水曜どうでしょう 10周年
北海道地方で放送されていたローカル番組の「水曜どうでしょう」10周年を記念して、どうでしょうの歩みを振り返ります――。
奇跡の番組の産声
水曜どうでしょうの第1回は、1996年10月9日 0時50分~1時20分(水曜日の深夜)に地方局の北海道テレビ(HTB)で放送された。
番組は、地元企業とのタイアップもなく低予算のため、番組に大物ゲストを呼ぶ余裕も、スタッフを大勢集める余裕もなかった。
そのため、地元大学の演劇部員(大泉洋)と、ローカルタレント事務所の社長(鈴井貴之)、番組ディレクター2人(藤村D、嬉野D)の4人だけで番組はスタートした。
番組名には、「低予算でこんな番組を作ってみましたが、どうでしょう?」という低姿勢的な意味合いが込められており、金曜ロードショーを文字って命名された。
番組名の名付け親で企画を担当している鈴井貴之には、「ミスターどうでしょう」という愛称がつけられ、番組内では出演者達から「ミスター」と呼ばれている。
黄金期の幕開け
番組を開始して1年が経った辺りから、番組の個性が鮮明になり始め、それに伴って認知度も上がり、視聴率は8%台を安定して記録するようになった。
98年4月1日からは放送時間が23時15分に繰り上がり、同年10月には視聴率が10%の大台を突破。
そして、同年12月8日の「ヨーロッパリベンジ・最終夜」で、番組歴代最高視聴率18.6%を記録する。(同時間帯占拠率は46%)
この頃、すでにどうでしょうの人気は、道外へ飛び火していた。
どうでしょうの再放送版 「どうでしょうリターンズ」が道外のローカル局で放送されるようになったのである。
"伝説の名言" 誕生
98年12月19日(土)に「東北2泊3日生き地獄ツアー」と銘打って、ロケ地巡りのツアーが開催された。
苫小牧港をフェリーで出港したツアー客を喜ばせようと、行く先々のロケ地へ先回りして様々な扮装をする大泉とミスター。
行く先々で散々な目にあいながら、やっとのことで宿泊先のホテルに到着した大泉は、ミスターとのトーク・ショーを終えて就寝。
しかし、へべれけになった藤村Dがいきなり部屋に乱入し、大泉に「腹をわって話そう!」とさんざん絡んだあげくに部屋に居座ってしまう。
同部屋の嬉野Dに助けを求めた大泉だったが、「面白そうだ」とカメラを回され、しまいにはミスターやプロデューサーをも巻き込んだ大騒動に発展する。
そして、深夜の終わらない丁々発止に極限状態になった大泉の口から、「僕は一生どうでしょうします」という言葉が発せられたのであった。
大泉が番組中で偶然発したこの 「一生どうでしょうします」 という言葉は番組終了後も生き続け、番組のキャッチフレーズになっている。
新記録樹立
その後、自分たちのペースで番組を作っていくために一度番組を終わらせる決断をし、2002年9月のベトナムでのラスト・ランをもって一旦、番組にピリオドを打った。
そして、番組終了後もどうでしょうの奇跡は続いた。
最終回放送から半年後の2003年3月5日。6年間の間に放送した番組をDVDにまとめたDVD全集・第1弾「原付ベトナム1800キロ」が発売された。
このDVD全集は、ローソンでの完全予約販売にも関わらず、桁外れの売り上げを記録した。
第1弾は、初版4万6000枚を完売。TVのバラエティ番組のDVD販売数としては当時の日本新記録を樹立した。DVDは現在、7弾まで発売されており、ローソンのロッピーで予約受付中。
北海道での本放送が終了した今でも、公式ホームページはほぼ毎日更新されている。
新作どうでしょう
レギュラー放送終了後も、1年に1作のペースで新作が放送されている。
復活第1弾として、1998年の「ジャングル探検」でおきた事件の真相を探るため、再びマレーシアのジャングル奥地へと潜入する「ジャングル・リベンジ」を04年5月に放送。
05年の新作は、現地コーディネーターとともに西表島の魅力を満喫する「激闘!西表島」。
07年1月には、ヨーロッパの国々をレンタカーで走破する企画の完結編「ヨーロッパ20ヵ国完全制覇・完結編」が放送された。
全国各地でも、どうでしょうの再放送版「どうでしょうクラシック」が放送され続けており、今でもどうでしょうファンは増え続けている。
どうでしょう祭
2005年10月14日には、3日間の日程で「水曜どうでしょう祭」が開幕。
札幌の真駒内オープンスタジアムとアイスアリーナを貸し切るという空前の規模で開催され、3日間で全国から約4万人のファンが集まった。
屋外オープンスタジアムでは、いつもの4人が爆笑トークライブなどステージイベントを繰り広げ、グッズ販売や縁日コーナーも充実。
屋内のアリーナはスタッフ手作りのどうでしょうテーマパークと化し、「祭」限定出店の特別ショップも出現して大盛況となった。
どうでしょう小祭
翌年の9月29日には、東京の渋谷パルコにて「どうでしょう小祭」を開催。
番組のロケに使われた数々の爆笑アイテムが展示され、11日間で3万人の観客を動員し、最高記録だったペ・ヨンジュン展の総観客動員数を大きく上回った。
編集後記
単なる地方局のローカル番組だった「水曜どうでしょう」が全国区の人気を勝ち得た理由は、笑いの才能とセンスを持った4人が真面目にバカをやり続けたからだと思います。
誰に頼まれたわけでもないのに、移動距離が半端じゃない場所へボヤキ合い、罵り合いながら律儀に向かい、到着した場所で見事なやられっぷりをお茶の間に披露する。
それを観た人たちは爆笑しながらも、彼らの誠実さに感動し、応援するのでしょう――。
【記事/画像引用】「クイック・ジャパン/vol.52」「水曜どうでしょう」
水曜どうでしょうの弟ぶんと話題の「なんじゅね?」のDVDが10月27日に全国発売になったよん♪
北海道の次は沖縄♪みんなで見よう♪
何度見ても笑える番組って
少ないですよね。
大切な番組です。
一言二言を見かけてくださりのトラバ
ありがとうございました。
やっぱり関東での開催モノは
人が多いですな~
また本祭でも心待ちにしますです~
(何年先でもいいのですが気長に)
僕のどうでしょうは「ヨーロッパ完全制覇の旅」から始まりました。
この企画はどうでしょう放送1周年を記念しての企画であり、多大な予算を前借して行った企画でもありました。
今でこそ超有名な番組ですが、当時ではそれほど浸透はしていませんでしたねぇ
MITAMURA氏が就職で北海道から離れた頃は度々番組を録画したビデオを送っておりました。
何度か貸したビデオを紛失された事もありました。。。。今では懐かしい思い出ですなぁ~
小祭りには行けませんでしたが、これからも
どうでしょうしていきたいですね。
新作も楽しみです。
どうばかになり早4年かな?
今でこそここまでの人気番組になりましたが、私がばかになった当初はまだまだ無名と言っていいほどでした!
それが今では全国区にまで発展するようになったのはすごい事だと思います。
ホントにスゴイ番組です!
これからも、日々どうでしょうな生活をしていく所存にございます。
また遊びに来てくださいね
私が初めて見たのは「シェフ大泉夏野菜スペシャル」。
「なんでこの人たち畑耕してるんだろう?」と思いながら見てました。
けど、いつの間にかどんどんハマっていって。
また遊びに来てくださいね。
あれはホントは最近の名物なんですよ(笑)
でも週末になればあのながいものを何本もかかえて練り歩いている方をみると、「もしや」って思っちゃいますねぇ
藤やん犬はバージョンアップを策略中。
また遊びにきてください!
さっそくコメント残させていただきます!!
本当にミスター・大泉さん・D陣のお2人・全国のどうでしょうファンの方々、皆さんと一生どうでしょうしていけたらこれ以上の幸せはないですね(´▽`)ノ
TBありがとうございました。
私のどうでしょうデビューは「絵はがきの旅」でした!
まだまだ私も「どうでしょう」していきます!
TBありがとうございます。
あんな写真ですが、楽しんで頂けた様で良かったです。
「椴法華村」から始まった私のどうでしょう。
もうすぐTVKでは終わりを迎えます。
早いですねぇ・・・。
もちろん「一生どうでしょうします!」
TBありがとうございました。
私は藩士になってまだ1年ちょっとというひよっこ
ですが、気持ちは皆さんと一緒です!
「一生どうでしょうします」
こんなことがいえる番組って、素晴らしいですね。
ここまで有名になるなんて思ってもなかったですよね!
どんどん有名になるのはちょっと淋しいですけど、次のステップに進むために頑張ってほしいです!
有名になっても変わらないスタイル、ここがまたいいですよね!
これからも宜しくお願い致します。
水曜どうでしょうにであったのは、6年くらい前に千葉テレビを何気なく見ていた時でした。
「サイコロ5~キングオブ深夜バス~」だったと記憶しています。
月並みですが、「一生どうでしょうします」