赤坂泰彦のミリオンナイツ
1993年から5年間、「赤坂泰彦のミリオンナイツ」というラジオ番組が放送されていました。
根強い人気を博していたが、制作サイドからの番組の路線変更によって97年に惜しまれつつ終了。そんな赤坂泰彦のちょっといい話を紹介します――。
夢の様な1時間
中2の時、映画「アメリカン・グラフィティ」に出演していたウルフマン・ジャックに憧れて、DJを志しました。
映画の鍵を握る謎のDJとして本人が出演していました。彼は、ラジオという小さな箱の中に世界を見せてくれましたね。
そんな憧れの存在に会える機会ができたのは、11年前のこと。
ラジオ局の開局記念でN.Y.から番組をオンエアすることになったんです。引退して半ば行方知れずのウルフマンを必死で探して、出演の承諾をもらいました。
ところが、ギャラや通訳代などの予算がない。一晩悩みました。
夢の競演を目前にお金の問題で断念するのか、それとも自費で払うか。。ラジオDJの収入は低くて、100万円以上の出費は痛かった。
でも結局、自腹を切りました。そして、夢の様な文句なしの1時間の共演が実現したんです。
その3ヵ月後、彼は死去。彼は最期まで「ヤスヒコは僕のホープ(希望)だ」と言ってくれていたそうです。
こんな生きたお金の使い方ができた僕は、心底幸せものです――。
編集後記
「赤坂泰彦のミリオンナイツ」で流したことをきっかけに、『尾崎家の祖母(尾崎ん家のババア)』というマイナーな曲が全国規模の人気となったことがあります。
今聴いたらそんなに面白くないけど、高校生だった当時、同級生から紹介されたテープを聴いて大いにハマりました(笑)
【記事引用】「赤坂泰彦」「日本経済新聞/06年11月5日(日)/13面」
「ウルフマン・ジャックと夢の共演」
【画像引用】「テレビ・ラジオスタジオ」 「ニューヨーク便り」