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世羅町賀茂神社と八天堂

2024-06-17 00:56:00 | 日記
クリームパンで有名な三原の八天堂ですが、命名の由来になった御堂があるというので尋ねてみました。
クリームパンの方の八天堂が有名になり過ぎて、元の八天堂の情報が検索してもほとんど見当たりません。
八天堂に詳しい事情通の人にアドバイスを貰うと、世羅町の賀茂神社の近くだということで、まずはそちらを目指します。

少し道に迷いながらも賀茂神社に到着。


狛犬のお出迎えです。






鳥居前の通りに戻るともう八天堂らしきお堂が見えます。


前から見ると八天堂と揮毫された額が見えました。

下には小さめの五輪塔だったと思われる石が置いてあります。

仏教の天部の神様が祭られているのかと思っていたら、右手に五鈷杵を持った御姿は弘法大師ですね。
八天堂は大師堂でした。


由緒書きを読んでみると、

明治三十一年甲山河内間里道改修ニ際シ四辻之下白金嵜原間ニ石橋ヲ新架シ南方山八幡神社城府山天神社之頭字ヲ採リ八天橋ト称ス

仝四十二年天神社ヲ八幡神社ニ合併シ古材ヲ使用シ堂宇ヲ建立シ橋名ニ因ミ八天堂ト名ス…

最初に八幡神社と天神社があって、新しく作られた橋にそのお社の頭文字を採って八天橋と名付けられ、後に天神社が八幡神社に合祀されたときに出た古材で御堂を建立して、橋の名前に因んで八天堂と名付けられたということでした。



帰宅途中にコウノトリが田圃で餌取りしているのに遭遇しました。
足環で調べると世羅町で営巣している親鳥のオスのようです。


オタマジャクシかな?
鳥運が着いたのかも。


帰宅して賀茂神社の由緒書を読んで見ると、ここが旧八幡神社でした。貞観元年に石清水八幡宮勧請の船が御調郡永井浦に寄港したとき、村長の藤原清文が出迎えて村民安穏守護のを祈って社殿建立を勧請したのが始まりと記されています。


御調郡永井浦というと私の産土神社の糸碕神社が思い浮かびます。「万葉集」巻一五に「備後国水調郡長井浦船泊之夜作歌三首」とあって万葉故地とされます。

Wikipediaによると

「境内の東側には貢井(みつぎい)、又は御調井と呼ばれる井戸があるが、社伝によれば神功皇后が長井の浦に船を繋ぎ、この井戸の水を求めた事に因んでその水を長井の水と称し、当地を長井の浦と称すと伝わる。長井の浦は井戸崎(いどさき)ともいい、現地名の糸崎(いとさき)のはじめとされる。また、かつて広島県に存在した郡である御調郡も当神社の御調井が発祥であるという。」

万葉集に御調郡を水調郡と記しているのは、ミツギは「水注ぎ」の意か神功皇后伝説に基づいての当て字であった為でしょうか?





エスタニスラウ神父と押田成人2

2024-06-10 09:44:00 | 日記

どこにしまったのか行方不明になった本を探して、衣装ケースを開けてみたら押田成人神父の本が2冊入っていました。

エスタニスラウ神父を日本に招いたのが押田神父と知って、彼の本は手に入れられるうちに買っておこうと思い、手に入れた本です。

その中の『孕みと音』をパラパラっとめくっていると、「水と風」に 「イエルザレム」の章がありました。

-----引用開始

ある日、私の病床に一人の若い女隠者が訪ねてきました。この人は、一人の病弱な隠者が、洞窟で飢え死に寸前のところを発見して以来、時たま洞窟を覗いて隠者の世話をしてきた人でした。私が当分動けそうもないことを知ると、ある雨の日、この隠者を連れて、また私を訪ねてくれたのです。

ベッドの上に対座して、隠者は話しはじめました。

「『在る』ことが大切だと思います。キリストは『在る』もので、『在る』ものと一つになることを探しています。『在る』よろこびは、聖霊です」しばらくじっと私を見てから言葉をつなぎました。

「人間の心は宇宙より広い。全てを愛し得ます。その心に洞窟があります。それは神の心と一つです。神と一つになることは、人々にとって最も効果あるかかわりあいです」

神と一つになる道筋としての頭と心、のことを彼が話した時、私が腹も、とつけ加えると、うん、と一度うなずいてから「腹には、心(心臓)と腎臓とが入ります。ヨガをやるこの頃の若い人は、下腹のエネルギーだけ発達させているから危険です。そういう人々には、心(心臓)に注意をすることをやり直させていいと思います」といいました。

それから、彼は、私が前にめぐりあったインドのヒンズー教の行者が、彼をスペインのカタローニュ地方の洞窟に訪ねたときの話をしてくれました。行者について、その後いろいろの噂をきいていましたが、隠者はいいました、「私にとって彼はきわめて単純でした。

私が彼に向かって、いたずらっぽく

「あなたはキリスト者ですか」

とたずねたら、彼は私を抱擁して、

「私は、あなたであるのに、どうしてキリスト者でないわけにゆくでしょう」

といいました。彼は洞窟を辞して、山を下りながら、道の途中で若い者を隠者のもとに遣わして、こう伝えました。

「あなたが私を、キリスト者と見つけたように、私は、あなたをヒンズー教徒と見つけました」と。

隠者がインドに行く、という噂をきいていたので「インドに行くか」ときいたら、「もし、かりにインドに行くとしても、それは、あちこち訪ねるためではなく、ただそこで消えるためです」と答えました。

それから、おのずから人類の歴史への展望に移ったとき、彼は次のようなことをいいました。

「私たちは、悲観主義者であることは出来ません。人類の危機には必らず、生まれ出るものがあります。

初代キリスト者は、現在の無神論者たちと同じことをしました。つまり、教えとか社会的に与えられるものとかではなく、生きている『存在』、『絶対』、『在るもの』を追求した。

彼らにとって、キリストとは、それだったのです。現在の無神論者は、初代キリスト者と同じ道を辿っています」

私は、その時、カフカの言葉を思い出しました。

「人間、というものは、自らの内なる、何か不滅なものへの、永続的信頼がなければ、生きてゆけないものなのだ」

-----引用終わり

隠者はエスタニスラウ神父、ヒンズー教の行者はラマナ・マハルシの直弟子パパジと呼ばれるプンジャジですね。(パパジ、プンジャジのジは尊称です)

若い女隠遁者はスペイン・カタルーニャのモンセラート修道院からエスタニスラウ神父に付き添ってきたミリアムさんしかいないと思いますから、 事実誤認か、あるいは事実とは異なりますが彼女がそのように伝えたのかもしれません。

ミリアムさんの修道名はエスタニスラウ神父がつけたもので正式にはMiriam Ma Ananda。

モンセラート修道院はマリア信仰の厚いところなので修道名の真ん中にMariaが入って略してMaと表記します。サンスクリットだとMāは母親や女性聖者の呼び名に使います。ここでは掛けことばになっています。Ma Anandaで至福の母マリアという感じでしょうか?

Miriam Ma Ananda というと「Ma Anandaて何?」ときかれるので普段はミリアムで通しているそうです。ミリアムはよくある修道女名でマリアのヘブライ語風表記で俗名は Maria Cruz Calvo Ariño と聞きました。

この「イエルザレム」の章は『押田成人著作選集2』に収録されています。


押田成人神父についてはこちらを参照して下さい。

エスタニスラウ神父と押田成人 - Nothing is Everything!

エスタニスラウ神父伝記拾い読み2 - Nothing is Everything!