私はどんなに仲良くしている仲間でも友達でも
その人を信じることは、しないようにしています
昔は信じてました
でもある時、とても失礼なことだとわかったのです
人を信じるということは
あなたは○○な人
そうやって、相手を小さな枠に入れてしまうことだからです
つまり、これこれこんな風な人というレッテルを貼り、決めつけてしまうこと
そしてこちらが想像できない行動をとられると
裏切られた・・・・
思いとなる
でも相手は何ら変わってないし
こちらが作った枠から出ただけ
何より、相手目線でみたら
何をしようが自由なんですね~
経験するために、好きに生きているにすぎません
その経験や結果から学ぶことがあるから
その経験をしないと、成長できないのです
だから経験しているし、させられる
全ての人が、無限の可能性を持った存在であり
本来の自分に戻ったら、完璧なんです
その完璧な自分を思い出すために
人はたくさんの経験をしていくことになっています
自分目線で言ったら
自分の見ている世界の狭さや
間違って信じている信念を知るために
関わってくれる相手が、あえて傍若無人な態度を
見せてくることもあります
でもそれは相手の本質ではないのです
全部自分が進化するために起こってます
相手は知らないで演じてくれているに過ぎません
相手の対応によって、こちらが傷ついてしまうだけ
傷つくのは、相手のせいじゃなくて
自分が信じている信念のせいや
大半が自己否定からくるものです
では・・なぜこんな思いをさせられるか
傷つかない自分になるため
今後もっと楽に生きるため
傷つかないように進化した後は
同じような事件は起こりませんから
同じようなことが起こってる間は
進化できてないということも言えます
見ている視野は、自分が変われば変えられるんです
相手にフォーカスしがちですが、本当にやることは
相手のことを分析することでも考えることでもなく
自分自身の思いを内観し
起こった感情を受け入れ
自分で自分を満たすこと
これだけなんです
そうすることで、視野で起こっているドラマは
劇的に変化します
この世界には、自分自身だけの感覚で
○○な人と、決めつけられるような人はいないのです
いろいろな可能性を持っているのだから
自分というフィルターを外してみないといけない
フィルターがなかったら、実はとても見やすくて楽(笑)
フィルターを外すには、自分がどうして
そう感じてるか、内観するしかありません
相手は変えられないから、自分を変えよう
そう言われる所以です
自分が信じている常識や経験だけが全てじゃないし
常識が人を幸せにした例は聞いたことがありません
だから私は、人を信じないで、
ありのまま見るよう努力しています
慣れないと最初は大変ですが、慣れてくると
この見方が楽だとわかるようになります
全ては楽ちんな人生を目指して!
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