考えてのことだろうと思っていたが、そうではなく弟を乗せて行っていたのだった。(後日気づいた)

3回忌を過ぎ、5回忌も過ぎた今頃になってからいろいろ判明したのには訳がある。

(2020年6月17日投稿)

私は頚椎の痛みに悩まされて、父の心配どころではなく長い間連絡を絶っていた頃があった。私も連絡しなかったが父妹からも全く何も音沙汰がなかったのでお互い様だった

そして久しぶりに父が通っているはずのリハビリ病院(クオラ病院)に電話をかけたところ、看護助手らしき人から「長男さんですか、あなたが入院先から電話をかけてきても何も答えないように妹さんから言われています」という返事だった。

びっくり仰天しながらも、「入院先からではない、自宅からです」と興奮して否定したが信じて貰えず、それでは「文書を送るから記入して送り返してください、その上で上司の判断を仰ぎます」とまで言われる始末だった。

その病院に「通院しているのか、入院しているのか、生きているのかさえ何も答えられない」という酷い返事だった。後日、正職員らしき人から謝罪のような電話があったが、関係は戻らなかった。

私が一心不乱にユーチューブ投稿をしている間に、家族(父と妹と弟)とクオラ病院の間では「また精神科病院に入院したのだろう」と思われ、これ幸いと放っておかれていたのだった。〜続く

(亡くなる前日、iPhone7で撮影=左は父)



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(改良版) 偽診と悪質な吹聴の15年間、その影響の相関図

2024-09-13 00:53:00 | 🟧 T里元院長
なるべく分かりやすく簡単にまとめてみた。






【森園→県建築課】追加版



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刑務所は刑期があるが精神科病院は際限がない

2024-09-10 00:08:24 | 🟧 T里元院長
私が「自分は一生入院の予定だった」と知ったのは退院する直前か直後であり、それまでは来る日も来る日も退院を夢見て過ごしてきた。

週に一度の診察の時、先生の口から「退院」の2文字が出てくることに一番の期待を持って何百回も診察を受けてきた。

そんな入院中、刑務所は刑期があっていいなあと何十回思ったことだろうか。

なぜか気が合ったB先生が、院長に私の退院を打診したが反対されて没になったこともあった。しかし熱心なB先生の説得にようやく院長も折れたらしい。

その後、院長最側近のベテラン看護師Iさんから「院長が主治医のままだったら退院は出来なかったんだよ」と言われたのは退院直前か直後のことだった。

奇跡的にも私はカンオケ退院を免れたのだが、長い歴史のあるT里病院で無念の生涯を送った人がいなかったと誰が言えようか。





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元院長Aの偽診が南谷家に与えた影響 ①

2024-08-16 11:56:34 | 🟧 T里元院長
(この話は私にとって非常に重たい内容なので「院長への手紙2018」同様、少しづつ書き進めることにします。)

(第一話) 元院長A、統合失調症を家族に通告

私は元院長がこっそり「統合失調症」という偽診をカルテに書いてから、それを半年以内に偶然知ることができた。看護師からある書類を見せてもらう機会があった時、そこに書いてあったからだった。

入院中は少なくとも月に一度、大概は週に一度両親が面会に来てくれた。両親が転居した田舎の家からT里病院までかなり離れているにも関わらず、当時80代の父が軽トラックを運転して夫婦でせっせと通ってくれていた。(本当にありがたかった。)

約1時間ほど過ごすので、面会中に何らかのことで父と意見の相違で「言いあい」をすることはよくあった。

しかし今回の入院のその頃から「お前はビンタがおかしたっど」と言われることがたまにあった。

それまで過去に何度も入退院を繰り返し、T里病院にも長く入院していたので、それでだろうと受け止めてあまり気にしていなかった。

しかしそれは父が院長から「統合失調症」と聞かされていたから出た言葉だった気づいたのは私が退院してからだった。





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統合失調症について

このブログでは統合失調症と偽診断された私が社会に出てから色々な仕打ちにあったことなどを書いていますが、あくまでも周りから『精神科に通院もせず、服薬もせず、病気を否認しているが実は統合失調症の男』と見られていた私が辿った10年間の人生であり、一般的な話ではまったくありません。統合失調症でも通院服薬により普通に社会生活を送っている人は多いということはここで書かせていただきます。