私は幼いころから、普通じゃなかったし
親不孝な子供だったので・・
精神的に母親に頼るってことができませんでした。
当然、母親も私をどう扱っていいかもわからない、
思うようにならない子供の典型だったと思います。
父も大事に育ててくれたけど、自分勝手な人
なので、父の事は苦手でした。
だから何か行動を起こすときも、親の許可なんていうのは、
ほとんどとらないし、事後報告ばっかりでした。
何かあっても親に頼ろうという気がなかったからだと思います。
でも親のことは、大事に思っています。
だから、親の支配下にあったり、親へ壁を持っている人の思いが
いまひとつわかりませんでした。
何をするにも、親の許可がいるとか・・
自分で決められないとか・・
振り回されてるようにしかみえなかった。
でもそれは、支配されてきた関係性が生んだ結果なんですね。
親も決して支配しようと思ってなどいなかったと思いますが
子供が自分の投影であるのも気づかずに、自分がいないと
この子は何もできないと錯覚し、(幼少期は別です)
何でもかかわり、口を挟む
自立を阻害するものでしかない・・・
何でそうなるか・・
親も人間だからだと思います。
支配しているようで、実は裏返せば依存。
特に母親はそういう依存が多いと思います。
夫に依存したくてもできない分、変形した形で
子供に依存しちゃってるのに気づいてない。
それは、寂しさや孤独感からくるものだったのだと思います。
親である前に、一人の人間として、満たされないまま親になり
子供が大きくなっていってしまった。
依存=支配なのかもしれません。
で、今度はその支配を受けた子供が、親にどう接していいかわからないから
支配されたままの形でやり過ごしてしまう。
親側にとったら、娘や息子が宝物であり、一番信頼できる相手だと
思い込んでいる。
だから、息子が嫁を迎えたり、娘が嫁に行ったりすることを
喜べず、難癖をつける。
大事なものをとられた感が強いのです。
親と子が、お互い自立して、本当の絆を再認識できたなら、
親が何をしようが、子供が何をしようが
お互い認めて、見守ることができるはずなんです。
それには、1対1での対話が必要。
心を割った、本音の会話が必要。
他人がはいったら、その他人がどちらかの敵になってしまう。
親子の絆に、他人は入れないし、入ってはいけない。
親子の揉め事には、他人の介入があったりするけど
それは効果をなさないほうが多いと思います。
他人をつれてきた側が有利になるだけで
逆側は反発するだけ。
1対1での、心をこめた愛情ある会話でしか
絆の再認識はできないからです。
親は、何があっても子の幸せを願うもの。
子も、色々な思いはあれど、親というものはやっぱり特別な存在。
だから本音の会話にわかりあえない結果などありえない。
私はそう信じています。
わかりあえないなら、何か本音じゃないものが潜んでいるから。
親との対話は、きつくて大変な内容も多いけれど・・
そこを逃げずに対峙できるかどうかで、今後自分にやってくる
さまざまな壁が、低く見えていくのです。
簡単に乗り越えられるのです。
そのくらい、親との壁はきついけれど・・・
愛があれば、その壁ほど、もろく弱いものはない。
何かする時、親を説得しようと思うけど
そうじゃなくて・・・
わかちあう、みとめあう・・そこを親に訴えていく。
親も愛する子供に言われたら、認めざるを得ない。
こんなに大人になったのかと、逆に安心したりする。
そこを履き違えてる人がすごく多いんだなって。
最近痛感します。
親だって人間、さびしいときだってあるし
孤独感に悩むときだってある。
子供からみたら、いつまでも親だけど
確実に年をとっていくし、やがてはこちらが
守るべき存在になっていくのだから。
いつ世間に増えてる認知症になるかもわからない。
口や耳がつかえなくなって、会話できなくなるか
わからない・・
なら今、なおのこと、いますぐ、親と話してないこと
話さなければならないことを、愛を持って話してほしいって
思います。
私は母を亡くして、14年
残った父も、認知症状が出始めてて、会話にならない。
だけど、多くの会話をしてきたから、後悔してません。
親と話してきてよかった・・今はそう思っています。
母には間に合わなかったけど・・
父には私の霊能力の話もできました・・
驚かれなかったことが有難かった。
やっぱり親なんだなって思いました。
あとは自分のできることを、残された父にやっていくだけ。
親は、一番の理解者なのだということを
忘れないために・・・
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