見知らぬ霊が現れ、目に入る処にいる学生に危険を伝えて欲しいと懇願される話だった。霊は霊界に居るであろう学生の母親。
霊能者とはこう言った事に出くわす事が多いらしく、感知の切り替えが出来ないと務まらない大変な役目らしい。
私は霊能者では無く、身近な関係や抱いている問題で必要な時のみ神から見せられる受け身でしかない。又は、相手方の勝手な侵入。
以前にも書いたが、霊的な世界でも境界線を引く事はマナーであり良識だと思っている。況してや見たいコントロールで他人の生活を覗き見する事程、卑しい事は無いと思っている。
善き霊能者は、依頼あって問題解決の為に霊視するのであって、報酬はこの良識の上に成り立つのだと思う。
この能力については、自力の人はほぼいないと私は思っているし、自力能力者がそれを言及している話も聞いた。
自力の方は、自身を鍛え代償を払う鍛練を行っている。
自力で無い場合は、多かれ少なかれ霊的な存在を媒介していると思う。神もそうだし、魔もしかり。
何十年も不思議に感じていたのは、今は亡くなられた宜保○子さんはその霊視の精度は抜群だったけれど、私は晩年の顔付きに疑問を感じていた。
宜保さんの若い頃写真は本当に美しい女性で「あれ程美しかった女性が何故に険しい顔付きに・・?」とずっと感じていた。
この件に言及したblog等を見た試しがないが、あの霊視精度と晩年の顔付きは、霊的な高い力を持つ男性人霊が媒介者となっていたのではないかと・・・私は勝手に思っている。
神から常に受け取り語る霊能者は、顔、形、見栄えとかでは無く柔らかい面立ちで輝いた顔をしている。
当たるから、高名で手広く転回してるから・・・信頼出来るものでも無いと思う。
出来れば、神の御加護と力を借りて霊視される霊能者が安心かと思う。
何れ人は亡くなり、隠せる事が無い世界の住人になるのだから、肉体を持つ間に隠す必要が無い魂にならなければいけないのだけれど・・・私としてはまだ無理としか言い様がないし、霊能力で必要以上の事を見なくて済んだから今日の真我の目標にたどり着いようにも感じている。封印があるなら解除が必要と思った事もあったが、今はあまり気にしていない。見せられる事のみで十分。
私が見せられた亡くなった人は、身近な人で大叔母が葬儀準備をしている母に憑依して「ありがとう」と伝えてきた時。
先輩の亡くなった母親が、白装束で朝方なのに目の前に現れ、私に挨拶をしてくれた時。
そしてこの数年内の事で、知人の亡くなっている母親が息子の言動を二度も解説する為に語りかけてきた事。姿は見せられなかったが、二度目の時は、その息子を心配する余りに
「信じて頑張ってきた事を解って欲しい」と伝えてきた。
子供のいない私には、羨ましい関係であり、母性愛は死しても溢れ伝えずにはいられないものなのだと知る事が出来た。
亡くなって尚、子供を思う母親の気持ちというものは切なく、有難いものだと思う。
こうして思われ愛される人は幸せな子なのだとも思う。
思う愛の種類は様々あるけれど、私は母性愛を実の子に向ける経験は出来ないから、見せられ聞かされる事から学ぶしかない。
聖母から学んだ事は、愛される事ばかりで、聖母の様に「愛す」事に私は未だに程遠いのだと、語りかけ見せられた母性の前に理解するしか無かった。
あの粘り強い、諦め無い、放棄しない愛は、たとえ10代で母になった女性にもある事を身近で見る事がある。
この母性愛に対しては、私は女として頭が下がるし、心底尊敬せざる終えない。
またこの愛の中で育つ子供がいるからこそ、人の世は成り立つと思っている。
神々の御加護が子育て世代にあります様に。