mintの腎臓癌記録

腎臓癌日記です。
2012年5月、腎臓癌が発見され7月に全摘手術をしました。3か月後に肺への多発転移が発覚しました。

手術3日後

2012年07月26日 10時35分02秒 | 腎臓癌
手術も3日経つと、とても楽になってきました

やっと、普通に会話ができるようになった感じです。

今日で点滴も最後となり明日には体につながれているものは何もなくなる予定です。

癒着しないようにお水をたくさん飲んで昼間、何度もトイレまでの距離を歩行練習です。

ご飯はまだお粥あまり食べられません。ある程度食べると傷が痛み酷い時は激痛に変わります。
そしてあまり大きな声で言えませんが・・・病院食がまずいまずすぎる

夕方、義母と義妹がお見舞いに来てくれました。
昼間、主人が義母を病院に連れて行ったついでに病院に寄ってくれたらしいです。

義母には肺癌の疑いのある影があり、しきりに手術をしたいと言っていました。
その手術の是非を話し合うために、主人が付き添いで義母と病院に行ったそうです
結果、影の大きさは去年と変わらず、義母も症状もなく元気。
高齢な上に心臓病や膠原病を患っているので、リスクを冒してまでガンだかわからない細胞を取るのは
危険ということで話はついたそうです。

今回、主人は大阪から埼玉まで、私の面倒と義母の面倒と両方見に来ています。
本当に感謝

         

                            

夜、夢を見ました。夢の中で誰かが「その腕のシールをはがせ!」と私に命令します。
私は必死になってそのシールをはがしました。

と、とたんに激痛がして・・・目が覚めると・・・なんとぉぉぉぉぉ 自分で点滴を外してしまったのです

腕から血が流れてくるしビックリしてナースコール

       点滴はこれで終わりですとのことで終了


再びベッドに入り眠ろうとすると

向かいのベッドの方の激しい嘔吐とおもらしが始まり、私は音と匂いで気持ちが悪くなり眠れなくなってしまいました

病室にいるのが堪えられなくなり、ナースステーションの前にあるベンチに座っていると
看護師さんが別の部屋のベッドを用意してくれました。

翌朝、その部屋に引っ越ししました

大部屋ってこんな不便さがあるのだな~と実感しました。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
私の「手術3日後」 (デ某)
2012-08-02 00:53:00
①朝、カ点滴と膀胱テーテルが外されました。
「安静72時間」より少し早いですが、漸く歩行練習開始の指示がありました。

②起き上がるのは何とか出来ましたが、「立つ」という感覚を身体が忘れています。
立った瞬間、よろけて看護師さんに抱きついてしまいました、超!美しい看護師さんに…(笑)
妻が笑いながら睨んでりました(笑)
看護師さん「歩こうとしてはダメ。まず立つ!こと、歩くのはその後です」と。

③仕事が気になり電話。
ハイテンションに感じたのは、こちらがローテンションの所為かも…。
電話で少し仕事の話をしただけで、社会?に戻ったような歓びがありました。

④病院食はまずまず。野菜と果物は妻が毎日運んでくれたものを頂きました(許可済)。

⑤夜、ドレーンも外され、すべての管から解放されました。
この日だけでも歩行がかなり進歩し、トイレにも一人で行けるようになった所為か、
夜、はじめてぐっすり眠れました。

⑥夢は私もいろいろ見ましたけど、メモしなかったらすぐ忘れて思い出せず…。
昔のギャグ「忘れようとして思い出せないアナタ」っていう感じでした。

⑦おつれあいの大阪~埼玉往復、mintさんにはきっと一番の良薬だったでしょうね。
家族の有難さ、かけがえのなさを実感できた思いがけないプレゼントですよね。
返信する
デ某さんとの違い3日後 (mint)
2012-08-02 13:18:52
デ某さんは3日後、いっぺんに管が取れた感じですね。
さぞかしスッキリされたのではないでしょうか

人間は長い時間、横になっていると立ったり歩いたりするのが困難になるのですね。
デ某さんの歩行訓練は大変そうですが、特典もあってラッキーでしたね

ドレーンを外してくれたのが若いジャニーズ系イケメン医師でした。たまたま他の医師に「mintさんのはずして」と指図されたようです。
カッコいいので恥ずかしく思いましたが・・・
ドレーンを外した後、傷口に処置をしなかった為、腹帯が血で真っ赤に染まってしまいました
暫くしてから私が気づき看護師さんに処置を頼みました。
医者はカッコ良さではないですね。

一晩付き添うような事はありませんでしたが
主人は毎日お見舞いに来てくれました
返信する

コメントを投稿