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○鷺山城址(佐竹秀義)岐阜市正木
佐竹秀義が築城し、土岐氏一族が代々城主となっていたが土岐氏最後の美濃守護職であった「土岐頼芸」は「斉藤規秀」(道三)により越前に追放された。
鷺山城は長良川を挟んで南岸の(岐阜城)と対照的な約2キロの位置にある。
鷺山は標高68メートルと高くはないが、平地の中にあり周囲を見渡す要所にある。
斉藤規秀は子「義竜」に岐阜城を譲り自ら鷺山城に隠居し、名を「道三」と号した。
しかし、義竜は道三により廃摘され弟が選ばれると誤信し、その弟を殺害し、さらに鷺山城を攻め弘治2年(1556)長良川河畔で道三を討ち取り、その後廃城となった。
佐竹秀義が築城し、土岐氏一族が代々城主となっていたが土岐氏最後の美濃守護職であった「土岐頼芸」は「斉藤規秀」(道三)により越前に追放された。
鷺山城は長良川を挟んで南岸の(岐阜城)と対照的な約2キロの位置にある。
鷺山は標高68メートルと高くはないが、平地の中にあり周囲を見渡す要所にある。
斉藤規秀は子「義竜」に岐阜城を譲り自ら鷺山城に隠居し、名を「道三」と号した。
しかし、義竜は道三により廃摘され弟が選ばれると誤信し、その弟を殺害し、さらに鷺山城を攻め弘治2年(1556)長良川河畔で道三を討ち取り、その後廃城となった。
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