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エスタニスラウ神父伝記拾い読み2

2022-01-06 17:59:00 | 日記
もう一人の訪問者は当時ヒンドゥ教のマスターとして知られていたプンジャでした。元修道士でインドに何年か住んでいた Enric Aguilar が彼を連れてきました。その日はたまたま隠遁者に会いに登っていこうとしていた日で、私は彼が庵の中で座って沈黙しているのを見ました。長い時間それは続きました。私は隠遁者が足を交差させた蓮華坐に長い時間耐えることが出来るのに驚きました。黙想のあとで隠遁者は言いました。 
「今日は神秘的結婚でありました。」 
私たちが階段を降りたとき、プンジャは立ち止まって、Enric Aguilar に一言メモを取らせて、それをすぐ隠遁者に渡すように言いました。それにはこう書いてありました。 
「マスター(プンジャの自称)はキリスト者です、隠遁者がヒンドゥー教徒であるように。」 

(何日かして隠遁者は私に言いました。プンジャとの出会いはこれまで誰とも持ったことのない、深い沈黙の交わりの経験であったと。) 

夕方になって修道院長カッシアは修道院での自らのプンジャとの出会いについて言いました。彼はプンジャを図書室に導き、彼のことばはみな大きな笑いを誘いました。それから庭の裏手にある聖イスクルの庵[l’ermita de Sant Iscle サン・イスクル礼拝堂?]に彼を案内しました。そこで彼らはしばらく黙想[沈黙]していました。修道院長のカッシアは心の中で「主よ、プンジャをキリスト者にしてください」と祈りました。その瞬間プンジャは振り返って彼にいいました。 
「私はクリスチャンです。」 
私は今でも修道院長カッシアの驚いた顔が思い浮かびます。 

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キリスト教神秘主義で神との合一を神秘的結婚と表現します。プンジャは聖者ラマナ・マハルシの直弟子です。四方庵訪問の時に本棚に『覚醒の炎ープンジャジの教え』があり、どうしてインドの覚者についての本があるのか不思議に思ったのですが二人に交流があったことが分かって納得しました。エスタニスラウ神父は日本に来る前にインドに滞在していました。)

ダグラス・ハーディングとvijñāna bhairava

2022-01-05 03:39:00 | 日記
カシュミール・シャイヴィズム[カシミール・シヴァ派]に興味を持って調べていると、昔買ったOshoの『タントラ秘法の書』で解説しているヴィギャン・バイラヴ・タントラ[vijñāna bhairava]がまさにカシュミール・シャイヴィズムの重要な文献であることに気付きました。

なにかいい解説書がないか調べていると、Swami Shankarananda, “Consciousness is Everything”の抜粋が目に入りました。 見てみるとダグラス・ハーディングについて何か書いています。

「もしダグラス・ハーディングがシヴァ派のテキストのVijnanabhairavaを見ていたなら、瞑想法62を見つけたことだろう」と書いてあります。スートラ85にそれはありました。
लीनं मूर्ध्नि वियत्सर्वं भैरवत्वेन भावयेत्।
तत्सर्वं भैरवाकारतेजस्तत्त्वं समाविशेत्॥ ८५॥
līnaṁ mūrdhni viyat sarvaṁ bhairavatvena bhāvayet |
tat sarvaṁ bhairavākāratejastattvaṁ samāviśet || 85 ||

英訳はJaideva Singh の訳文が引用されていました。

The yogi should contemplate the entire open space (or sky) under the form of the essence of Bhairava and as dissolved in his head. Then the entire universe will be absorbed in the light of Bhairava.

 「バイラヴァ[純粋意識]の本質の顕現である空全体を頭の中に溶け込ませて観照しなさい。全宇宙はバイラヴァの光の中に吸収されるだろう」

これはまさにダグラス・ハーディングの方法そのものですね。

プラーナ球?

2022-01-05 02:39:00 | 日記
青空を見るとモゾモゾ何やら動いているものがたくさん見えます。
あれがプラーナと呼ばれるものなのか、何なんだろうとずっと疑問に思っていました。
クリヤヨガを伝授してくれた師もこれをプラーナと言っていたようですし、成瀬雅春師もそのようです。
「根源的な生命エネルギーの『プラーナ』は神智学によれば、光と熱とは全く異なった別のものであるが、物質階層に出現するには太陽光線に依存しなければならない、とされています。」
成瀬雅春『悟りのプロセス』159頁
そこに引用されている『神智学大要』からも孫引きしておきましょう。
「これらの小微球は光り輝きながら大気の中を無数に活発に動いているので、特に天気の良い日など、その積りになれば、誰にでも見られる。太陽の方には向かずに、晴れ上がった空を背景にして5、6フィート前方に目の焦点を合わせると、一番良く見える。それは光り輝いてはいるが、無色なので白光に近い。」

どこで読んだか忘れましたが、ある人が飛行機に乗ったときに窓から外を見ていて、この光り輝く小微球に気づき、外に存在するように見えるけれども手を目の前に持って来ると、手前に見えるので外に実在するものではないと思った話を見かけたこともあります。

これが一体何なのか、ずっと疑問でしたがTED-Edにその正体を明らかにしたものがありました。

What are those floaty things in your eye? - Michael Mauser

日本語字幕も付いているので字幕表示して見てください。

ヨーガ行者の直感も当てにならないことがよく分かります。

黄檗でシンクロ

2022-01-05 01:07:00 | 日記
David R. Hawkins の “Truth vs Falsehood” を見るといろんなことをキネシオロジーで1~1000のスケールで測定した結果が掲載されています。そのなかにSpiritual Teacher という項目があって宗教家等の精神レベルの測定結果が一覧表になっているのですが、その中でHuang Po という中国人ぽい名前の人がダントツで高い数値を出していました。けれどもまったく心当たりがありません。孔子や老子よりもはるかに高いポイントが出ているのに。

調べてみると黄檗でした。臨済ならたくさん解説書・研究書等あるけど黄檗だと語録の『伝心法要』が宇井伯壽訳と入矢義高訳の二つあるだけでどちらも絶版です。英訳になると John Eaton Calthorpe Blofeld, “The Zen Teaching of Huang Po: On the Transmission of Mind” が安く手に入るようです。中国の古典を英訳で読むとまた違った味わいがあるのでちょっと欲しいなと思いながらそのままにしていたのですが…

ある日 Frank J. Kinslow, “Beyond Happiness” を見ていると無限の空間を発見する方法がありました。やり方は簡単で、両手を前に伸ばして30センチくらいの間隔をあけて手のひらを向い合せにすると、両手で制限された空間ができます。その空間に意識を集中させながら次第にその間隔を保ったまま顔に近づけます。最後には顔の横を通って、その時何を感じましたかとくるのですが、さっぱり分かりません。

この方法はDouglas Harding, “Look for Yourself” から借りてきたものだと書いてあるのでDouglas Harding の本をチェックしたりネットをさまよっていると、“The Headless Way” のホームページhttp://www.headless.org/english-welcome.htm
やその日本語版の“The Headless Way - 頭がない方法”
http://www.ne.jp/asahi/headless/joy/index.html
を見つけました。そして日本語字幕の付いたYouTube の “FacelessJapanFilms”を見て、いや驚きました。こんな方法があるのかと。

私たちの本質とは何か? 1A
私たちの本質とは何か? 1B

(直指人心ですね、このシリーズは4Bまであります)

早速図書館で “On Having No Head: Zen and the Rediscovery of the Obvious” の邦訳『心眼を得る』由布翔子訳を借りて読みました。先にダグラス・ハーディング考案の実験を済ませていたので衝撃は少なかったですが、その分言いたいことがよくわかりました。

最後にヒューストン・スミスの解説がありました。最近は手を抜いた翻訳をよく見かけますが、原著の解説まできちんと翻訳していて親切です。
「今回の改訂版の紹介に当たっては、本書の初版がいかにして私の手元に転がり込んだか、そのいきさつを語るのが一番かと思う。
あれは一九六一年のことだった。私はオーストラリアの大学で講義を終えて帰国する途中バンコクに寄って、ジョン・ブロヘルドと彼が最近訳した黄檗と慧海の禅語録について議論をかわすことになっていた。会話が軌道にのって程なく私が持ち出した諸問題について参照するために、彼は籐のテーブルの上の前の週思いがけず送られてきたという小冊子に手をのばした。それがいま私の手元にあるこの本だったのである。彼が問題に答えるのにそれをどう利用したかは覚えていないが、彼のこの本そのものへの熱い思いだけははっきり記憶にのこっている。『このハーディングなる男は何者なのかまったく知らない』と彼はいった。『ロンドンで私の知人たちのためにタクシーの運転手をしているのかもしれない。だが彼は実によくわかっている』」
ジョン・ブロヘルドってJohn Eaton Calthorpe Blofeld だよね。う~ん、こっちに進めってことかな?!

黄檗の語録『伝心法要』は宇井伯壽訳註の岩波文庫か入矢義高訳注の『禅の語録』第八巻、または入矢訳が筑摩書房の世界古典文学全集36Aの『禅家語録I』に収録されているのでそれを求めるしかありません。いずれも絶版で図書館で岩波と世界古典文学全集を借りてみました。宇井訳は訳といっても読み下し文なのでちょっと読みこなせません。ただし註が詳細なので読めなくても利用価値はあります。たとえばテキストに見今とあるのを現今の意であるなど原文を注意深く読みたい人には必要でしょう。入矢訳は漢文・読み下し文・現代語訳になっているのでスラスラ読めます。古い訓読の誤りも修正してあるそうです。

ちなみに黄檗のポイントは960。これがどれだけ高い数値か他の人と比べてみると…
ラメッシ・バルセカール 760
ラマナ・マハルシ 720
ニサルガダッタ・マハラジ 720
パタンジャリ 715
アディ・シャンカラ 710
ラーマクリシュナ 620
ヴィヴェーカーナンダ 610
ヨガナンダ 540
シュリ・ユクテスワ 535

キリスト教系の神秘主義者で見ると
アヴィラの聖テレサ 715
マイスター・エックハルト 705
マグデブルクのメヒティルド 640
タウラー 640
十字架の聖ヨハネ 605
ピオ神父 585
聖アウグスティヌス 550

ちなみに日本人では
道元 740
鈴木老師[たぶん大拙でなく、Shunryu Suzuki 鈴木俊隆 1904–1971] 565

また別に Avatars and Great Spiritual Teachers という項目があり、
イエス・キリスト 1000
ブッダ 1000
クリシュナ 1000
ゾロアスター 1000
十二使徒 980
神の名としてのオーム 975
洗礼者ヨハネ 930
モーゼ 910
アブラハム 850
聖パウロ 745
モハメッド(コーラン口述時) 700、(38歳)130。 
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mixiで2011.8.29に公開したものを手直ししました。
今だと興味ある方にはハーディングのコミック伝記『頭がない男 ダグラス・ハーディングの人生と哲学』をお勧めします。