精神疾患のある方について。
私の家は、小さな工場を営む家庭だった。近くに精神病院があり、パートでその病院の入院患者さんが働きに来ていた。当然フルタイムでは無かったし、一年を通して働き続けられない人が多かった。報酬は、限度が決められていたので少ない。それでも少人数の単純作業だった為か居心地は良かった様だ。
精神状態が良くなると、病院を通さずに直接電話をしてきて「働きたい」と言ってくる人もいた。特に長期入院者は慣れた職場を求めそれを繰り返していた。
幼い頃から、彼等の生活については話も聞いていたし身近に見ていた。
大体の人は、健常者に見えながら季節の変わり目にはバランスを崩し外出禁止となり、悪くすれば個室に入れられ様子見になる。退院して、暫く後に自死した人もいた。
彼等の言い分は
「俺達の病気は、薬では治らない」
だった。
学生の夏休みの時期にバイトに入っていた私は、ある意味大人のような偏見も無く魂と言う認識はその頃持っていなかったけれど、彼等の言い分は本心なのだと言葉を心で受け止めていた。
学生の頃も、同期生に精神を病んだ人がいた。公務員夫婦の一人娘で、病んだ思いを電話で訴えられ、ほぼ「暴言」と思われるような強さで制しないと、連日電話に付き合わされた。
独り暮らしの時は、隣室の人が今で言う双極性障害で、鬱ではドアも開閉されず無事の確認を代理で取らされ、躁の状態では上がり込まれ大きめな会話でマシンガント―クをされ迷惑した。
従姉にも精神を病んだ者がいた。親に決められた結婚に躓き、教職にもトラブルを抱え病んで引きこもってしまった。受診を嫌がった為、彼女の両親が他界した後に親族が強制的に受診させたが手遅れだった。
放置し過ぎた為の悪化で、近所に散歩に出ると家々に立ち止まり怒鳴り散らす為に今も病院暮らし。
元々は、好きな婚約者がいたが親が認めず別れさせられ、小銭のある旧家の母子家庭に見合いで嫁がされた挙げ句、嫁イビリを受け離婚。
大学も職も結婚も、親が決め反抗する事の無い従姉自身にも大いに問題があった。嫁ぎ先の夫は庇ってくれず、別れた後夫は家を出て他の人と再婚している。
(従姉の被害を踏み台にし、子供に執着する親からの分離に成功した最低な男だった)
離婚後も従姉は完全に親のモラハラ支配と、教職員間での虐め摩擦にモラ父が乗り込み引っ掻き回し、精神崩壊してしまった。親が他界した後に霊障害も加わる状態となったと私は感じていた。
元凶は叔父のモラハラと脱却出来ない従姉の弱さ。
以前ストーカー被害を受ける人のブログを見た事があった。
御主人の浮気相手だった女がスト―カ―として散々夫婦を苦しめ、裁判にまでなった挙げ句、ストーカーは自身の夫にも捨てられ最後に自殺する話だった。
作り物だと思っていた。
しかし、実際私の直面していた人間がこの話に出てくるストーカ―と似た行動をした。
不思議な共通点があった。
◆敵と見なす人の経歴や思考、好みを真似て人の心理を逆撫でて攻撃をし、傷ついたり怒りを現す様をみて喜ぶ。
◆嘘の上塗りやねじ曲げた解釈妄想にひたりきり、恍惚感を持って真実だと思い込んでいる。
◆自分のプライドを維持する為なら、周りの人間の迷惑など目に入らない。
妄想世界の住人で完全な人格障害。
社会との接点も持たず、1日中ストーキングしている人にのみ思いを向け、誰とも会話なく暮らす。
現実から目を反らし事実を拒否して、何年も前の記憶を引っ張り出して嘘を塗り固め直し、真実に蓋をする。
怖いのは、光を装い悦に入る時の状態。
自分に向けられた行動でも無い思い出を、自分への好意と記憶している。
周りの人が退いてしまっている事にすら気付かない。
精神を病んだ者の行動であり、この人間の場合・・古い映画の「エクソシスト」の会話運びにほぼにている。
泣いたり、罵ったり、エゴの叫びの様な欲求、一人で異様に喜んだり、怒りだす。以前歌手で、騒ぎをお起こしがちな名家の女性と似ている。
私は、一つのビジョンを見せられた。
夕方か夜、家の勝手口に立った小学生5~6年生位の女の子の姿。
家には電気がついていたが、女の子が勝手口のドアを静かにノックし、
コンコン・・・。
「お母さん、お母さん」
と呼んでいたが誰も出て来ない。
コンコン・・・。
「お母さん、お母さん」
家に入る事も出来ない。
これは親が悪いのでは無く、障害を克服出来ずに歪んだ解釈や感受性を大人になっても振り回し、親にぶつけ続けた結果の姿・・そういう意味のビジョンだったと思う。この人の精神年齢も姿として現れている。周りは助けたかったのに反抗し続けるこの人には手の施し様が無かった、挙げ句、孤立し逆恨みを蓄積し魔を招き入れた。
私は、うっかり信仰心を振りかざしてこの手の人に深入りしなくて良かったと思っている。直接的なやり取りは一切せず、成さなければならない件は法に照らし合わせた行動だけにすべきと痛感した。
医療的には、人格障害は成人以降だと親族、友人が情けで寄り添うと逆に破壊される。医師の指導と薬による治療が唯一の手段だとの事。
私の霊的感覚では、この人は認知の歪みによる逆恨みの蓄積が魔物の介入を呼び込み、支配を受けていると解釈している。普通の人間を超えて霊障害を私が受けるから除霊が必要だった。
うっかり「可哀想」などと、知った様なつもりで「情」や底の浅い「優しさ」で係わったら足元を掬われる。
異常性を増して行く様子を見るにつけ思うのは、外野の人間は人でしか無く、魔物には神仏でなければ戦う力、救う力は無いという事。
「寄り添って欲しい?」
右手で引っ張る手を欲っしながら、左手で人を殴り、生かしてくれた者を足で蹴り続ける者は医療の領域に委ねるしか無い。
壊れた霊体は修復できない。
自身に責任が無くても、そうなってしまう事もある事は知っている。複雑すぎて簡単に書く事は無責任かも知れない。
ただ、私は50代だが、医療保護に長年かかりながら、(現実を認知出来ないレベルで)精神を病んだ人の完治を見た事が一度もない。
追記:
やまゆり園事件について、私は植松聖の犯行前の日常や家族、婚約者との関わりや会話が書かれた記事を時々追っていた。暴力を受ける様になっていた親は手に負えずにいたのだろう、両親は事件以前に彼を残して引っ越していた。
当初私は、植松聖が自覚の無い心の奥底に持つ劣等感や恐怖から、思想的意識を纏って自身の肯定感の為に犯罪を犯したように感じていた。
後から彼が人格障害であった事と、被害者遺族に対する謝罪はあっても、殺人を犯した事への謝罪が無いという記事を読み、なんとなく府に落ちた。
彼は死刑執行前になっても、被害者に謝罪しないだろうし
「自分は悪くない、正しい」
と思っているだろう。
重度人格障害の最悪の結末だったと思う。
《宅間守》の事件の記憶が蘇る。
元は同じ気がする。
他者が悪い→自分は被害者→恵まれた小学生への妬み殺人
《植松 聖》
自分の障害を受容出来ない→社会で必要とされ無い劣等感や恐怖→重度障害者を無用とし、殺害者になって自分の存在価値を上げたつもりになって安心感を得ているのではないか?。
会った事もない人間の、妬み、恨みの捌け口の為に亡くなった方が気の毒だと思う。自分が不要な人間と思われたくない恐怖から、こうまで自己の本心を壮大に欺き誰も望まないのに「社会に変わって」重度障害者を殺害する事は正しいと言う。しかも、ただ自覚の無い心の奥底で欲する自己肯定感を得る為だけに。
人格障害やサイコパスは、もう発達障害から分離したワンクラス上段階の別の扱いにして欲しい。
軽度の発達障害を持つ人が自分もそうなるのではないかと不安がるコメントを見る度に気の毒になる。(他者への害を認知出来る時点で人格障害者にはならないのに。)
予兆を感じるのに、医療で止める事ができず、悲惨な結果になった子殺害、親殺害、兄弟が自殺に追い込まれる話が多すぎる、これも家族が気の毒だと思う。
隔離措置の線引き拡大が必要な時代に来ていると思う。