皆さん、こんにちは。
結婚に関するお話をお送りしています。
今日のタイトルは、You 礼(キミに、ありがとう)です。
私のブログをお読みになられて、「変なヤツだな」とか「アホと違う?」「何が結婚に関する話だ」とか「何が仲人だ」とか色々ご批判もあろうかと思います。
昨日の連載した結婚 幸せの鍵 ③なんかは、まるでフィクションじゃないか?とか色々ご意見も持たれたことでしょう!
本当は、④~⑥まで延長してお伝えしたかったんですがせいぜい③までにまとめないと、私がそもそもこのようなブログをお送りしている経緯を知らない皆様には、更に不信感を募らせるばかりになるだけなので、三段階までに終わらせて頂きました。
また、今日は、そのキッカケとなる経緯について少しだけご紹介しようと思ったので予定を変更しましてお送りします。
You 礼(キミに、ありがとう)のYou 礼とは、何かというと直ぐお分かりになられまでしょうけれど、そうです「幽霊」のお話です。
もうすっかり秋らしくなりましたのでシーズンオフということで漸くお話できそうなので企画しておりましたので作成しています。
私が結婚に意識持ち始めたキッカケは、去ることながら50年ほどの前の出来事から始まりました。
当時私は、小学1年生。普通の家庭で育ち豊かな暮らしではなかったけれど、思い返すと普通の子供だったと思います。多分。
住まいは、団地でした。団地の4階建ての3階に住んでいました。
父母と姉、そして私の家族構成で、小学1年の新年に初夢(元旦のその夜。つまり2日に入った未明に当たる日)に何を見ようか?という姉の話から始まり、私は、やはり富士山🗻が見たいなぁと思って、枕の下に富士山🗻の絵を描いた紙を敷いて寝たことが全ての始まりでした。
皆様は、初夢に何を見ようか?と子供の頃にまあ、夢に対する夢?というか願いですか?そういう気持ちで望んで楽しんだ経験っておありですかね?
そういうことで、我ら姉弟は、良い初夢を見ようと元旦の夜は、そういう話をしながら眠りについた訳でした。
何か初夢に見られた方いらっしゃいますか?どんな夢でしたか?覚えていますか?
何も見なかった?どうでしたか?
私は、その初めて見ようといや、見てみたい初夢の体験をしてみたい思いで胸膨らませ、まるでお年玉への期待する思いのような気持ちでワクワクしながら寝ました。
ところがご想像通り良い夢ではありませんでした。
別に怖かった!とかではなく、ん、ん、ん?という気持ちになった夢でした。
どんな夢だったかというと・・・、
私が小学校へ登校するために出掛けようとすると豪雨に遇い、徒歩で登校出来ないくらい状況は芳しくなく、バスで登校することになりました。
いつもの登校する道ではなく、普通たまたま友達と自転車で(当時自転車なんか私は持ってません。子供用自転車なんぞ買ってもらえる経済的余裕がない家庭だった。どちらかというとトトロのカンタみたいな少年で、大人用の自転車に小さい体で股がり自転車をこぐようなイメージの私でした)行く位、めったに通らない道をそのバス🚌が学校へと向かう夢を見るんです。
そのバス🚌の窓から見る景色は、台風なみの豪雨でした。
うまく学校まで着くのだろうか?という思いが私の心の中を覆い、豪雨と風に打たれる家々をバスの窓から見ながら、ただ不安と何とか行かなきゃという思いで乗車していました。
しかし、天候は更に悪化し私が乗ったバスは、もうそれ以上進めない!いや、進めば危険だということで乗客(小学校生徒は、私だけで他の人は、高校生や中学生や一般の大人の乗車が多かった。)全員、運転手含め下車してバスが停車した場所から近い国鉄(今のJR線)の線路沿いに建つ神社の建物の中へ走って行き、雨宿りすることになります。
その神社は、私が小学生から習い始めたそろばん塾(実は姉が先に習っていた)をしていた神社でした。(夢って自分が体験したことから見るっていう話もあるようにその類いだと言われるかも知れないけど)
その神社へ着くといつもと違う暗~い部屋となっており、簡単なイメージでいうと部屋の真ん中から上全部がマンガでいうたて線がいっぱい入ったかのような雰囲気になった部屋でした。
私や運転手をはじめとする乗客全員は、その神社でしばらく雨宿りしていると、ふと気が付くと私の前に1人の女の子が立っていて、私を見ているんです。
最初は、たまたま立っていて、こちらを偶然見ているだけだと思っていると、周りの避難した人は、それなりに動いていて「まだ止まないかなぁ」とか「どうなるの?いつまで降るのかな?」とか不安な気持ちを押さえられずに話しているのにも関わらず、その女の子は、無言でただじっとこちらを見て立っているんです。
この話はあくまでも夢の中ですがもう何か急に気になって誰?何なの?とその女の子を見ると顔が全く見えないんですね。
マンガでいうと、「不満を感じて文句を言うために立っているキャラクター」のように、顔の話から上の額部分の前髪が降りた所までが真っ黒で、何か言いたそうな雰囲気の顔の表情をした女の子の顔なんですね。
全く顔の表情が掴めないんですけど、何か言いたいことは推測出来るんです。小学1年生の私でさえ、それくらいわかるんです。
その女の子が何か言いたいことはわかったけど、その子は誰?という疑問は、消えないので私は、更にその女の子の見えない表情を見ようと目を細め見つめると、ピーンとその女の子のことがわかったんです。
姉でした。実は、その時は判らないんですけど、私には今の姉の上にもう1人の姉がいたらしく、我ら姉弟が誕生する前に病気で他界したそうなんですね。その長女の姉だったんです。
表情が見えない女の子を見ている内に「あっ、お姉さん?」と気付いたんです。
不思議ですよね!顔なんかよく知らないのし、夢の中の女の子の顔の表情が見えないのに「お姉ちゃん?なの?」と分かるんですね?不思議です。
そこで夢から覚めるんです。
それが初夢でした。
それが?って思ったことでしょう?それだけなんです😃ホントにそれだけです。
夢は。
何か初夢ってこんな何とも表現出来ない夢も見るもんなんだと小学1年の正月は、複数な味のする物を食べたような、ん、ん、ん~しか言えない気分でした。
その後あの夢は一体何だったんだ?と時々考えるようになりました。
その内小学2年生を向かえ、ある夜🌃のことでした。
その日も何もない普通に小学生していた日の深夜でした。
私が寝ていると何かうるさくて寝れないんです。何の音だと思って目を覚ますと横で寝ていたはずの姉がいなくて、あれってどこに行った?と思い窓際を暗闇の中で見ると、窓際に父母と姉が立っているじゃないですか?
そのうるさくて目が覚めた音は、ずっと鳴り止まずうるさい👂💥ままでした。
どうやら父母と姉が窓から外を覗いて見ている外からどうやら鳴っているようでした。
さすがに寝ていた私も目が覚めた音の原因が外ならば、父母と姉がその原因とやらを見ているとすれば、私も知りたいし、大体暗闇の中で父母と姉の3人揃って見る意味も知りたいじゃないですか?それで、私も布団から出て父母と姉が立っている窓際へ行きました。
父母と姉の腕の隙間に割り込んで窓際から外を覗いて見ると、何と、何と、何と、
普通のいつもの夜景でした。
えって、思ったんですが家族4人がうるさくて目が覚めた音の原因を見ているはずなのに、その風景は、普通のいつもの夜景でした。
私は、逆に驚いたんです。
音はするんです。うるさい👂💥くらい。
では、遠くからその音が鳴っているのかなと思っても、その見える普通のいつもの夜景の中にある目の前にある前景なんですね。
では、どんな音が鳴っているだと思って耳を澄まして音へ集中すると「ザク、ザク、ザク、ザク」と行進する足音でした。
それも何千人というくらいの足音の行進の音。
そんな音が目の前から聞こえているんです。何もない。普通のいつもの夜景なのに。
私は、父母に、姉に「どっから聞こえるの?何で足音のなの?」と尋ねました。
そうすると父が「お前も聞こえるのか?」と逆に質問され、姉も「○○ちゃんも聞こえるの?」と尋ねられました。
私は、父と姉に対して「うん」と返事をしました。
その返事をした瞬間に、たった今まで聞こえいた沢山の軍隊の行進するような足音が反対側の方向から聞こえるようになり、私達家族4人は南側の窓際に立っているんですが今度は、どうやら北側の方向から聞こえ始めましたので、家族4人は、一斉に北側の窓際へ駆け寄って行きました。
家族4人が鳴っていた北側の窓際に到着すると、今度は、また南側の方向から聞こえ始めました。
「えっ?」って家族4人が呟き、慌てて音が鳴っていたはずの北側から急いで4人共に家族4人が慌てて音のする方向の南側の窓際へ駆け寄って行くと、音はピタリと止まり、また北側の方向から聞こえ始めました。
「えっ!?」って家族4人が呟き(これは、コピーしているのではありません。ホントに体験した話です)、家族4人は、慌てて北側の窓際へ駆け寄って行きました。そうすると今度は、南側からも音は止み、勿論たどり着いた北側からもピタリと行進する足音はしなくなりました。
私は、その後北側に行ったり、南側へ行ったり数回繰り返しましたがそれ以来音は鳴らなくなりました。
いつもの普通の夜に戻りました。
家族4人しばらくは、黙ったまま暗い部屋にテーブル(コタツ程度のテーブル)の前に気が抜けたような感じで「ふゥう」ってため息🙍を吐き腰かけました。
沈黙がしばらく続きました。
しばらくして、私は、眠くなりましたので先に布団に潜り込み寝ました。
そして、朝となり、私は目を覚ました。目を開けると深夜に何もなかったかのような雰囲気の普通の朝でした。
夕べは一体何だったんだ?と思いました。床から起き上がり先に起きていた父母や姉に「夕べ、あれって何だったん?」と尋ねました。
しかし、父母も姉も黙ったままでした。
何度も「ねぇ~」と尋ねましたが返事はなく、姉は、痺れを切らしたように「うるさい😭‼️」とキレました。その何とも言えない怒り😡に、もう気にするな!と言ってるんだなと察して、私は、それ以上尋ね返しませんでした。
その後、いつものような朝で普通に登校日だったので学校へ行き、その日何もなく、普通の小学校の授業を受け普通に帰宅🏠👣しました。
やっと自宅前に着いた時、団地でしたので下の階段前に着いたら大人たちが世間話して4人位でしたか立って井戸端会議していました。
ま、普通かも知れないんですが日曜日でもないし、共働きが多く大人4人が井戸端会議する風景って逆に珍しく、私は、何だ?と大人の会話に耳を傾けてつつ井戸端会議する大人の側を歩いて通ると、「○○○さんがね~」と聞こえました。
その○○○さんは、私が住む斜め左上↗️に住む方でした。素通りするつもりでしたが○○○さんとなれば何、何、何?となり、そのまま家に帰るのも気になるので、井戸端会議する話を聞いていると、○○○さん宅のご主人(老夫婦が住んでいました)が夕べ深夜に亡くなっていたと、いう話でした。
私は、それを聞いて😢👂💦「それって」と思ったんです。
そう、夕べ深夜に家族4人が目が覚めたほど鳴っていたあるはずのない、いるはずのない軍隊らに連れて行かれた?んじゃないかって?ピーンと思ったんです。
私は、戦争を知らない子供たちの1人でしたが初夢の姉も見えない軍隊と戦友だった人を迎えに来たことと、「死」は、死ではない。と気付きました。
それからというもの学校からの帰路は、「どうしたら皆、幸せになるんだろ?」と考えながら歩いて帰ることが続きました。
そんなある日、同じように「どうしたらみんな、幸せになるんだろ?」と思った時に「愛することだ!」と私の心の中に語りかけた存在に気付きました。
私は、驚くことなく「そうなんだ。愛することなんだ!」と思いました。
そうして小学2年生から「みんな、愛すること」「みんな、愛すること」と反復する毎日になりました。
みんな、愛することなのぞ、知る訳ないのに。またその愛することの意味すら知らない内に愛する実践も詳しく調べもせず、私は「とりあえず親を愛することだ。親愛するって、親に心配させてはならない。親のお手伝いを少しでもして返すことだ」と思いましたので、家事の手伝いを子供ならではであっても亡き姉の分までもしてあげよう!そんな悔やみはあるよね。特に姉ならばお母さんを助けたいし、代わりに孝行して欲しいよねって願い、きっと私の夢の中に入って来たのに違いないと思いました。
そうしてしばらくして、ある日教室で授業の前の休憩時間、先生が授業時間でもないのに、教室入って来て私の所に近づいてきて、私に「早く帰りなさい」と言いました。まだ一時間目も開始していないのに帰れとは何かと思えば、父が交通事故に遇ったそうでした。
私は、驚いてどうしたらいいのかわからなかったんですが6年の姉と共に、学校の先生が父が運ばれた病院へと連れて行って下さり母と合流しました。
父は出勤する中、信号のある交差点から会社へ向かう道へと右折するため、スレ違う前方からの車がなくなるのを待機して停車中に、父の車が右折出来るのを待機して停車しているのにも知らず、脇見運動したトラックが後方から追突したそうでした。
父は、近くの救急🏥🚑病院へ運良く素早く運ばれ手術を受けられることになり、助かりました。
その後経過も良好で早く退院出来ました。
父は、退院して直ぐ事故に遇って、あの世と言われる所(臨死体験)を見たそうでした。川が流れ、お花畑が広がり、川の向こう岸には多くの人たちが立っていて、なんとなく懐かしい人たちで、父を呼んでいるそうなんです。
あまりにもあまりにも懐かしいし、行きたいなぁと思った瞬間「お父さん!🌠」という母の声がして振り返った瞬間、目が覚めたそうなんです。
私は、そんな話を聞いて「そうか、何か意味あるなあ!」と思いましたね。
そうして、母のお手伝いを中心に母が楽になれるように、団地の毎月の外掃にも交わり、小学生の自分には母の代わりにはならないけれど、中学生になれば大人と変わらないほど外掃でも活躍して母を助けたいと思いました。そういう小学生でした。
ところで、初夢に現れた姉の話ですが小学1年生の正月だけではなく、その後中学2年の正月(つまり3年生になる正月)まで毎年、全く同じ内容を初夢に見るようになりました。
毎年毎年正月の夜には、今年こそ富士山🗻の夢を、せめて他の夢でもいいからと願い、富士山🗻の絵を枕の下に敷き寝るのですが、毎年毎年毎年全く同じストーリーでした。
さすがに2年生の正月の夢も同じストーリーにギブアップ。亡き姉に向けて仏壇に手をあて祈りましたね。「勘弁して下さい」って。
何か伝えたいことあることは、随分前からわかった方だと思います。それでもまだ何か伝えたいことあるなら、詳しく教えて下さいとお祈りしました。
そうして翌年から姉の初夢は見ることはなくなりました。
しかし、中学3年生の秋に祖父が他界しました。
それから実はもっと人生を変えるほどの不思議な体験が多くなりましたがそのお話はまた、改めてお伝えすることにして、その幽霊👻との出逢いは、続けて行き、私は、二十歳頃には宗教の無能化をまざまざと知らされることとなり、如何に人は死者の真実の姿を知らない人が多いのかを知りました。
葬式で供養されているはずの彼らの姿すら知らない坊さん。何の意味もない供養をして頂くものはしっかり頂戴するエセ坊さんばかりに失望していました。
私は、高校となる頃から真剣に愛のことを考えるようになり、子供の頃みんな、幸せになる方法って何かと思った時に「愛することだ。」と語って来たその愛するとは何かを知りたくなりました。
まあ一般的に愛するというと大人のお話になり18歳未満禁止みたいなエロチックな内容を連想したと思われたでしょう?
それくらい違うことはわかりますよ。だから高校で恩師に「愛って何ですか?先生!」と質問した位です。
先生は、私の質問に応えてくれて、「おい、これを読め!」と薦めてくれた本がありました。
その本は、単なる恋愛の詩でした。
私は、恩師の薦めてくれた本だから、間違いなく真実の愛を知ることができると期待していましたけど、単なる恋愛の詩でした。😂
そうして、充てにならんもんだと知らされた私は、少年から青年へと成長していきます。
このように(かなり中身は削りました、私的にです)、あるきっかけからある所からある答を得て、死者は死なないことを知り、その死者たちの無念さを知り、悟り、何とかしてあげようとした時に「愛することだ。」と教えられ私は、あれからもずっと同じ気持ちで生きて来ました。
下手ですけど、特に彼らと出会ったことで人に優しく出来る自分になり、妻や子供にも恵まれ、豊かな暮らしではないけれど、自分たちから変えてみせる‼️思いで、苦しいことがあっても感謝し、家族が辛いこと😢🌊があっても励ましてあげられる自分になり、全てがありがとう!ありがとう😆💕✨と思える人生となっています。
たくさんの苦しむ霊たちの実態を知る度々に、「私らの代わりに苦労されたのだ!」と思って、しっかりとその哀れな姿から目を背けず受け止め、学び、まるでしくじり先生と思って学んでいます。
結婚出来ないと嘆く前に、結婚出来ないまま他界し苦しむ霊たちを知って欲しいと思っています。
時が止まったまま。ずっと前から苦しい世界の中に生きている霊たち。
彼らの分まで頑張って👊😆🎵結婚して、頑張って👊😆🎵二人で乗り越えて、頑張って👊😆🎵仲良く暮らし、彼らが果たせなかった結婚生活の分まで幸せ😃💕を掴んで頂きたいものです。
多くの人たちが幸せになれますように、お祈りします。