2歳下の弟が寿命を全うして旅立ちました。
まさか私より先に逝くなんて思ってもみなかったことでした。
・・・でも正直、最近の様子を見ていると内心では心配していました。
弟よ。姉をさしおいて黄泉の両親と先に再会するのは許しがたいこと。
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救急搬送される時も見送り、医療センターに遅れて入った私を待っているかのように一時脈拍も上がったそうです。
駆け寄って思わず握った手はもう冷たくなっていました。でも、モニターには心拍数が出ているんです。
「戻ってこい!戻ってこい!! 誰が迎えにきたん?追い返せ!!」
後はもう声になりませんでした。ひたすら手を握りさすり続けましたが握り返してはくれませんでした。
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私たちの母は33歳の若さで逝き、一家の長男として、悲しいことも苦しいことも忍耐をして生きてきたのでした。
私8歳、弟6歳、妹2歳でした。
「〇〇〇(妹の名前)を、おんぶして作ってくれた姉ちゃんのおにぎりが忘れられやん」と妹に言ってるのを聞いた時
キッチンの隅でこっそり涙を拭ったことは妹も弟も知りません。
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【生きる】
しがない私たち家族ですが、「生きる」という主題でもって募集していたエッセイに応募して入選。
私の視点で父を中心に書いた内容だったので父の旅立ち時に、その掲載されたPHPをお棺に入れてくれたのは弟でした。
今度は私が旅立つ時に弟に入れて欲しかったのに・・・。
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インフルエンザが引き金になったとは言え、持病を持っていたとは言え、早すぎます。
TVを見ていていつものように横になっていて、そのまま苦しみもなくでした。
異変に気が付いた嫁のCさんが脈をとり心臓マッサージをしながら救急車要請。
同時に「姉さん、来てーー!!!」と絶叫の電話。
元看護士のCさんの処置は適正でした。ありがとう。
はにかんだようなほほ笑みの遺影は、妹宅へ旅行した折の、本場ディズニーでの折のものでした。
長身で男前^^v 若い時だもの^^v
お悔やみ申し上げます。
インフルエンザが引き金ですか,怖いですね
一番の心配事はmakoさんの心労と体調の事です
力落としでしょうが頑張ってください
ご冥福をお祈りいたします
合掌
心よりお悔やみ申し上げますとともに
mako様のお嘆きいかばかりかと、
拝察申し上げます
謹んでご冥福をお祈りいたします
ありがとうございます。
私より先に逝ってはいけませんよんね。
会えば喧嘩もしたりしていましたが、今は良いことばかりしか浮かんでこないのですよ。
ありがとうございます。
今日も義妹と色々と打ち合わせしていました。
まだまだこれからですね。
ありがとうございます。
弟も私のことばかり気にかけていたそうです。
時々は喧嘩もしたりしてましたが^^;
今のところ気が張っているのか大丈夫です^^v
皆さんが励ましてくださるのでありがたいことです。
今日は義妹のことを励まして一緒に色々なことをこなしてきました。
これから色々片付けなければならないことがあります。
箇条書きで良いから書き出して一つずつ消していこうよ、と励まして。
「姉さんだけがが頼りやでね」と言わていますし。
でも、しっかりものの嫁さんですから大丈夫でしょう。
それでも二人とも今日はタガが外れたように泣きました^^;
ありがとうございます。
お父様をお見送りされてまだ日が浅いのでしたね。
淡々とお書きになられていましたが、なかなか真似できないことだと頭が下がる思いで拝読していました。
私たちは心残りなことばかりです、そして良いことしか思い出せないのです。
そうして故人を偲ぶことしかできませんね。
心の整理もつきませんよね。
幼い頃から兄弟姉妹で支え合って来たから余計思いがありますよね。
親は漠然と先にあの世に行くのだろうと思うけれど、下の兄弟が先にって想像もつかないです。
次は順番的に自分だとばかり思っているので。。。makoさんもそうですよね、きっと。。。
ご冥福をお祈りします。
そのうち弟さんのお話を聞かせてくださいね。
・・お早い対応ありがとうございました・・。
ここに書くつもりもなかったんですが思い出したのです。
実は私のブログを読んでいると聞いていたからです。
時々は料理のことなど書いていたこともあるでしょ。
嫁のCさんがそれを参考にするからと。
と言うのは口実で、私のことを気にかけてくれていたんですね。
チョウトンボのことを書いた「万助溜め」のことですが、昨日、通りがかりに、「万助溜」ってこの辺やったねどこ?」
って聞いてきたからでした。
「落ち着いたら、滋賀まで連れて行って、姉さんどこでも行けるから」
「私、トンネル怖いから・・」
大きな車に乗っていながら案外怖がりで遠出は弟の運転だったそうです。
そういう会話が出てくるのはブログからの情報だからでした。
そんなこんなで弟が気にかけてくれていたのでした。
姉弟喧嘩もしましたし、夫婦喧嘩もしていたみたいですが、
お互い、ほんとにもう喧嘩相手が居なくなりました。
またお話聞いてください。
そうやって話をすることが供養だと思っています。