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エスタニスラウ神父伝記拾い読み1

2022-01-05 00:14:29 | エスタニスラウ神父

Pare Estanislau Maria Llopart
El monjo, l’ermità

Marcel Capellades Ràfols著より
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1972年の1月と2月に隠遁者は二人の意義深い訪問を受けました。
一人はテゼ共同体のブラザー・ロジェです。私は日曜日を何人かの修道者のブラザーと一緒にモンセラートで過ごしていました。次の日の朝、彼が隠遁者を訪ねて登ってきました。共同体の修道会でのミサで聖体拝領することが出来なかったブラザー・ロジェは、(彼もテゼもまだ思い切った行動を起こしていませんでした)、教会の分裂についての懸念を表明しました。
「あなたははすでに教会の一致がなされたと信じていないのですか?」隠遁者は彼に尋ねました。
「信じています」、ブラザー・ロジェは彼に答えました、「しかしそれでも苦難が?」

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最後のところよく分かりません。

ブラザー・ロジェはプロテスタント、第二次世界大戦の只中、せめてクリスチャンだけでも教派の垣根を越えた和解が出来ないものか探求し、母の出身地フランス・ブルゴーニュ地方のテゼで1940年から一人で祈りと労働の生活を始めた。次第にそのビジョンに共鳴する若者が集まり、いずれの教派からも独立した修道会として1949年に正式に発足。カトリックの聖体拝領をプロテスタントは受けることが出来ないが、後にテゼ共同体の中でカトリックに改心することなく、カトリックのミサで聖体拝領を受けられるようになったことに関する対話と思われる。
ブラザー・ロジェは、2005年4月の教皇ヨハネ・パウロ2世の葬儀ミサで、司式したヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿から聖体を受けたため、カトリックの間で議論を引き起こし、同年8月16日テゼの夕べの祈りの会で、テゼを訪問中であった精神を患う女性に刺され数分後に死亡しました。

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元はmixiの日記で書いたものです。

この本はスペイン語かなと思って取り寄せたらカタロニア語でした。Google翻訳で英訳して読んでます。保江邦夫さんで有名になったエスタニスラウ神父ですが、伝記を読むと子供の頃から日本の事を知っており、「ハポンに行け」とイエス様に言われて、ハポンが何処に在るのか知らなかった無知な修道士という保江さんの話と食い違っていて、そこから探求が始まりました。



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