外側に映っているものはすべて自分の内側にあるもの。
見えている現実はすべて、鏡に映った私を見せている。
最近、外側に映っているものに対して、本当に正直にならないとなあって思っています。
外側に映っているとても嫌なもの、嫌いなもの、これは絶対に私の中にはありませんって言うようなひどいもの。これ、でもやっぱり自分の中にあるもの。
無意識に押し込めて押し込めて、「こんなもの私の中にはありません。悪いのはあの人です。悪いのはあの人達です。私は絶対に悪くありません」ってやってる。
自分の中には絶対にないって言いたいから外に押し出して、「私の中にはありません」って。
だから本当に見たくないものは鏡に映っているだけだなんて、絶対に認められない。
そんなに見たくないものが自分の中にあるなんてなったら、耐えられない。
そんなものがあったら、私は攻撃される。頑丈に守らなくては。
だから、相手/世界を非難して攻撃して、相手/世界を変えようとする。
最近、前には自分が映っているなんて認められなかったものを、赦して取り消すことができるようになりました。まだ継続中ですが。
グスタボさんのワーク(オーラクレンズやカルマクリアなど)も関係しているのか、2017年に入ってエネルギーが大きく変わってきているためなのか。
赦して、聖霊に取り消してもらいながら、私が見ているものが実在ではない、幻であるということが救いなんだなと、幻であるからこそ赦せるのだなと感じるようになりました。
映っているものが幻だから、私の中にあると思いこんでいるものも幻で、本当は無い。それが救い。
私達の本当の姿は愛そのもの。愛は誰も傷つけないし、誰からも傷つけられない。
そもそもすべての人が愛なので、本当の自分が傷つく、傷つけるなんてことは起こっていない。
鏡に映ったすべてを赦します。この世界に自分とは関係ないものなんてないから。
映っているものをごまかさず、正直になって例外を作らず。
他の人を赦しているのではなく、映っている自分自身を赦します。ただ間違いを聖霊と共に取り消します。
投影を赦すことが、目覚め、愛そのものの自分として在ることへの最短距離、超時間短縮だとつくづく思います。
(奇跡のコースは、目覚めへの最短距離と言われています)
見えている現実はすべて、鏡に映った私を見せている。
最近、外側に映っているものに対して、本当に正直にならないとなあって思っています。
外側に映っているとても嫌なもの、嫌いなもの、これは絶対に私の中にはありませんって言うようなひどいもの。これ、でもやっぱり自分の中にあるもの。
無意識に押し込めて押し込めて、「こんなもの私の中にはありません。悪いのはあの人です。悪いのはあの人達です。私は絶対に悪くありません」ってやってる。
自分の中には絶対にないって言いたいから外に押し出して、「私の中にはありません」って。
だから本当に見たくないものは鏡に映っているだけだなんて、絶対に認められない。
そんなに見たくないものが自分の中にあるなんてなったら、耐えられない。
そんなものがあったら、私は攻撃される。頑丈に守らなくては。
だから、相手/世界を非難して攻撃して、相手/世界を変えようとする。
最近、前には自分が映っているなんて認められなかったものを、赦して取り消すことができるようになりました。まだ継続中ですが。
グスタボさんのワーク(オーラクレンズやカルマクリアなど)も関係しているのか、2017年に入ってエネルギーが大きく変わってきているためなのか。
赦して、聖霊に取り消してもらいながら、私が見ているものが実在ではない、幻であるということが救いなんだなと、幻であるからこそ赦せるのだなと感じるようになりました。
映っているものが幻だから、私の中にあると思いこんでいるものも幻で、本当は無い。それが救い。
私達の本当の姿は愛そのもの。愛は誰も傷つけないし、誰からも傷つけられない。
そもそもすべての人が愛なので、本当の自分が傷つく、傷つけるなんてことは起こっていない。
鏡に映ったすべてを赦します。この世界に自分とは関係ないものなんてないから。
映っているものをごまかさず、正直になって例外を作らず。
他の人を赦しているのではなく、映っている自分自身を赦します。ただ間違いを聖霊と共に取り消します。
投影を赦すことが、目覚め、愛そのものの自分として在ることへの最短距離、超時間短縮だとつくづく思います。
(奇跡のコースは、目覚めへの最短距離と言われています)
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