これまで2つの例を用いて1000年続くものは何かを考えてきた。これからのシステム設計の考え方に投影していくに当たり、今の時点の理解を一度まとめたい。コトガラに対して、コトを提供する人、コトを利用する人、コトガラの仕組みを作り維持する人が存在する。これらの人の関わりが続くとこによってコトガラが活き続けているのではないだろうか。システム設計で考えると、サービスを提供する人、サービスを受ける人、システムを構築・修繕する人がいて、それらの人とシステムの関わりを中心に考えることで、活き続ける(スクラップ化しない)システムを定義することができないだろうか。そして技術は時代に合わせて変わっていく。そのためシステムで採用される技術はその時代に合わせて置き換えられるものと考えておく。こうすることでテクノロジーの流行りに翻弄されることなく、時代に合わせてブラッシュアップできるシステムが作れるのではないかと考えた。僕たちSEは、最新のテクノロジーを勉強し、(メーカーの推奨する)テクノロジーの効果的な活用方法を常に考え、実装することが価値提供するだと思っていた。しかし、これでは技術の流行り翻弄され、時間と共に老朽化していくシステムの更改に疲弊してしまう。システムの中心を最新テクノロジーの活用におくのではなく、人とシステムの関わりかにおくことで、価値が残り維持できるシステムを作ることができるのではないかと思った。
これこそ鎌倉殿をみて思ったことだが、東海道についてである。1000年近く前でも京都と関東の間で人の移動があったというのは興味深い。距離が離れたところに人がいて、移動する人がいて、ものを運ぶ人がいて、伝令を伝える人がいて。本件についても、また人との関わりで整理してみたいと思う。移動する人に注目すると、途中では船の渡しのような場所があり、川があると船があって、船頭がいて、乗る人がいて、船を作る人がいる。これは前のお寺の話と同じだ。しかし今は、高速道路ができて、新幹線ができて、移動手段は技術と共にかわっている。つまり渡し船を作る仕事はなくなり、車を作ったり、電車を作ったりとテクノロジーの変化により乗り物を作る仕事は変化している。また江戸時代の東海道53継ぎの宿場町も、テクノロジーの変化により役割がなくなっている。移動が高速化したことにより、中継地点で宿泊する必要はなくなってしまった。しかしながら今でも東海道を自分の足で歩く旅行者がいることについては別途考察してみたい。今回は、テクノロジーの変化により変わらない欲求(移動)はあるにもかかわらず、代わってしまう仕事があることに気づいた。この点では前回の寺の例と逆なのかもしれない。ただよりものを作る仕事と視野を広げて捉えることはできそうだ。
タイトルに2桁の番号をふってしまったが、果たしてそんなに続くだろうか。
1000年アーキテクチャーを考えるに当たって、まずは1000年残っているものは何か考えてみたい。
例えば奈良の法隆寺。1000年以上前に立てられた寺で、今も多くの人が訪れている。これは正に活きている遺産だと思う。これを人との関わりで整理したいと思う。まずはお坊さんがいる。お寺の主である。次に参拝者がいる。訪れる人がいるからこそ活き続けるのだと思う。そして火災などによって壊れた場合でも修復する宮大工がいる。システムとして考えた場合、建物と言う器があって守る人がいて、訪れる人がいて、修理する人がいる。どうやらこの3種類の人との関わりが器を1000年持たせるのに重要な役割をしているのではないかと思う。建物は器であって、本来の価値はそこにいるお坊さんの説法だったり目に見えないものが価値なのではないかと思う。しかし、時が経つにつれ建物自身も価値があがって、今ではただ見てみたいと言う理由で訪れる人が大半なのではないかと思う。僕たちSEからすると古い=負の資産と言う感覚なので、古くなって価値が上がると言う仕組みは興味深い。
皆さんは鎌倉殿の13人を見ただろうか。僕はテレビの録画機能を活用してなんとか概ね見たのたが、1000年近く昔の人の営みの痕跡が、今でも残り続けているとことに改めて感銘を受けた。伝説のような昔話であるのに、確かにその時代に人の営みがあった痕跡が今も残っている。それに対して今の僕たちの仕事はどうだろうか。最新テクノロジーに翻弄され、5年毎に流行りのテクノロジーを活用し、0から設計しなおす。大手の企業は毎年多大なシステム運行費用をつぎ込んでいるにもかかわらず、そこで作り上げたものは5年もすれば老朽化して作り直さなければならない。これでは年々肥大化するシステムを維持するだけでSEが人手不足なってしまう。SEの仕事はなんと儚く虚しいことだろうか。現代なって人類が手に入れたこの情報の建造物を5年で壊れるブレハブではなくて、SEの仕事によって1000年後にも残る構造にすることはできないだろうか。僕たちの仕事を何らか形で人類の資産として残るようにすることで、システムの維持の浪費のループから抜け出したい。その結果、1000年後も痕跡が残るようなそんな仕事をしたい。ということで、1000年アーキテクチャーと言うテーマで考えていきたいと思う。