今日は宗教についてです。
今まで「何かにすがりたい」と思ったことはありません。
でも今は違います。
それは腎臓癌のせい、自分の力ではどうにもならない壁。
神様、仏様、お釈迦様といろいろありますが、どなたにお願いすれば良いのでしょう
何を信じたら良いのでしょう。
ただ、運命的な出会いが多々あって
意図しないでいるのに偶然に出会う方がいます。
その方はクリスチャン。
神様を信じろという事なのでしょうか?
完全に迷子です。
今まで「何かにすがりたい」と思ったことはありません。
でも今は違います。
それは腎臓癌のせい、自分の力ではどうにもならない壁。
神様、仏様、お釈迦様といろいろありますが、どなたにお願いすれば良いのでしょう
何を信じたら良いのでしょう。
ただ、運命的な出会いが多々あって
意図しないでいるのに偶然に出会う方がいます。
その方はクリスチャン。
神様を信じろという事なのでしょうか?
完全に迷子です。
下宿の近くにプロテスタント系の教会がありました。
さほど関心があったわけではありませんが、
ふっ!と思いつき 日曜礼拝に行ったことがあります。
牧師さんは 私のことをそれなりに意識されたようで
「説教」では 予め掲げられたテーマに加え
「神はなぜ姿を現せられないのか」「信仰とは…」など
殆ど私の方ばかりを見てお話をされました。
「神がそのお姿をリアルに現わせられれば、信者は満足し信仰はいま以上には高まらないだろう」
「信仰とは馬が前に人参をぶらさげて走るに似ている」
人参を食べてしまえば馬は走ることをやめるように、
神が姿を現すや、人は満ち足り信仰は止まる」と。
キリスト教との初めてのリアルな?出会いでしたから、
40年ほど経った今でもリアルに憶えています。
かなり乱暴な喩えですが、なるほど!とは思いました。
でも やはり「見下ろした」感のある話ではありました。
以前にもここでご紹介しましたが、私の場合、
サイモンガーファンクル「Mrs.Rovinson」の一節、
『Jesus loves you more than you will know.』
のほうが余程…リアルに神さまを実感できます。
勿論、必ずしも神さま=Jesus ではありませんが…。
信仰をもつことはそれなりに大切なことだと思います。
ご自身「運命的な」「出会い」と仰っているように
無理なく 自然に 真摯に 出遭い!を待たれれば…
と思います。
mintさんのブログで soraさん始め多くの方のブログで
私はたくさんの神さまと出遭いますし、
たくさんの真摯な祈りに出遭うことに心から感謝しています。
mintさん がんばりましょうね。
ところが昨日、運命的な出会いをした彼女に連れられて
教会に行きました。
「説教」の後、呼ばれて牧師さんのお話を聞くことになりました。
私は母の仏教の話をしたところ、牧師さんは言いました。
「もしあなたが亡くなって、あなたのお子さんやお孫さんが、あなたの位牌に手をあわせ、願いごとをしたら、あなたはその願いを叶えてあげられる自信がありますか?」
もちろんNoと答えました。
「それでは、いくらあなたが病気を治してほしいと、ご先祖様にお願いしても無理だとは思いませんか?神はあなたのご先祖様をおつくりになったのですよ」
反論の余地はありませんでした。
とは言うものの何を信じるのか悩んでは、
本末転倒!元も子もありませんね。
無理なく自然に・・・デ某さんのお言葉が心に響きます。
私にとって心地の良いものとは何か
もう少し考えたいと思います。