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○川手城祉(土岐頼康)岐阜市下川手(済美高校隅)
美濃・尾張・伊勢3ケ国の守護職「土岐頼康」の居城であったが、1494年の船田の乱(明応4年・5年の二年間美濃の覇権をかけて,土岐氏、斉藤氏など利権を掛け争った混乱期)により廃塵となった。
(船田城・加納城・川手城は川を挟み近い距離にある)
天文元年に「土岐頼康」は鷺山城主「土岐頼芸」に攻められ越前へ退散し、変わって「頼芸」が守護となったが、それも「斉藤道三」によって追われ、道三が美濃の国主となった。
その後美濃の本城は川手城から稲葉城(岐阜城)へ移った。
美濃・尾張・伊勢3ケ国の守護職「土岐頼康」の居城であったが、1494年の船田の乱(明応4年・5年の二年間美濃の覇権をかけて,土岐氏、斉藤氏など利権を掛け争った混乱期)により廃塵となった。
(船田城・加納城・川手城は川を挟み近い距離にある)
天文元年に「土岐頼康」は鷺山城主「土岐頼芸」に攻められ越前へ退散し、変わって「頼芸」が守護となったが、それも「斉藤道三」によって追われ、道三が美濃の国主となった。
その後美濃の本城は川手城から稲葉城(岐阜城)へ移った。
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