『怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。』
ニーチェ著 [善悪の彼岸]より
怪物や深淵を言葉そのまま意として理解するか、何かに置き換えて広義に解釈するかはヒトソレゾレかしら?
さも高尚っぽく、難しく考えたがる方も多いけど、下の様な感じに本哲学は活用出来るかしら?
ま、正解なんて知らんけどな…
広義に解釈して、身近な所に置き換えると〜…
・部下の実力を見定める時、上司としての能力もまた見られている
・パートナーとして異性を見定める時、自身もまた見定められている
・メンタルを病んでしまった方と関わる時、親身に成れば成る程、こちらの精神も病んでしまう事がある。親身になりつつも何処かで第三者的な視点を持つ事も必要。…と過去に散々勉強した。コレも何か通ずる所があるのかもしれない
ところで、我が家においては…
深淵を覗く時、深淵もまた等しくコチラを見返す。(朝、ベットからモソモソと起き出して、ベッド脇の暗がりを覗く時、私もだいたい見られている)
怪物と闘う時は自らも怪物と化さぬ様に心せよ。(本気モードのみかんと遊ぶ時は、はしゃぎ過ぎて、妻に『うるせぇ!』と怒られぬ様に心せよ…)
うん…哲学がグッと身近になりましたね
もしかすると、高名な哲学者さんも、気付きの素は、愛犬とかそんなもんだったりするのかもしれませんね
気が向いたら[ポチッ]としてみて下さいね
黒柴犬 ブログランキングへ