痛みの残りと足腰の疲れがあるので、農作業はおとなしく、栗拾いと栗剥き、野菜の施肥をしました(妻が間引きをしてくれました)。
栗拾いの時に、かじられた実を発見。
木についたままイガがはじけて実だけが先に落ちたのを、何者かがかじったようです。ついていた歯型が小さかったし、土を荒らした後もないので、イノシシではなさそうです。隣の畑には小動物の足跡も見つからないし、何者かは不明。アライグマやイタチなども栗を食べるのかな? イノシシだと、もっときれいに食べ尽くすし、落ちているイガを剥いたあともあります。かじられてたのはこの1個だけなので、かじりかけて途中であきらめたのかもしれませんね。
お昼は、ヤオヒコ価格1枚198円のピザ2枚。妻が「これ食べたい」と買ってきたチキンラーメンのミニサイズを汁物代わりにしました。
母は、昨日からわりと調子が良かったんですが、頭が冴えてくると往々にしてつまらぬことをしでかします。今日も、私と妻が買いものに出ている間に、医療関係の書類を引っ張り出していました。手術を受けた大病院の関係書類をまとめてあるもので、今は12月の診察の予約書と領収書や診察券が入っているんですが、それをケースから出して、わざわざ目につく場所に置いてあります。私が帰宅すると、まるで大事なものを自分が発見して手柄を立てたような顔をして、「12月のレントゲンの予約を見つけてな、忘れたらあかんよってに、ここに置いておいてな」と少し自慢げに言います。もちろん家族の予定はボードに書いてだれでも見えるようにしてあるし、母の関係書類は失わないようにファスナー付きのケースに入れて、母の医療やリハビリ関係の書類置き場の一番下に置いてあるのに、それをわざわざ外に出しておくことの無意味さが母にわかるはずもなく、「書類はオレらが管理するから、このファスナー付きケースだけは触ったらあかん」と言うのを「自分では管理できないので、お前らで管理してくれ」と言い、それを数か月間守ってきたこともすっかりリセットされて、まるで「私はしっかりしているんだ」アピールのような行動をしていたのです。
「なんでわざわざ出しておくんや。なんで触ったらあかんというものをわざわざ引っ張り出すんや。これまでちゃんと約束を守ってきたのに、なんでこんなことをするんや!」と思わず声を荒らげてしまいました。ケアマネさんに言わせると「まずは気づいたことをほめてあげてから、優しく訂正してあげてくださいね。問い詰めると老人鬱になるかもしれませんし」というところなんでしょうが、母と私には蓄積した関係があるので、こういう反応をしてしまうのです。
私の言に、母はいつも「わからへんねん、なんでこんなことするんやろうなぁ」と言います。普通なら「もう記憶力がダメになっているんやなぁ」と言うところですが、私には母が、人から責められない言い訳をとっさに口にしているように思われます。「わからへん」と言っておけば「したかないな、可愛そうやな」と言ってもらってその場は免れられる、的な感じです。これは私の母に対する偏見かもしれません。でも、私にとっては、そういうことを何度もしてきた人なんです。そういう思いがあるので、ついつい反射的にきつい反応をしてしまいます。
母は、すぐにその場を離れて、自室で寝ています。もちろん、物事が解決されることはありません。実際に、自分でどうしようもない思いにさいなまれて落ち込んでいるのでしょうが、私にはそう思う一方で自分で責任が取れなくなったらその場から逃げるだけの行動にも見えます。
こういう不信感や嫌悪感を極力抑えてきたつもりですが、なぜ自分が自分を押し込めなければならないのかという不満は強くなるばかりです。
今日も、腹立ちとイライラの中で暮らさなければなりません。気持ちが参ってしまいそうです。