「人間だけが神を持つ。今を超える力、可能性という内なる神を」ガンタムユニコーンで出てきた言葉だが、どういう意味だろうと考えれば考えるほど好きになる言葉だ。人間には(物理的な意味でなく)成長する可能性があって、それが今は形がなくても、将来に形に現れるかもしれない。いや、きっと形に現れるに違いない。人間はそう言う希望を持って生きていくものだと言う言葉と理解した。
将来の可能性は、残された時間が長ければ長いほど大きいし、固定化した思考や行動がないほど高くなると感じる。つまり若いというだけで可能性と言う価値が大きい。この価値は歳を経るだけで失われるものであるため、毎年、毎年、知識や経験と言う形で可能性を具体化していかないといけないのだと想う。
若いと言うことは、時間や柔軟さがあり、大きな余白を持っていて、この余白が可能性と言う価値はだと感じる。
最近の企業経営では、企業の利益追求が命題となっているため、必死にに無駄を排除して、余白を削りつづけてきたのではないかと思う。余白をなくなれば成長の可能性も一緒になくなるわけで日本の低成長は懸命余白を削って効率化した結果ではないかと感じる。
無駄を排除するために、若手に過去のノウハウをなぞることを強要し、失敗して学ぶチャンスを奪い、膨大な仕事を詰め込むような組織に価値はないし、成長の可能性もないと感じる。
これから仕事を始める若い人たちには、自ら考え、行動し、失敗できる環境で働いてほしいと思うし、自らの可能性と言う内なる神を信じて色々な経験を価値に変えていってほしいと思う。