「終末には人は自分の事しか考えなくなる。」・・は、聖書に書かれている事。
これらの事に私は過去数十年前には笑って聞けたし、聖書の1節は長らく「自己中心?」と誤解して受け止めていた。
しかし昨今は、これが現象として増加傾向である事は教育機関や医療機関に接点がある人は気付いていると思う。
そして、増加傾向にある人は前時代のしわ寄せを受けた被害者。
私は引退組にお願いしたい。
「負の遺産の逃げ切り世代で良いのですか?」
「まだその思考を使って、祈りの労働はできます。」
「次世代の健康と平和を祈る時が来ましたよ。」
仏壇は先祖だけに通ずる物では無く、その先祖を受け止めた神にも通ずる物。
どうか次世代の御加護も祈り、自らの命を過去の者とはせずに、最後まで前向きに生きる道を見出だして頂ける様に願っている。
神々様への祈りで身近な次世代御加護を招き、奉仕の祈りで御自身を清め、霊格を高める道として頂きたいと。
私は、DSは存在はするが自滅すると思っている。
嘗て程民衆は無知でも無く、情報真実を客観視していると思う。
また宗教界に置いても、群れた集団はほぼ悪質な人間に利用される事をいい加減知るべきと思う。
私達庶民は、宗教を集団や組織の中に学び見いだす事を止め、日常の中で「神の愛」と「自分の心」の絆一筋に変化すべきと思う。
運営某に関する問題はあるにせよ、「何々役員」「何々婦人部」等々があっても、信仰とはきっちり線引きした世界と認識する方が良いと思う。教会、集会、定例会に来れない程疲弊し問題を抱える者を、それに参加しないと言う事で非難したり排除するなら本末転倒だと思う。
誰でも訪れ、誰もが祈り、神々様と対話できる・・・それが開かれた神社の良いところだと最近思う。まあ小さな神社は、氏子さんの力で支えられているのだから内情は同じかもしれないが、少なくとも「人を排除」はしないと思う。
暗い話を覆し、希望を持ちたい話をオマケに。
最近「日本沈没」が再々ドラマ化されているようで、地震活動期に入った日本人を不安にさせる傾向がある。
「日本は沈めない」
と天照大御神様がある方にお話下さったと言う事を人づてに聞いて以来、
私は「全沈没は絶対無い」と信じている。
艱難の時代ではあるけれど、日本の神々様の御心を信頼し、よろけ、躓きながらも日々なんとか祈り、日本の希望を願い続けたいと思っている。