今日、8月6日は広島に原子爆弾が投下された日です。
我々がいま『平和ボケ』と言われるほどの平和を享受出来ているのは、広島や長崎に投下された原子爆弾によって尊い命を失われた方々のおかげであることを今一度見つめ直さないといけない日だと思います。
また先の大戦によって、まさに文字通り命がけで戦場へと赴いた日本人兵士たちのおかげであることを再認識しなければなりません。
戦争はもちろんいけないことです。そんなのは『今は』当たり前です。
しかしながら、歴史を振り返ると戦争を避けてとおるわけにはなりません。
日本が敗北寸前のときに最後の手段としてとられた特攻隊は決して犬死だとは言わせません。
片道燃料で飛行機ごと戦艦に突っ込んでくる日本人の魂を敵軍が恐れないはずがないでしょう。
そして投下された原子爆弾。
今も残されている広島原爆ドームの様相がその悲惨さを物語っています。
日本が唯一の核被爆国として何を語らなければならないか。
核兵器を持ってしてその国の軍隊や国の軍事力を誇る現在の国際情勢に警鈴を鳴らせるのは、日本以外にないのです。
広島原爆投下から75年。
75年の月日が経過しても、日本が唯一の被爆国であることを絶対に風化させてはなりません。そして、日本のために戦場へ赴き散っていった日本人兵士や、被曝によって命を落とされた英霊の御霊に今一度哀悼の意を表すべき日なのです。
先の大戦によって惜しくも命を落とされた大勢の日本人兵士と、核の被曝によって命を落とされた人々に心の底から哀悼の意を表します。
いま、日本がこのような平和を享受することができているのは、英霊の御霊のおかげであることを再認識し、感謝の気持ちと哀悼の意を表して合掌いたします。
どうぞ安らかにお眠りください。
また、遺族会の方々を初め、遺されたご遺族の方々に思いを寄せ、二度とこのような悲惨な戦争を繰り返させないために微力ながら努力していくことをお約束いたします。
特攻隊の基地であった鹿児島の知覧に赴かせていただいたときの気持ちを、何よりも靖国神社で英霊の御霊に正式参拝させていただいたときの気持ちを改めて胸に刻み込み、合掌いたします。
我々がいま『平和ボケ』と言われるほどの平和を享受出来ているのは、広島や長崎に投下された原子爆弾によって尊い命を失われた方々のおかげであることを今一度見つめ直さないといけない日だと思います。
また先の大戦によって、まさに文字通り命がけで戦場へと赴いた日本人兵士たちのおかげであることを再認識しなければなりません。
戦争はもちろんいけないことです。そんなのは『今は』当たり前です。
しかしながら、歴史を振り返ると戦争を避けてとおるわけにはなりません。
日本が敗北寸前のときに最後の手段としてとられた特攻隊は決して犬死だとは言わせません。
片道燃料で飛行機ごと戦艦に突っ込んでくる日本人の魂を敵軍が恐れないはずがないでしょう。
そして投下された原子爆弾。
今も残されている広島原爆ドームの様相がその悲惨さを物語っています。
日本が唯一の核被爆国として何を語らなければならないか。
核兵器を持ってしてその国の軍隊や国の軍事力を誇る現在の国際情勢に警鈴を鳴らせるのは、日本以外にないのです。
広島原爆投下から75年。
75年の月日が経過しても、日本が唯一の被爆国であることを絶対に風化させてはなりません。そして、日本のために戦場へ赴き散っていった日本人兵士や、被曝によって命を落とされた英霊の御霊に今一度哀悼の意を表すべき日なのです。
先の大戦によって惜しくも命を落とされた大勢の日本人兵士と、核の被曝によって命を落とされた人々に心の底から哀悼の意を表します。
いま、日本がこのような平和を享受することができているのは、英霊の御霊のおかげであることを再認識し、感謝の気持ちと哀悼の意を表して合掌いたします。
どうぞ安らかにお眠りください。
また、遺族会の方々を初め、遺されたご遺族の方々に思いを寄せ、二度とこのような悲惨な戦争を繰り返させないために微力ながら努力していくことをお約束いたします。
特攻隊の基地であった鹿児島の知覧に赴かせていただいたときの気持ちを、何よりも靖国神社で英霊の御霊に正式参拝させていただいたときの気持ちを改めて胸に刻み込み、合掌いたします。
『 無駄に生きない』
と仰っていた被爆者の方の言葉…
そうでなければいけないな、、、と思わせてもらえました。
被爆者の方々に想いをよせ、原爆の恐ろしさを語り部として後世に残していっていただきたいと思います。