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○岩崎城址(丹羽氏次・氏重兄弟が城主)日進市岩崎市場田 2006.8.15
「岩崎城」は享禄2年(1529)織田信秀により小高い岡に築城され、その後天文6年(1537)当地方の土豪である丹羽氏次(兄)が城主となった。「小牧・長久手」の戦いに家康に従い出陣し、弟の氏重が城を守ったが岡崎城攻めの道筋にあることから、池田恒興隊の総攻撃に合い300名が討ち死にし落城した悲劇の城である。この攻防に時間を費やしている間に徳川軍が追いつき徳川軍の圧勝となった。
その後丹羽氏次は「関が原の戦い」の戦功により、三河伊保一万石を与えられた。
現在は模城が建てられ資料館となっている。
「岩崎城」は享禄2年(1529)織田信秀により小高い岡に築城され、その後天文6年(1537)当地方の土豪である丹羽氏次(兄)が城主となった。「小牧・長久手」の戦いに家康に従い出陣し、弟の氏重が城を守ったが岡崎城攻めの道筋にあることから、池田恒興隊の総攻撃に合い300名が討ち死にし落城した悲劇の城である。この攻防に時間を費やしている間に徳川軍が追いつき徳川軍の圧勝となった。
その後丹羽氏次は「関が原の戦い」の戦功により、三河伊保一万石を与えられた。
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