5月のワン・コマンド練習会で、「誓約」「呪い」「契約」のキャンセル・解除を行いました。
これは、2月に受けたワン・コマンドのセミナー『クリアリングカルマ』でワークしたもの。
ペアになって1人が目を閉じます。もう一人の人が「誓約」とは一般的にこういうものですと読み上げます。そして、あなたはどのような誓約を持っていますか?と質問します。
目を閉じている人は、頭で考えずとにかく浮かんだものを何個でも言っていき、聞いている方の人がそれを書き留めます。
「呪い」「契約」についても同様のことを行って、それぞれが持っている「誓約」「呪い」「契約」を明らかにします。
その後、ワン・コマンドの手法を使って出てきた「誓約」「呪い」「契約」をキャンセル・解除します。
誓約、呪い、契約は、頭で考えずに浮かんだものを言っていくので、こんなことを呪いや契約として持っていたの?と思うようなものもありました。
私の場合は自分自身に「幸せになってはいけない」とか呪いをかけていました。たぶん自分自身への罰のようなものなのだったと思います。
契約でも、誰々さんにとって嫌な人でなくてはならないとか、嫌われなくてはならないとか、びっくりなことを契約していました。
(これはカルマを解消するための役割的なこともあったのかもしれません)
セミナーでワークをして以来3か月経ってこのワークをしましたが、出てくる「誓約」「呪い」「契約」が練習会に参加した人それぞれで変わっていました。
私は「誓約」の数がすごく増えていて、「呪い」「契約」は無くなっていました。
「誓約」「呪い」「契約」それぞれ、おそらく層になっていて、キャンセル・解除されると無意識の下の方に隠れていたものが浮上してくるのだと思います。
ワン・コマンドの手法でキャンセル・解除された部分もあったでしょうが、振り返ってみると「誓約」「呪い」「契約」に出てきていたことを現実の中で赦したり手放したりするようなことが起きていて、それで解放されたというものあったと思います。
「誓約」「呪い」「契約」は、自分側に同意がなければ持つことがないもの。「呪い」であっても、それはカルマの解消の為に無意識の同意があるのだと感じました。
なぜ自分を縛るものに同意するのか?
奇跡講座(奇跡のコース)で言うなら、神への罪悪感(神から分離してしまったことからくるもの。実際は分離なんてできないので分離したという悪夢)だと思います。もちろん無意識の深いところにある罪悪感です。
罪悪感は外側にも投影されるけれど、自分自身にも投影されます。自分を攻撃するような、自分を否定するような、自分を幸せにしないようにする自分自身への憎悪として。
私の「誓約」には、自分が行うことを自分の為に使ってはいけないとか、すべてを投げ出さなくてはならないとか、孤独でなければならないとかありました。
過去生で宗教的な何か誓いを立てていたのかもしれません。
自分にはそのつもりがなくても、私達は無意識にたくさんの自分を縛るものを持っているのでしょう。
また数か月したらやってみたいワークです。
これは、2月に受けたワン・コマンドのセミナー『クリアリングカルマ』でワークしたもの。
ペアになって1人が目を閉じます。もう一人の人が「誓約」とは一般的にこういうものですと読み上げます。そして、あなたはどのような誓約を持っていますか?と質問します。
目を閉じている人は、頭で考えずとにかく浮かんだものを何個でも言っていき、聞いている方の人がそれを書き留めます。
「呪い」「契約」についても同様のことを行って、それぞれが持っている「誓約」「呪い」「契約」を明らかにします。
その後、ワン・コマンドの手法を使って出てきた「誓約」「呪い」「契約」をキャンセル・解除します。
誓約、呪い、契約は、頭で考えずに浮かんだものを言っていくので、こんなことを呪いや契約として持っていたの?と思うようなものもありました。
私の場合は自分自身に「幸せになってはいけない」とか呪いをかけていました。たぶん自分自身への罰のようなものなのだったと思います。
契約でも、誰々さんにとって嫌な人でなくてはならないとか、嫌われなくてはならないとか、びっくりなことを契約していました。
(これはカルマを解消するための役割的なこともあったのかもしれません)
セミナーでワークをして以来3か月経ってこのワークをしましたが、出てくる「誓約」「呪い」「契約」が練習会に参加した人それぞれで変わっていました。
私は「誓約」の数がすごく増えていて、「呪い」「契約」は無くなっていました。
「誓約」「呪い」「契約」それぞれ、おそらく層になっていて、キャンセル・解除されると無意識の下の方に隠れていたものが浮上してくるのだと思います。
ワン・コマンドの手法でキャンセル・解除された部分もあったでしょうが、振り返ってみると「誓約」「呪い」「契約」に出てきていたことを現実の中で赦したり手放したりするようなことが起きていて、それで解放されたというものあったと思います。
「誓約」「呪い」「契約」は、自分側に同意がなければ持つことがないもの。「呪い」であっても、それはカルマの解消の為に無意識の同意があるのだと感じました。
なぜ自分を縛るものに同意するのか?
奇跡講座(奇跡のコース)で言うなら、神への罪悪感(神から分離してしまったことからくるもの。実際は分離なんてできないので分離したという悪夢)だと思います。もちろん無意識の深いところにある罪悪感です。
罪悪感は外側にも投影されるけれど、自分自身にも投影されます。自分を攻撃するような、自分を否定するような、自分を幸せにしないようにする自分自身への憎悪として。
私の「誓約」には、自分が行うことを自分の為に使ってはいけないとか、すべてを投げ出さなくてはならないとか、孤独でなければならないとかありました。
過去生で宗教的な何か誓いを立てていたのかもしれません。
自分にはそのつもりがなくても、私達は無意識にたくさんの自分を縛るものを持っているのでしょう。
また数か月したらやってみたいワークです。
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