皆さん、こんにちは❗
昨日に引き続き結婚 幸福の鍵についてお送りします。
歴史上でやはり「あ~、これはダメだったね!」と思うこととは、やはりテロとか戦争ですよね。
それもよりたくさんの生命を失った災害でも事故でも戦争でも、若く清い青年達や子供たちの犠牲が多いものこそ、記憶に残りまた、後々にも伝えられるものです。
その中で19世紀では特に世界大戦が2度起こり、世界中の国々で若い命が奪われました。
20世紀になってからテロとか紛争で犠牲になる方もいらっしゃるので、厳密的には無くなった訳ではありませんが、19世紀半ばまではホントに戦いのない時がなかった歴史でした。
話はちょっと変わるかも知れませんが例えば近年に起こっている異常気象での災害から数多くの犠牲者が続出したことから、16才の少女が国連で具体的な行動をする環境改善策を取り組んで欲しいと嘆願したメッセージのように、その災害が起きた後に出現するメッセンジャーらがいるように、過去の歴史も必ず現れるし、また、必ずしも争いや戦争などが起きなくても、時代の変わる節目に登場したメッセンジャーの出現した後には文明が大きく変わり、後々の暮らし自体を変化させて来ました。
結婚をすることとは、一見何の関係もない話のようですが常にそのメッセンジャーは、その事件の当事者であったり、その時代に生き抜いたことで、たくさんの心身の犠牲などの体験からも含め2度と繰り返さぬようにと願い訴えることで、私達の生活環境が変わっていく、つまり結婚した後の生活環境が変わるということも起こるものです。
例えば明治維新となった近因としては、吉田松陰の発言と行動により吉田松陰自身が投獄され処刑されたことから、若き者らが感銘を受け時代を変えようとする動きが更に膨れ上がり、結果明治維新へのきっかけとなって走り始めたように、昨日投稿した中で例えたイエスキリストと民主主義の話でもそうであるように、イエス様が神を初めて「父」と呼び、自身をその子であると言ったこと、そして、十字架で冤罪で殺害され、死後3ヶ日後に蘇って弟子達の前に現れ、イエス様自身を愛するのかと誓わせたことから、キリスト教が誕生し民主主義も誕生し、また、キリスト教の失敗により、神そのものがいない、神は死んだと言う民主主義の反対の共産主義を産み出してしまう結果となり、世界中が二分化しました。
私達たちは、その時代や地域、または宗教家らの価値観によって民主主義圏なのか共産主義圏なのかで暮らしていただけの違いから経済的発展したのか?しなかったのか?などの差が生まれ、暮らし自体が大きく変わって更に豊かさに差が生まれてしまう結果となったのです。
19世紀半ば以降にも世界大戦を生き延びた人の中から、その後どのようにしたらその無謀な殺戮をせずに済むのか!というメッセンジャーが現れたかも知れません。
または、この時こそ「未来」と呼ぶ文明の発展途上頃に、愚かな判断から戻ることが出来ない程の脱線をしかねないことを予知し警告してくれた人がいたかも知れません。
歴史上には、そのどちらかの意味でメッセージを伝える人は必ず現れたことでしょう!
前回の投稿でも記載しましたように私は、歴史にはそんなに詳しくはありませんが、祖父が生前小学生だった私に財産を投げ売ってでも改宗(代々信仰していた宗教を変えた)した事を教えました。その事からその祖父の発言には意味があると思うようになり、宗教と歴史の関係性に観点をおくようになり、その視点から歴史の意味を探るようになったことから日本には、およそ400年毎にメッセンジャーが現れることに気づいたりするようになりまして、その内容の一部をこのようにお伝えするようになった訳です。
私の調べ上ですが19世紀半ば以降つまり第二次世界大戦の終戦以降に、世界大戦を生き延び、我々の前に未来の在り方を伝える人が現れたはずと見なし、その過去にも定期的な規則性つまりスパイラル的な規則から、ある数値、単位で遡る過去にもメッセンジャーがいたのではないか?と悟ったことから、誰がそのメッセンジャーだったのか?また、その過去にも定期的に何者かが遣わされ、あるメッセージを伝えたに違いないし、もっと遡ると同様な形である何者かが現れメッセージを伝えてきたのが歴史だったのではないだろうかと気づいたことです。
私達の歴史は、ただ何者かが欲望を抱き争い奪い勝利者が時代を動かし、歴史を作ったと思うかも知れませんが実はそうではなく、外見的にはそうであっても歴史には、予定と未完成というプログラムみたいな目的と結果という意味があり、常に人類はその路線上を歩いているだけであるのではないか?ということです。
結婚をする、結婚をしない。が問題でなく、歴史に目的がある。私達の命にもある目的があり誕生し生き死ぬバトンタッチしながら、橋のかけ渡しを繰り返してきたのが人類歴史だったのではないだろうか?ということです。
私達が結婚しなければならない理由はただ繁殖することを意味すのではなく、何かを果たす役割があるから、その役割を果たすために生き、命を削って、繋げてきたとしか考えられないのです。
本日は、ここまで。
また、次回をお楽しみに。
皆さんが幸せになれますように。