「結婚」って何をご一緒に考えるコーナーです

人生の目的は、家庭!なんて知りませんでした。だから、皆さんにお伝えしています。

結婚 結婚する前に ④

2019-11-20 20:19:38 | 仲人からの一言

みんなもKONシリーズ 結婚する前に ④

結婚する前に知っておくべき内容をお送りしています。

予め毎回ご説明しましたように、一般的な結婚に関する内容のコメント💬は投稿しておりません。ご了承下さい。

 

⭕人間は、数理性を持って誕生している。

私達は、父母の愛の元で誕生し、今日に至っています。このシリーズで明らかにしているように、我々人間は、進化論的に偶然風が吹いて偶然このような人間の形となり、偶然現代歴史を人類は歩んでいる・・・・のでは・・・ない。ということをご紹介しました。

ましてや、宇宙もこの地球も地球上の生き物も鉱物も何もかもが人間をモチーフにして人間が誕生する前に造られたということです。

そして互いの関係性は、各々固有的存在として、存在しながらも、直接的や間接的にでも関係しており、何一つ無駄なもの、いらないもなはない・・・ということでしたね。

さて、人間は披造世界のモデル的存在ならばこの生きているとする世界にある数理性(無秩序に動いているのではなく、ある一つのリズムで周期性を持つ存在)があることは、日本歴史においても400年毎や80年毎においてスパイラル周期性で春夏秋冬のように経済は動き回ることなどご紹介しましたように、ある数理性を持って人間はその数理性を完成させるためにも誕生したと言えることと思います。

今日は、そのことをご紹介するお話です。

 

私達は、結婚という形は、男と女が単に結婚しました❗ではなく、愛の完成のための出発であり、結婚は、ゴールではないということでしたよね。

では、この結婚がどんな数理性を完成しなければならないのかをご紹介します。

結論から申し上げて3数完成と4数完成のために誕生したとご紹介します。

Ⅰ  ①    夫👨婦👩

       ↙️   ↘️

Ⅱ  ② 男の子👦   女の子👧 ③

        ↘️  ↙️

Ⅲ     ④ 赤ちゃん👶  

上記のように Ⅰ では、夫婦👫(父母)が存在して、Ⅱ で私や結婚相手がいて、Ⅲ 私達が結婚して赤ちゃん👶を授かるという、3段階がある3数と、①夫婦👫、結婚する②男の子👦と③女の子👧が誕生して、その男の子👦と女の子👧が結婚して、④赤ちゃん👶を授かるという4数を各々完成しなければならないということです。

そして、Ⅰ~Ⅲの3段階の3数と①~④までの4存在する4数とを完成した時に幸せ😃💕になるということから、3数と4数とを合わせて7数となり、幸せ😆🍀な数としてラッキーセブンという私達が7数を幸せ😃💕の数の代表にして持っているのは、この法則から由来しています。

このように、数理性は個人にもあてはまり、元々個人にもこの3段階と4存在数は存在しており、7数完成で個人完成つまり個性完成を果たせばラッキー😃💕セブンとなるようになっている訳です。

Ⅰ       ①  私の誕生

         ↙️   ↘️

Ⅱ ②心の成長と完成❤️   ③体の成長と完成👣

         ↘️   ↙️

Ⅲ      ④個人完成、個性完成

 

個人完成には、成長期間があります。誕生してハイ完成ではありませんよね。

以前お話しましたように、動物などは、主に産まれる時に親のような姿で誕生します。それだけではなく、誕生してしばらくすると親のように立ち、歩いたり走ったり、人間とは、全く異なる誕生と完成をしますが人間の赤ちゃん👶は、親の体👣の8等身ではなく、3等身みたいな頭デッカチの姿で誕生して、約10ヶ月から1年位してから立ち上がりが出来るようになります。

このⅠ~Ⅲの3段階の3数と①~④の存在過程と存在の4数と合わせて7数完成となり、私達が誕生して心❤️の完成と体👣の完成が果たせれば7数完成でラッキー😆💕幸せになるということです。

このよう人間は、直ぐに大人ではなく、木の字に例えられているように、十と八つまり十八歳まで体👣は成長する段階があり、親の字にあるように、親とは、木の上に立って、つまり十八歳になるまで見ると書いて親という字となる訳です。親は、子供の成長は、18歳までとある?ようにも思えますが確かに体👣は18歳位が完成だとしても心❤️の完成は、18歳で個性完成?は完成するとは、言えません。

心❤️の完成、個性完成は、我々から言えば一生涯のような気がしますよね。

そうです。18歳が心❤️の完成基準ではなく、80歳位が心❤️の完成基準のような気がするのです。木の字にある本当の意味は、18ではなく、80(八十)と書いてあるのかも知れません。

じゃあ親とは、子供が80歳になるまで立って見る👀ことなのでしょうか?😁

しかし、よくよく考えると子供の孫つまり子供が80歳になって子供の孫が結婚する段階になるまで生きて、子供の幸せそうな姿を見届けるまで長生きしなさいとあるとするならば、結婚とは愛の完成のためだというのも理にかなってます。(いやいや大変だわ😁)

頑張って👊😆🎵いきましょう!👍

 

さて、本題に戻って人が成長するのも別の角度から検証するとゼロ歳から7歳までの幼児期間と7歳から14歳までの少年少女期間、14歳から21歳までの青春期間のように7数にも親から保護が必要な監視期間もあることを忘れないで頂きたい。

① ゼロ歳👶~7歳  幼児期間

② 7歳~14歳    少年少女期間

③ 14歳~21歳    青春期間

この3段階期間は、子供に愛を与える方法も異なるし、子供の成長も異なることです。

子供が大人となり結婚するまで愛を受けるという考え方は間違いではありませんけど、最近の中高年の引きこもりのように、子供が50歳親が80歳位になっても親が子を面倒みるちゅうのも、人が完成する意味からしておかしい⁉️と思います。

子供がパートナーと出会っていい年齢まで愛を受けなければ、子供がパートナーと出会っても愛する方法を知らないのでは、結婚しても子供が子供を育てるみたいなことになる事件のように、愛を受けていない子供は、結婚しても愛を完成させるための家庭、家族になろうとはしない訳です。

野生動物のように、子供が一人前になる頃までは、動物の親は、もう十分に甘やかせて育てるけど、親離れ時期になると親は、子供に噛みついたり、吠えたり、食べ物を分けないとか極端に冷たくなります。

人間は子供の親離れ時期になって子供に噛みついたりすることはなくとも、動物世界のように、親離れ時期までは、子供を愛するという面において学ぶ面はありますね。

以上のように、人は単に誕生して大きくなって大人になったら自然と誰かと結婚するだろうとか、しなきゃではなく、3段階や4存在過程のなどの完成と共に完成した7数をも得なければ完成とは言えないことなんです。

これが天地の法則ということです。

今日は、この辺で。

多くの皆さんが幸せになれますように

 

 

 


結婚 結婚する前に ③

2019-11-09 13:48:36 | 仲人からの一言

 

結婚に関するお話をお送りしています。

 

1、存在する創造過程と存在価値

 世の中には、直接関わることと、間接的に関わることの両者から存在しています。

直接と間接の差は今、目的意識の違いとか立場、状況の違いからの違いからであると思います。

●関わりと3段階の成長

 

蝶と花との違いは、明らかに植物🌷と昆虫というものですね。誰でもわかります。

蝶は、卵🥚から幼虫→さなぎ→成虫(蝶🦋)へと成長し、オスメスの交尾があり、卵🥚を産むという過程です。花は、種とか球根→発芽して茎、枝、葉をつけ成長→花を咲かせオシベメシベで受粉して種とか球根となる。

私がお教えせずとも小学校で学びますよね。

では、蝶🦋と花🌷との関わりは、どうでしたでしょうか?

蝶🦋そのものの存在価値と花🌷の存在価値は異なりますが蝶🦋の食物は、花🌷の蜜であり、花🌷の受粉する手段は、蝶🦋などの昆虫らが来ることで蝶🦋の体に花粉を付着させオシベは、メシベと受粉させることが出来るという関係制から成り立っているのです。

人間と花🌷や植物は、全く存在理由も異なりますが植物🌷は、人間に香りや色彩艶やかに色づくことで情緒など豊かにさせてくれます。

また、植物などは人が吐く二酸化炭素を吸収し、酸素を生み出します。

 

人間も大きく3段階的に成長する期間があります。

①細かく分けると胎内時期には、母体には、およそ10ヶ月とありますが受精してから10日で卵子が精子を受精し、生命の姿になる期間がある。

②およそ10ヶ月の間で男の子か女の子かにハッキリと分かれたり、双子とか三つ子とか区別されたり、それぞれ成長します。

③いよいよ誕生し、約100年生きて逝くようになる訳です。

このように3段階的に成長して終えるというシステムです。

     人間

  ↙️      ↘️

 昆虫   ➡️   植物

○ 人間も植物も昆虫も、光✴️と、水、空気(人間には、酸素。植物には二酸化炭素)が共通して必要であり、直接関係がなくとも、間接的に関わる関係にあるのです。

●人間が誕生した順番

今は亡くなられた物理学者 ホーキング博士など神(創造主の存在)に対し否定的なお考えだったようで筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくそくさくこうかしょう)になられたことからかも?知れませんけど、宇宙は、ビッグバンによってある宇宙の種みたいな根源が爆発し、その粒子のような素材から各々ガス状の天体から銀河が生まれ恒星とか惑星が誕生し、地球のような星に生命が・・・というように、誕生したのだ!という仮説を立てられました。

多く人類は、その中でも聖書の内容のように、元々は混沌としていて、神が光あれと言われたことから、光と影が生まれ、天の水と地の水とに分かれ・・・というように魚類や植物や動物、そして人間が誕生したとあります。

進化論では、人間は、そのバクテリアや動物などから進化して今に至ったとあります。

類似した形で実際は、人類は誕生したのかも知れませんが私達がテレビや本、DVDなどでアニメを見るとします。そこで企画した漫画家やイラストレーターは、そのアイディアをする際、宇宙や地球や背景の植物や動物などをイメージした後に主人公や周囲の脇役らをイメージ、企画するのでしょうか?

ポケモンならばピカチュウや他のポケモンをイメージし、イラストとして発想し企画する。

ワンピースならルフィを想像してイラストにし周囲の脇役らをイメージする。

背景などの街並み海賊船は、後であり、サトシ後でピカチュウやルフィが先であるわけです。あくまでも主人公が先ですよね。

そのように、私達人間の企画、想像する順番が主人公から想像するのですから、人間が偶然にこのような姿として誕生したのか?ということです。

人は、猿からの延長の進化した結果だと思う人も多いとは思いますが人は、そのように企画や想像する過程において主人公から始まり背景は、後という理論的に矛盾性はないため、この宇宙も人間まず想像されたということです。

但し、無の宇宙的な空間に突如人間が現れたとは到底考えられないわけですね。

死にます。やはり人間が暮らせる環境なくして人間が誕生したからと言って生きられるすべがなしには、存在は不可能です。

そこで夫婦に子供が授かって誕生を待ちわびていたとすると、男の子ならば男の子👦にふさわしい名前とか、服やベッド、オムツとか、ミルク、部屋、ベビーカーとか、地域の環境を良い所を探したりして、誕生を待つものですね。

そのように人間でさえ、何か魚類に足が生えて陸地に上がり・・・と進化してだけじゃなく、ある存在が人間という存在を思い浮かべたと考えられているということです。多くのキリスト教信徒らは、そのように信じていると言われています。

人間の女性に、卵子があります。月のものがある一定のリズムによって排卵もしますが精子と卵子には、他の動物たちの生態にも関係していると考えています。

○ 精子には、3種類があるそうです。

例えば△印が卵子と結合する精子 □印が△印が卵子と結合するための出入口を守り他の精子やバクテリアが入らないように守る精子 ◎印が△印が卵子と結合するために他のバクテリアと戦う精子の3種類いるそうです。

女性がその最初に男性と交わった精子から子宮を守られるからと、その後他の男性と交わっても良いのかというとそういう解釈は、間違いであります。

そういうことは、現代に至るまでは、科学的に無知でしたからフリーセックス的に交流したのかも知れませんが猫🐱を例えると、メス猫🐱は、初めてオス猫🐱と交わった後も複数のオス猫と交尾して子孫を残そうとします。

最初のオスと交尾を繰り返さないのは、猫の世界では、猫の病院がなかったからです。メスは、より血が濃くならないために、遠くのオスと交わって子を宿します。

また、初めて交尾したオスの柄が後々の交尾以降も誕生するのは、人間の女性の子宮のあり方と精子を受精したシステムを元に動物たちは、創られていると考えるのです。

子持ちの女性が再婚した際、不思議と元彼か元旦那の性格や顔の子も産まれることもしばしばあるそうです(ホントに?)がそれは、そのように人間の体に似せて動物たちは、創られているからです。

人間は、動物たちを見て可愛いと情がか流れるのは、形とか色が人間に好まれるように創られているからだけではなく、内臓の構造も骨格の作りも似て創られたからですね。

前回の五芒星を貴重した文化を作った人たちが5数を貴重しているのは、分かりますが人の手✋の指が5本でありますが両手では10本。足も指は片足では5本ですが両足で10本のように、片手で物は掴めますが、より大きなものやより重いものは持てない。また、片足だけでも前に進めない訳でもありませんし、立つことも可能ですが、より早く、より遠くに行くためにも長く立っていられるのも、両足であるためです。

前回時間の都合上欠けましたが五芒星を貴重する理由は、分かりますがパワー不足の歴史を作った、文明を築いてきたと言わざる得ません。

右利きとか、左利きでも構わないけれど両手、そして、両足が必要であり、人間は、四肢五体というように頭に対して胴体、両手、両足と5つ備わり、体も動脈静脈、肺も2つ、心臓も右左心とかペアシステムとなっています。

男👨と女👩も役割が違うだけであり、人間という形ではなく、愛の完成するにあたり互いに必要な存在だということです。

👨と👨とか、👩と👩では、種の存続は、不可能です。

結婚は、動植物の元となった人間が動植物もしない交わり方をすることは、創造本来の姿から離れている行動だと言わざる得ませんということですね。

 

多く皆さんが幸せになれますように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    


シン結婚 結婚する前に

2019-11-06 13:19:50 | 仲人からの一言

こんにちは!

改めまして、今回から正式に私がお伝えしたい結婚に関する内容へと突入します。

ここ昨今の投稿、前回も含めまして、少々無理やりっぽい内容ではありましたが明日にでも結婚をとお考えの方がいたとすると、いつまでもダラダラと予備知識段階をクリアして頂かないと前に進めないので、荒々しい投稿ではありましたが前回の投稿で私からご案内やご説明するに当たり、具体的な生活のあり方など学んで頂きたいと思っています。

ちょっと迷いもなかった訳ではありません。もっとスマートに!とか色々考えましたが、あるアニメの中で「勉強は、そのレベルに応じて初歩段階からゆっくり教えては如何でしょうか?」という先生の言葉に対して、「いいえ、そうはいきません。全体の流れが狂ってしまいます。人は本気で取り組めば覚えるものです。」と冷酷な扱いで教育するお話でした。一見、ホントに厳しく教育し過ぎるのではとは思いますが、あるドラマでも兄は覚えきれないのに、下の弟は、誰よりも優秀で、その兄など越えた才能があるという場面をも思い出しました。

結婚することに関しては特に、婚活が長いからとか年齢がこれくらいだから適齢期だとか関係ないものです。

まあ基本、二十歳以上ではありますが私個人的には、ズバリ言うわよ!的な私の話しは、高校生であろうが中学生であろうがある程度ブログを読んでおいた方が幸せな結婚へとなるお相手をスムーズ探せるのではないかと思いますね。

人生の目的も知らず、下手に時だけを無駄に費やして後手後手になるってこともありますから、前回までの投稿までは、分からないこともたくさんあることでしょうけどザーザーと読んで頂き、これからの章を読んで頂きたいと願っております。

多少は、前回までの復習も含めますが改めまして「シン結婚」と題して投稿致します。

 

本日は、これまで。

多くの皆さんが幸せになれますように。

 

余談

ホームレスの野良ネコ🐱ちゃんは、元気にしています。

日が暮れて朝方までが最近メチャクチャ寒い((⛄))ので、心配しています。

けど、ご安心下さい。何とか寒くないように工夫して保護しています。

元々の飼い主(本当は禁止されているのですが元飼い主は、エサだけはあげている様子なので、飼い主が来る度にまるで恋愛中の彼女みたいに、べったりくっついて元飼い主と去って行きます)がいるので適当に保護する程度しか出来ませんけど、毎日私らの周りに現れてはゴロゴロ。バイクで出かけようとするといつものように乗っかって「二ァ( ̄▽ ̄;)」と鳴かれたんじゃ、子供が私の席で寝ているようで、犬好きの私でもつい「可愛い」と思うものです。

そんかこんなで、ネコ🐱ちゃんは、元気してますです。

 


結婚 You 礼 (キミに、ありがとう😆💕✨)

2019-11-05 16:59:20 | 仲人からの一言

 

皆さん、こんにちは。

結婚に関するお話をお送りしています。

今日のタイトルは、You 礼(キミに、ありがとう)です。

 

私のブログをお読みになられて、「変なヤツだな」とか「アホと違う?」「何が結婚に関する話だ」とか「何が仲人だ」とか色々ご批判もあろうかと思います。

昨日の連載した結婚 幸せの鍵 ③なんかは、まるでフィクションじゃないか?とか色々ご意見も持たれたことでしょう!

本当は、④~⑥まで延長してお伝えしたかったんですがせいぜい③までにまとめないと、私がそもそもこのようなブログをお送りしている経緯を知らない皆様には、更に不信感を募らせるばかりになるだけなので、三段階までに終わらせて頂きました。

また、今日は、そのキッカケとなる経緯について少しだけご紹介しようと思ったので予定を変更しましてお送りします。

 

You 礼(キミに、ありがとう)のYou 礼とは、何かというと直ぐお分かりになられまでしょうけれど、そうです「幽霊」のお話です。

もうすっかり秋らしくなりましたのでシーズンオフということで漸くお話できそうなので企画しておりましたので作成しています。

私が結婚に意識持ち始めたキッカケは、去ることながら50年ほどの前の出来事から始まりました。

当時私は、小学1年生。普通の家庭で育ち豊かな暮らしではなかったけれど、思い返すと普通の子供だったと思います。多分。

住まいは、団地でした。団地の4階建ての3階に住んでいました。

父母と姉、そして私の家族構成で、小学1年の新年に初夢(元旦のその夜。つまり2日に入った未明に当たる日)に何を見ようか?という姉の話から始まり、私は、やはり富士山🗻が見たいなぁと思って、枕の下に富士山🗻の絵を描いた紙を敷いて寝たことが全ての始まりでした。

皆様は、初夢に何を見ようか?と子供の頃にまあ、夢に対する夢?というか願いですか?そういう気持ちで望んで楽しんだ経験っておありですかね?

そういうことで、我ら姉弟は、良い初夢を見ようと元旦の夜は、そういう話をしながら眠りについた訳でした。

 

何か初夢に見られた方いらっしゃいますか?どんな夢でしたか?覚えていますか?

何も見なかった?どうでしたか?

私は、その初めて見ようといや、見てみたい初夢の体験をしてみたい思いで胸膨らませ、まるでお年玉への期待する思いのような気持ちでワクワクしながら寝ました。

 

ところがご想像通り良い夢ではありませんでした。

別に怖かった!とかではなく、ん、ん、ん?という気持ちになった夢でした。

どんな夢だったかというと・・・、

私が小学校へ登校するために出掛けようとすると豪雨に遇い、徒歩で登校出来ないくらい状況は芳しくなく、バスで登校することになりました。

いつもの登校する道ではなく、普通たまたま友達と自転車で(当時自転車なんか私は持ってません。子供用自転車なんぞ買ってもらえる経済的余裕がない家庭だった。どちらかというとトトロのカンタみたいな少年で、大人用の自転車に小さい体で股がり自転車をこぐようなイメージの私でした)行く位、めったに通らない道をそのバス🚌が学校へと向かう夢を見るんです。

そのバス🚌の窓から見る景色は、台風なみの豪雨でした。

うまく学校まで着くのだろうか?という思いが私の心の中を覆い、豪雨と風に打たれる家々をバスの窓から見ながら、ただ不安と何とか行かなきゃという思いで乗車していました。

しかし、天候は更に悪化し私が乗ったバスは、もうそれ以上進めない!いや、進めば危険だということで乗客(小学校生徒は、私だけで他の人は、高校生や中学生や一般の大人の乗車が多かった。)全員、運転手含め下車してバスが停車した場所から近い国鉄(今のJR線)の線路沿いに建つ神社の建物の中へ走って行き、雨宿りすることになります。

その神社は、私が小学生から習い始めたそろばん塾(実は姉が先に習っていた)をしていた神社でした。(夢って自分が体験したことから見るっていう話もあるようにその類いだと言われるかも知れないけど)

その神社へ着くといつもと違う暗~い部屋となっており、簡単なイメージでいうと部屋の真ん中から上全部がマンガでいうたて線がいっぱい入ったかのような雰囲気になった部屋でした。

私や運転手をはじめとする乗客全員は、その神社でしばらく雨宿りしていると、ふと気が付くと私の前に1人の女の子が立っていて、私を見ているんです。

最初は、たまたま立っていて、こちらを偶然見ているだけだと思っていると、周りの避難した人は、それなりに動いていて「まだ止まないかなぁ」とか「どうなるの?いつまで降るのかな?」とか不安な気持ちを押さえられずに話しているのにも関わらず、その女の子は、無言でただじっとこちらを見て立っているんです。

この話はあくまでも夢の中ですがもう何か急に気になって誰?何なの?とその女の子を見ると顔が全く見えないんですね。

マンガでいうと、「不満を感じて文句を言うために立っているキャラクター」のように、顔の話から上の額部分の前髪が降りた所までが真っ黒で、何か言いたそうな雰囲気の顔の表情をした女の子の顔なんですね。

全く顔の表情が掴めないんですけど、何か言いたいことは推測出来るんです。小学1年生の私でさえ、それくらいわかるんです。

その女の子が何か言いたいことはわかったけど、その子は誰?という疑問は、消えないので私は、更にその女の子の見えない表情を見ようと目を細め見つめると、ピーンとその女の子のことがわかったんです。

姉でした。実は、その時は判らないんですけど、私には今の姉の上にもう1人の姉がいたらしく、我ら姉弟が誕生する前に病気で他界したそうなんですね。その長女の姉だったんです。

表情が見えない女の子を見ている内に「あっ、お姉さん?」と気付いたんです。

不思議ですよね!顔なんかよく知らないのし、夢の中の女の子の顔の表情が見えないのに「お姉ちゃん?なの?」と分かるんですね?不思議です。

そこで夢から覚めるんです。

それが初夢でした。

 

それが?って思ったことでしょう?それだけなんです😃ホントにそれだけです。

夢は。

何か初夢ってこんな何とも表現出来ない夢も見るもんなんだと小学1年の正月は、複数な味のする物を食べたような、ん、ん、ん~しか言えない気分でした。

 

その後あの夢は一体何だったんだ?と時々考えるようになりました。

その内小学2年生を向かえ、ある夜🌃のことでした。

その日も何もない普通に小学生していた日の深夜でした。

私が寝ていると何かうるさくて寝れないんです。何の音だと思って目を覚ますと横で寝ていたはずの姉がいなくて、あれってどこに行った?と思い窓際を暗闇の中で見ると、窓際に父母と姉が立っているじゃないですか?

そのうるさくて目が覚めた音は、ずっと鳴り止まずうるさい👂💥ままでした。

どうやら父母と姉が窓から外を覗いて見ている外からどうやら鳴っているようでした。

さすがに寝ていた私も目が覚めた音の原因が外ならば、父母と姉がその原因とやらを見ているとすれば、私も知りたいし、大体暗闇の中で父母と姉の3人揃って見る意味も知りたいじゃないですか?それで、私も布団から出て父母と姉が立っている窓際へ行きました。

父母と姉の腕の隙間に割り込んで窓際から外を覗いて見ると、何と、何と、何と、

普通のいつもの夜景でした。

えって、思ったんですが家族4人がうるさくて目が覚めた音の原因を見ているはずなのに、その風景は、普通のいつもの夜景でした。

私は、逆に驚いたんです。

音はするんです。うるさい👂💥くらい。

では、遠くからその音が鳴っているのかなと思っても、その見える普通のいつもの夜景の中にある目の前にある前景なんですね。

では、どんな音が鳴っているだと思って耳を澄まして音へ集中すると「ザク、ザク、ザク、ザク」と行進する足音でした。

それも何千人というくらいの足音の行進の音。

そんな音が目の前から聞こえているんです。何もない。普通のいつもの夜景なのに。

私は、父母に、姉に「どっから聞こえるの?何で足音のなの?」と尋ねました。

そうすると父が「お前も聞こえるのか?」と逆に質問され、姉も「○○ちゃんも聞こえるの?」と尋ねられました。

私は、父と姉に対して「うん」と返事をしました。

その返事をした瞬間に、たった今まで聞こえいた沢山の軍隊の行進するような足音が反対側の方向から聞こえるようになり、私達家族4人は南側の窓際に立っているんですが今度は、どうやら北側の方向から聞こえ始めましたので、家族4人は、一斉に北側の窓際へ駆け寄って行きました。

家族4人が鳴っていた北側の窓際に到着すると、今度は、また南側の方向から聞こえ始めました。

「えっ?」って家族4人が呟き、慌てて音が鳴っていたはずの北側から急いで4人共に家族4人が慌てて音のする方向の南側の窓際へ駆け寄って行くと、音はピタリと止まり、また北側の方向から聞こえ始めました。

「えっ!?」って家族4人が呟き(これは、コピーしているのではありません。ホントに体験した話です)、家族4人は、慌てて北側の窓際へ駆け寄って行きました。そうすると今度は、南側からも音は止み、勿論たどり着いた北側からもピタリと行進する足音はしなくなりました。

私は、その後北側に行ったり、南側へ行ったり数回繰り返しましたがそれ以来音は鳴らなくなりました。

いつもの普通の夜に戻りました。

 

家族4人しばらくは、黙ったまま暗い部屋にテーブル(コタツ程度のテーブル)の前に気が抜けたような感じで「ふゥう」ってため息🙍を吐き腰かけました。

沈黙がしばらく続きました。

しばらくして、私は、眠くなりましたので先に布団に潜り込み寝ました。

そして、朝となり、私は目を覚ました。目を開けると深夜に何もなかったかのような雰囲気の普通の朝でした。

夕べは一体何だったんだ?と思いました。床から起き上がり先に起きていた父母や姉に「夕べ、あれって何だったん?」と尋ねました。

しかし、父母も姉も黙ったままでした。

何度も「ねぇ~」と尋ねましたが返事はなく、姉は、痺れを切らしたように「うるさい😭‼️」とキレました。その何とも言えない怒り😡に、もう気にするな!と言ってるんだなと察して、私は、それ以上尋ね返しませんでした。

その後、いつものような朝で普通に登校日だったので学校へ行き、その日何もなく、普通の小学校の授業を受け普通に帰宅🏠👣しました。

やっと自宅前に着いた時、団地でしたので下の階段前に着いたら大人たちが世間話して4人位でしたか立って井戸端会議していました。

ま、普通かも知れないんですが日曜日でもないし、共働きが多く大人4人が井戸端会議する風景って逆に珍しく、私は、何だ?と大人の会話に耳を傾けてつつ井戸端会議する大人の側を歩いて通ると、「○○○さんがね~」と聞こえました。

その○○○さんは、私が住む斜め左上↗️に住む方でした。素通りするつもりでしたが○○○さんとなれば何、何、何?となり、そのまま家に帰るのも気になるので、井戸端会議する話を聞いていると、○○○さん宅のご主人(老夫婦が住んでいました)が夕べ深夜に亡くなっていたと、いう話でした。

私は、それを聞いて😢👂💦「それって」と思ったんです。

そう、夕べ深夜に家族4人が目が覚めたほど鳴っていたあるはずのない、いるはずのない軍隊らに連れて行かれた?んじゃないかって?ピーンと思ったんです。

私は、戦争を知らない子供たちの1人でしたが初夢の姉も見えない軍隊と戦友だった人を迎えに来たことと、「死」は、死ではない。と気付きました。

 

それからというもの学校からの帰路は、「どうしたら皆、幸せになるんだろ?」と考えながら歩いて帰ることが続きました。

そんなある日、同じように「どうしたらみんな、幸せになるんだろ?」と思った時に「愛することだ!」と私の心の中に語りかけた存在に気付きました。

私は、驚くことなく「そうなんだ。愛することなんだ!」と思いました。

 

そうして小学2年生から「みんな、愛すること」「みんな、愛すること」と反復する毎日になりました。

みんな、愛することなのぞ、知る訳ないのに。またその愛することの意味すら知らない内に愛する実践も詳しく調べもせず、私は「とりあえず親を愛することだ。親愛するって、親に心配させてはならない。親のお手伝いを少しでもして返すことだ」と思いましたので、家事の手伝いを子供ならではであっても亡き姉の分までもしてあげよう!そんな悔やみはあるよね。特に姉ならばお母さんを助けたいし、代わりに孝行して欲しいよねって願い、きっと私の夢の中に入って来たのに違いないと思いました。

 

そうしてしばらくして、ある日教室で授業の前の休憩時間、先生が授業時間でもないのに、教室入って来て私の所に近づいてきて、私に「早く帰りなさい」と言いました。まだ一時間目も開始していないのに帰れとは何かと思えば、父が交通事故に遇ったそうでした。

私は、驚いてどうしたらいいのかわからなかったんですが6年の姉と共に、学校の先生が父が運ばれた病院へと連れて行って下さり母と合流しました。

父は出勤する中、信号のある交差点から会社へ向かう道へと右折するため、スレ違う前方からの車がなくなるのを待機して停車中に、父の車が右折出来るのを待機して停車しているのにも知らず、脇見運動したトラックが後方から追突したそうでした。

父は、近くの救急🏥🚑病院へ運良く素早く運ばれ手術を受けられることになり、助かりました。

その後経過も良好で早く退院出来ました。

父は、退院して直ぐ事故に遇って、あの世と言われる所(臨死体験)を見たそうでした。川が流れ、お花畑が広がり、川の向こう岸には多くの人たちが立っていて、なんとなく懐かしい人たちで、父を呼んでいるそうなんです。

あまりにもあまりにも懐かしいし、行きたいなぁと思った瞬間「お父さん!🌠」という母の声がして振り返った瞬間、目が覚めたそうなんです。

私は、そんな話を聞いて「そうか、何か意味あるなあ!」と思いましたね。

 

そうして、母のお手伝いを中心に母が楽になれるように、団地の毎月の外掃にも交わり、小学生の自分には母の代わりにはならないけれど、中学生になれば大人と変わらないほど外掃でも活躍して母を助けたいと思いました。そういう小学生でした。

ところで、初夢に現れた姉の話ですが小学1年生の正月だけではなく、その後中学2年の正月(つまり3年生になる正月)まで毎年、全く同じ内容を初夢に見るようになりました。

毎年毎年正月の夜には、今年こそ富士山🗻の夢を、せめて他の夢でもいいからと願い、富士山🗻の絵を枕の下に敷き寝るのですが、毎年毎年毎年全く同じストーリーでした。

さすがに2年生の正月の夢も同じストーリーにギブアップ。亡き姉に向けて仏壇に手をあて祈りましたね。「勘弁して下さい」って。

何か伝えたいことあることは、随分前からわかった方だと思います。それでもまだ何か伝えたいことあるなら、詳しく教えて下さいとお祈りしました。

そうして翌年から姉の初夢は見ることはなくなりました。

 

しかし、中学3年生の秋に祖父が他界しました。

それから実はもっと人生を変えるほどの不思議な体験が多くなりましたがそのお話はまた、改めてお伝えすることにして、その幽霊👻との出逢いは、続けて行き、私は、二十歳頃には宗教の無能化をまざまざと知らされることとなり、如何に人は死者の真実の姿を知らない人が多いのかを知りました。

葬式で供養されているはずの彼らの姿すら知らない坊さん。何の意味もない供養をして頂くものはしっかり頂戴するエセ坊さんばかりに失望していました。

私は、高校となる頃から真剣に愛のことを考えるようになり、子供の頃みんな、幸せになる方法って何かと思った時に「愛することだ。」と語って来たその愛するとは何かを知りたくなりました。

まあ一般的に愛するというと大人のお話になり18歳未満禁止みたいなエロチックな内容を連想したと思われたでしょう?

それくらい違うことはわかりますよ。だから高校で恩師に「愛って何ですか?先生!」と質問した位です。

先生は、私の質問に応えてくれて、「おい、これを読め!」と薦めてくれた本がありました。

その本は、単なる恋愛の詩でした。

私は、恩師の薦めてくれた本だから、間違いなく真実の愛を知ることができると期待していましたけど、単なる恋愛の詩でした。😂

 

そうして、充てにならんもんだと知らされた私は、少年から青年へと成長していきます。

 

このように(かなり中身は削りました、私的にです)、あるきっかけからある所からある答を得て、死者は死なないことを知り、その死者たちの無念さを知り、悟り、何とかしてあげようとした時に「愛することだ。」と教えられ私は、あれからもずっと同じ気持ちで生きて来ました。

下手ですけど、特に彼らと出会ったことで人に優しく出来る自分になり、妻や子供にも恵まれ、豊かな暮らしではないけれど、自分たちから変えてみせる‼️思いで、苦しいことがあっても感謝し、家族が辛いこと😢🌊があっても励ましてあげられる自分になり、全てがありがとう!ありがとう😆💕✨と思える人生となっています。

たくさんの苦しむ霊たちの実態を知る度々に、「私らの代わりに苦労されたのだ!」と思って、しっかりとその哀れな姿から目を背けず受け止め、学び、まるでしくじり先生と思って学んでいます。

 

結婚出来ないと嘆く前に、結婚出来ないまま他界し苦しむ霊たちを知って欲しいと思っています。

時が止まったまま。ずっと前から苦しい世界の中に生きている霊たち。

彼らの分まで頑張って👊😆🎵結婚して、頑張って👊😆🎵二人で乗り越えて、頑張って👊😆🎵仲良く暮らし、彼らが果たせなかった結婚生活の分まで幸せ😃💕を掴んで頂きたいものです。

 

多くの人たちが幸せになれますように、お祈りします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


結婚 幸福の鍵 ③

2019-11-04 17:12:14 | 仲人からの一言

幸福の鍵 第3部

皆さん、こんにちは。

連日のテーマ、結婚 幸福の鍵の続きをお送りしています。

 

我々が暮らす環境には、使用目的がない物はありません。

食器や家具、電化製品、車、飛行機や様々な日用品も野菜や果物、家畜からペットに至るまで、存在目的があり人間に直接であれ間接であれ全て、人間のために存在しているものと考えるべきでしょう。

イジメを平気で行う人や命までも奪う人達は、都合の良い解釈、判断で傷つけたり奪ったりするだけで、その真の存在価値、存在目的はあるのです。

イジメなど平気で行う人などは、最低被害者のご両親の気持ちをまず全く無視し、必要のないようなことを吹き込み、被害者自身の人権や権利などを無いものかのように洗脳する。

被害者のご両親にとっては、かけがえのない大切なお子さん。手塩にかけて育てた思い出までも否定するとっても悪い子ちゃんです。

被害者の未来は、その時点ではまだ開花されていないだけで被害者本人すらまだ知らないほど。

例えるならば「みにくいアヒルの子」のようなものかも知れませんよね。

雛鳥の頃には、保護色で醜いように見えるかも知れませんが成長すれば白鳥になることもある。

野鳥の鳥などのメスは、オスとは異なり生息地域に異なりメスは、オスより派手さのない地味な色をしていたりします。

なぜ?

それは、卵を暖め守らなければならないからです。種類によっては鳴き声まで違う場合もあるものです。

醜いからとその加害者らは判断したりするようですが、意外や意外、秘めたる才能があるものです。

現にイジメられっ子の中には、芸能界で華やかに活躍する人も少なくない。

そのように直接的に関係性や存在理由がわからなくとも、偶然はなく、必然的に価値や目的は必ずあるものです。

 

それでは、歴史にも目的があるのでしょうか?

人間自身は、自身の価値そのものに対して、全く判らないかも知れませんが宇宙含め全てに規則性や秩序があることを発見したり、人間がその利用価値を探ろうすれば、人間にとって必要なものばかりがありであることを発見します。

 

歴史とは、人類が生き様々な活動した結果にしか過ぎないことのようですけど、人間自身を通して働こうとされない何かコントロールするチカラがある。

なぜ、人類に直接的に働かれないのであろか?

人間自身に間接的でも働かれるその存在、。つまりその森羅万象など宇宙全てを創られた創造の起源主を「神」と呼ばれる。

数学的に例えるならばプラス圏とマイナス圏の中和、調和された存在ゼロとも呼ぶし、地球上で地域民族的の違いから真とか、アラーとか呼ぶ人もいる。

このブログの中で分かりやすい表現として「神」と表せて頂きますが、その神が直接コントロールせず間接的に導くのは、なぜなのか?その意味をしっかり説いておきたい。

宇宙森羅万象全てを司る神が人間ごとき存在をもコントロール出来ない訳がない。歴史そのものも結果的に意味なく綴ってきた訳でもない。

 

もしも、人間を直接コントロールしたとするならば、多分人間は、その神の存在自体を恨むであろうと思います。

物を作り暮らす中で、拘束され生きていたとしても、イジメではないがある強力な支配下での生死は、きっと地獄のような味わいを感じ暮らし続けていくしかないものです。

その人類歴史は、歴史であっても地獄絵巻ですから、例えどんなに長くとも幸福ではないので、人類にとって「未来」という光輝く理想など夢にも出ない価値となるしかないです。

例え、素晴らしい人類の環境を人類の手で自ら理想郷を作ったとしても、達成感はなく、味気ないものにならざる得ないことでしょう。

創造主は、人間に間接的に働かれるシステムを創られた理由は、創造主ゆえに、「創造性」「繁殖性」「管理性」を与え他の存在と違うように創られた故に、そこにあると言わざるを得ません。

人間に達成感や感謝し、暮らす姿を見たかった、共に喜びたかったという説を解かなければ全ての理由を埋める理由がないのです。

 

それで、例え第二次世界大戦などのような人と人との殺戮をも繰り返したどり着く先々だとしても、人類自らがある悟り改めることをする行為を通して、歩ませる意味が歴史という内容に含まれる理由は、「色々あったけど自らたどり着いた」という達成感のためにあるということです。

 

川には水が流れ、我々は船でその川を下るけれど、自ら上手くこぐことにより、その水の利便性やまたその水に溺れるという恐ろしさを乗り越え、下るならば、その船の利用は、直接泳ぐよりも楽だし、楽しいことを知り、いつしか海へと流れ着くことを知ることでしょう。そのようなものです。

 

歴史の中で、人類にとって本当に危機が迫っている時に、創造主である神は、遣わす者を通して大河から大海原へと無事にたどり着けるよう送られる時に、その遣わされた者の声に耳を傾け、自らの手で舵を切り直すならば、創造された本来の世界へと流れ着くことができることだと気づくことが大切です。

 

環境問題解決にしろ、このままじゃヤバい!何とかしなきゃと気付きつつも、目先の欲望に惑わされてしまうのではなく、我々の本来の目標は、創造したお方の目標に向けていくべきだと示す方の指先を見つめ、互いに協力して共にたどり着こう!ということです。

 

振り返ると日本には、第二次世界大戦終戦からおよそ400年前にフランシスコザビエルという方がキリスト教を正式に伝えに来ました。

その時鉄砲という武器も伝わった(猟のためにだけ使用するように教えなかったキリスト教の失敗)ことにより、織田信長が鉄砲による戦が主流となり天下統一という野望を抱くこととなるが結果は皆さんご存知の通り信長は殺され豊臣秀吉が引き続き、結果徳川家康が天下統一を成すこととなるがこれも明治維新により廃幕となりその80年後のフランシスコザビエルから400年頃結果キリスト教文化圏ににり、今の民主主義国家となりました。

織田信長は、新しい首都創りには、新しい宗教が必要であり、その万民のチカラを手に入れる者こそが天下統一となるという考えから自らを神と呼び図ったものと考える方が歴史的に融合すると私は、思います。

 

このような類似したスパイラル的歴史は、フランシスコザビエルが来るおよそ400年前にも鎌倉幕府時代に日蓮とい人が幕府に要望するが鎌倉幕府は日蓮を殺害しようとしたことにより、1つとなれず第二の奈良を目指していた鎌倉幕府(鎌倉大仏 奈良の大仏と同じように創られたとあるが後に水害に遇い大仏を取り囲む物を流されて今の鎌倉大仏となったらしい)以降平安時代位まで大きな文明の発展はなかった。しかし、フランシスコザビエルが来ることにより歴史が変わっていった。

奈良という都市構想は過去ダメになったが鎌倉に奈良の大仏を作り、奈良には京都以上に寺がある(金閣寺などもそう)ように、鎌倉に大きな宗教都市を築こうと目論んだことに唾を吐いた日蓮が目障りとなって逆に民は分裂し、新都市構想は梅雨と消えたという意味の歴史ですね。

徳川家康は、毎日の愛読書として鎌倉時代の史実を読みあさったと言われています。どのような都市創りをしたら良いのか考えたと思われます。

ですから水戸光國らは、このことから江戸の歴史をもキチンと記載し後々の子孫のために資料を作り始めたとも言われていますよね。

明治維新には、その意味から京都から関東に移す際に、地名を東の京都として、名前を改名することで、京都をコピーしましたよ!と国民に知らしめ、安定感を保ちたかったし、政治には次の新幕府に豊臣家の家紋を用い、天皇と共にある政府をイメージさせて、ダブル安定感を与えた知恵は、多分西郷隆盛らのチカラだったりして!?と思います。

 

また、同様のスパイラル的歴史は、遡ることその日蓮が活躍するおよそ400年前の頃にも空海という方がいて、今の奈良に京都以上の都市創り計画がなされ、首都には(つまり京都)当時宗教があったが宗教力がなくなり、天皇のチカラがなくなりつつあったのではないだろうか?と思います。

今の奈良をご存知の通り、そりゃあお寺がものすごい多い。奈良の大仏様みても、あの豊臣秀吉や徳川家康も奈良の大仏にエライ金だしていたくらい宗教のチカラは、無視できなかったのでしょうね。

このように第二世界大戦終戦から遡る1200年前に空海は、新政府構想に当たり新しい宗教を学んで来るように依頼され今の中国へ渡りインドまで行って学んで帰っできたにも関わらず、空海の才能を理解しなかった者たちは、帰国した空海を京都へ帰郷をも許さず、今の福岡県太宰府にて待機させていたそうで、結果空海が苦労して持ち帰った密教は、奈良には用い得ず和歌山県の山中に空海が修行させる場所を許可したという結果となりました。

 

その空海の時代から遡ってもハッキリとした日本史は漠然としており、私は、日本史に限らず世界の中の日本という観点に戻り、その前は世界ではどうなってたんやろうねぇーと言うことで、ザ~と世界史を見下ろすと、結論からしてイエスキリストがいたローマ時代の中でキリスト教が誕生し、ローマ帝国も東西分裂した400年、キリスト教統一国家までの約400年の合計800年だったということです。

 

世界史は、この2000年分見下ろすならば、結局ローマ時代イエスキリストを殺害したローマ帝国は、そのキリスト教信徒らのチカラにより東西分裂となり倒れ、後々キリスト教王国が生まれ、西欧に広かったキリスト教も分裂し統一国家として倒れキリスト教は世界へと旅立ち始めた頃に、空海が現れ、日蓮が現れ、日本にもキリスト教が到来し、織田信長によって受け入れ始めたかのように思える場面もあったが豊臣秀吉や徳川家康らによって拒否された宗教ではあったがイエスキリストの死後から約2000年を迎えようとする頃には江戸幕府も倒幕し、キリスト教文化を築いていたイギリスの支援を受けキリスト教文化を受け入れていたが第二世界大戦勃発と共にキリスト教文化は一旦否定されてはいた日本も、結局第二世界大戦終戦には、アメリカという建国300年足らずの国によって敗戦し、そのアメリカのキリスト教文化圏の支援と日本の努力なども含め結果イエスキリストが殺害させてから2000年後には、きらびやかな経済発展を成し、摩天楼のビル街、鉄道、通信など西欧、アメリカなどのキリスト教文化圏の中にスッポリとのめり混んで、当たり前かのような顔している今の日本と日本人であるということです。

 

私達の「幸せの鍵」とは、結論的に、宗教なしに未来はない・・・ということです。

しかし、以前の投稿でも明らかにしましたように、宗教がチカラを失っている。

特にキリスト教自体がチカラを失うことから他の宗教もチカラを失って来ている。

他の宗教がチカラを失っている理由は、元々他の宗教には、キリスト教文化圏とは、違い文化の発展の遅れが際立て遅い🐌💨💨。

これが経済発展の格差をモロに見せつけられ、遅れを取り戻せと思うほど途上国にとっては、キリスト教文化圏に入りたいというのは否定できない。

しかし、キリスト教のチカラが低迷している原因は、アメリカであれ日本であれ、韓国であれイギリス、フランスなど含めてですが、青少年の育成問題で先ず、問題点が多いことです。

地球上には4分の3が宗教をしている人達であると言われています。

その中で分派は別にして、問題なのは四大宗教。

その四大宗教は、イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、キリスト教ですが、内イスラム教、ユダヤ教、キリスト教は、元々祖先は、アブラハムという民族の先祖を持ち、神の呼び方は違うけれども、天地創造の神を崇めていることです。

そして、そのイスラム教圏、ユダヤ教圏、キリスト教圏はあるんだけれど、国境を越え経済面からして、この3つの宗教を信じる人らが世界中のお財布👛だと言われていることです。

 

この点も含め私達の幸せの鍵とは、やはり宗教を除いてはあり得ます?あり得ない?どちらでしょうか?

そう、あり得ないということですね。

 

結婚をしましたよ!とかします!とかも大切ですが、明日どうなるの?も気になることですよね。

青少年の教育問題は、先ほどキリスト教文化圏が問題と言いましたが本当は、どの宗教圏でも同じように問題になっています。

つまり青少年の犯罪が多発しいるのと、低学年化しています。

結婚して、あなた方にも子供を授かっても、安心出来る環境であればよいのですが、どうやらそうならない、方向がチラホラ見え隠れしています。

日本も積み木崩しという実話をもとに制作されたドラマがありましたように、青少年の教育問題は、日本のみならず各国が苦戦中のようです。

 

私の結婚をすることの意味を考えると言うベビーなイメージと捉えるのも仕方ないことでしょうが未来をどうする?も考える結婚をすることは、やはり大切だということでしょう。

 

このような観点、視点で結婚を考えるブログです。

皆さんが幸せになりますように。