慈恩のぶろぐ

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宇宙から書いたら?って言われたので・・・・認知症だった父の話

2019-03-07 13:05:24 | 病気

父はすでに他界しましたが、今年8月で

3年が過ぎようとしています。

 

父の介護で13年くらい費やしましたが、

当時のことは忘れてかけてるんですね。

 

なので今なぜ、この件について宇宙から書いたら?って

言われたのか、皆目見当がつかないのですが。。(苦笑)

 

父の認知症が悪化していって、認知症の症状として

言葉を失っていくというのがあったのですが。

それと同時に薬の副作用で、奇声を発するということが

起こった時のことです。

(※なぜ副作用と言っているか・・・断薬したら治まったからです)

 

施設から連絡があった際は、まさか誰かが憑依でもしたのか?

なんていう考えも浮かんできて。

憑依されると、奇声を発することもあるからですが。

 

父と二人きりで、父の手を握って、話しかけました。

念のためと除霊も試みましたが、状況は変わりませんでした。

 

なぜなら除霊を試みていた時、話せない父の目が

何かを訴えていました。

それは憑依じゃないよっていうものでした。

ですので除霊をやめ、父に大丈夫だよと、何度も声を掛けました。

少し落ち着いたので、その日は帰宅したのですが、帰宅途中で

私に異変が起きました。

 

突然、言いようも知れない悲しみに襲われ、号泣したのです。

でもそれは私のものではありませんでした。

 

なぜ自分のものではないと言い切れるかといえば

父は認知症になってかなりの月日がたっており、様々な症状と

向かい合ってきたので、私は今回の件も治まってくれればいい

というようにクールにとらえていました。

ですので、奇声を発する父を見ても悲しみはなかったのです。

ただ何が原因となっているのか、突き止めるのに必死だっただけ。

状況が変わらなかったので、どうしようと思いながらの帰宅でした。

ですから、正直悲しみなど感じている暇などなかったのです。

それは、奇声を発して手に負えなくなれば、施設を出されてしまう

という恐怖もあったから。

私は父の状況よりも、自分に降りかかるかもしれないことに

気をもんでいたのです。

 

でも泣きながら、「一体なんだ?」と冷静に分析している

もう一人の自分がいて。

 

その時気づいたのです。

 

それは父の悲しみだったのだと

 

父の心の奥底にあった言いようも知れない悲しみだったんだなと。

父の目を見たとき、その目は以前の健常な時の父の目でした。

本当に強く何かを訴えていた。

言葉が発せないもどかしさや、辛さが入り混じっていたのか

到底言葉に表現できる悲しみではなかったのです。

こんな深い悲しみは経験したことがありませんでした。

 

家族が認知症になれば、生活は途端に大変になります。

辛い思いもします。

今では珍しくないことですが、自分の家族に起こると

それは特別なことになります。

 

忘れるから本人は楽でいるんじゃないかと

思う方もいるかもしれません。

かくいう私もこの経験をするまでは、そう思っていました。

もちろん、重度になれば本当にわからなくなって、

苦しみから解放されるのかもしれません。

そこに至るまでは、かかった本人にしかわからないことなんですが

想像しえない苦しみがあるのかもしれません。

だから私は表現できない悲しみを感じる経験をさせられたのかも

しれません。

 

介護する際に、認知症でいる家族に対して

色々な思いが浮かんでしまうと思います。

介護することよりも、その感情に押しつぶされることも

あるかもしれません。

家族が変化していくのを見るさまは、苦しみが伴います。

受け入れるということが大変だからです。

 

でも本人も深い悲しみを感じながら生活しているという事実を

少しずつでも理解できていくと、介護に対する気持ちが

変わっていきます。

 

人はどうしても、なぜ自分がこんな目にあう?と

自分の置かれ場状況を受け入れられず苦しみます。

でもそれは自分に視点を置いた場合です。

認知症にかかった家族も、自分も、その経験から何かを

学ぶ必要があるから経験させられるんだろうって思います。

 

私は父との関係性があまりよくなく、父のことは嫌いでした。

だからこその経験だったのかなと、今になって思います。

父の悲しみを感じたとき、無条件で父に優しくしようと

思えました。それは私の父への感情が変わった瞬間です。

物理的に介護は大変ですが、気持ちが変われば

関わり方も変わっていきます。

 

こんな風に最後まで父は私を苦しめるのか?

 

ずっと他人軸でそう思っていた私が変化した。

この変化こそ、必要なものだったのですね。

 

その後、薬剤師の友人に相談したら、断薬を勧められたので

施設に協力してもらい、断薬してみました。

結果、数日後には穏やかな父に戻ったのです。

 

全てが必要な体験だった。

今ならそう言えます。

 

介護は経験者にしかわからないことだらけです。

簡単に、周りが言えることなど何もありません。

私も経験したからこそ話せることであり、

介護が終わったからこそ

冷静に分析もできるようになったのです。

渦中にいる方は、本当に大変だと思うのですが

きっと終わりヨシとなるような流れになると思います。

 

ともかく今は無理せず、自分のできることだけやって

行政や他人を頼ることも視野にいれながら

やっていってほしいと思います。

自分の意識や考え方や感じたことが、

今ある苦しみを取ってくれます。

 

認知症になった家族の変化が、自分を苦しめたり、

楽にするわけではないのです。

認知症である家族を見て、自分が何を思うか。

その感情に振り回されるのです。

 

その感情の奥にある自分の本音は何か?

 

その感情を否定せず、無視せず、受け入れていく。

自分の感情なのです。

ジャッジしないで、受け入れる。

常識にあてはめたりしない。

他人と比較もしない。

 

そこを理解できていくと、状況も変化して、

介護の苦しみって減っていく気がします。

どうか、まずは自分を大事にすることを優先しながら

ご家族に寄り添っていってほしいなと思います。

ご協力よろしくお願いします。


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