海辺のカフェMARZO

都会の片隅で気ままに暮らすがんサバイバーの記録

ジェノバの「海の人々の店」

2024-10-29 08:23:16 | 日記
行った事ないのに何故か懐かしくてうれしくて涙が出てきちゃった。

ルカーダ:海の人々の店
2024/04/30
Nonna Angela, la figlia Michela e la nipote Elena - 3 generazioni su 5 di un'attività di famiglia dal 1920 - raccontano il passato, il presente ed il futuro di quella che è da molti conosciuta come la bottega della gente di mare.
ノンナ・アンジェラ、娘のミケーラ、そして孫娘のエレナ——1920年から続く家族経営の事業の5世代中の3世代が、海の人々の店として知られるこの場所の過去、現在、そして未来を語ります。


HPもありました。


ルカーダは、ジェノバの旧市街の中心部にある「リパ・マリス」の中世のポルティコの下に位置する衣料品店です。このリグリアの街では、海の香りと港の音が混ざり合い、地中海全体の交通の要所としての歴史があります。しかし、ルカーダは家族経営であり、伝統的かつ歴史的な店舗でもあります。1920年からルカーダ家が経営を続けています。

すべては、ヴェネト州のスキオから来たジュゼッペが、ヴィア・XX・セッテンブレに布地店を開いたことから始まりました。その店は、7つの入り口があるため「ダ・エ・セッテ・ポルテ」と呼ばれていました。その後、息子のミンモが、戦争から帰還し、工房で技術を学んだ後、1920年にソットリパに作業服の小さな店を開きました。これが海員や漁師、そして全てのジェノヴェーゼ向けのカジュアル/スポーティな服を提供するルカーダの始まりです。

その後、息子たちのセルジオ、ジョルジオ、ミレッラが店の名前と製品を世界に広め、ジェノバの海のスタイルを身にまとわせました。現在は、セルジオの娘ミケーラとその娘エレナが4世代目と5世代目を代表しています。

ルカーダは、街で初めてジーンズを販売した店であり、有名な「ボクサー」シャツ(ギャラリー・ラファイエットにも展示)や鮮やかな色のメンズパンツ、ダブルブレストの青いジャケット、ストライプのボート用Tシャツ、そして伝説のピドッキエレ(粗いウールの海員用セーター)を取り扱っていました。特に、ルカーダは1950年代から1980年代にかけて港や航運会社の重要な拠点でした。地中海のフェリー、カンガルーライン、エスプレスライン、イタリア社、ロイド・トリエスティーノ、ティレニアなど、当時の多くの航運会社が、船員向けの衣料品を調達するためにこの店を利用していました。ルカーダは、作業員から漁師、乗組員、船主の子供たちまで、すべての人々を服装で飾っていました。

ジェノバ市は、特定の衣料品に関する重要な拠点としてルカーダを認識しており、この店は市の歴史を刻み、ジェノヴェーゼのファッションやトレンドを形成してきました。これにより、店は市と商工会議所から「歴史的な店」として認定されています。海や港との関わりから、ルカーダはしばしば「海の人々の店」と呼ばれています。
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1年ぶりに水族館に行きました

2024-10-26 12:00:04 | 日記
1年ぶりに水族館にいきました。
半年に1回くらいは行きたいです。
治療のためとはいえ、我ながらよくがまんしました。

動物園の動物もそうだけど水族館の魚は
毎日訪れるいろんな人間を見て何かを感じるのか。
水族館の場合はアクリル板で遮られているから
私たちが普段見ているテレビみたいな感じなのか。

そんなことは帰ってから考えていて
水族館にいる間はひたすらお魚さんたちを
見ているだけで楽しいのでした。
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暮らす町は元水辺

2024-10-14 09:45:40 | 1990年代

水辺が好きな私ですが、もうこの町で20年以上。
でもよく調べたら、ここも水辺だった。

広大な浄水場跡地のまち。

【前編】新宿副都心の意外な雑学(18分)2024/10/11

ついでに、すぐ近くの散歩コースの雑学。

【新宿】世界最大の駅である新宿駅南口付近に限定した雑学(15分)2024/09/11 
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眺めの良い水辺を散歩

2024-09-12 10:33:39 | 日記
9月も半ばに差し掛かるというのに
連日の予想最高気温は週末までずっと35℃!
陽が傾いてから散歩しています。

英国皇太子妃も化学療法を終えられ今後ご公務を増やしたいとのこと。
私めも二つ目の連休明けには休職者リストから外れます。

過去最高に暑かった夏の名残はまだまだありますが
みなさま素晴らしい秋を迎えられますように。
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赤いアロハと学食ビールの思い出

2024-09-10 10:39:55 | 1990年代
九月に入っても暑くて急な雨もどっさり降ります。
夏が好きなので暑いのは平気ですが
過ぎたる雨量や突風や落雷は考えもの。
みなさまどうぞご安全に。

かつて住んでみた体感、夏が前後に1ヶ月ずつ長い沖縄本島の思い出話を一つ。

北を向いて右手に太平洋、左に東シナ海を望む
高台の屋上を持つ学部にいました。
学生食堂に最も近く、光たっぷり眺めの良い席を
私の学科の学生はもちろん
先生もよく利用していました。

個性豊かな学生と生徒に出会えたのは生涯の宝。

その頃は、
かつてクジラの研究の権威が「海の全てを学べる学科を」と
全国から教員を集めた
個性豊かなドリームチームがありました。
インディージョーンズもびっくりな面子。
准教授・助教やポスドク、入り直した学生も入れると
元帝大の全部の人が居たというくらい!

同じ学部の中でも、ちょっとだけ
偏差値が違っていたかも。

還暦の時に先輩方から赤のアロハを贈られたという老教授は
この辺境の学校には勿体無いくらいのその分野の権威でした。

にもかかわらず私たちは
「うっじー」と密かに呼んで親しんでいました。

申し遅れましたが、元帝大のどこよりも
卒業が難しい学科で皆激しく学んでおりました。

なんてこともすっかり忘れ四半世紀。
今朝、動画ニュースを見ていたら、
何となく見覚えのある感じ、そしてお名前をみて「!」
老教授の忘形見が、人類の未来を守るため
乗員200名の船を率いて今、
あの大きな災害の痕跡に挑みます。


私は途中まで老教授と同じ分野に進むことも視野に入れて講義をとっていましたが、3年の選択で別の分野に進みました。というか、2年の夏には後の師匠に呼ばれて北海道とか行っていました。

3年の専門科目の講義初日に老教授は「◯◯さんは?」と聞いたらしく、私の不在をさびしがっていたよと同級生が言っていました。ほんまかいな。

学食でお昼にビール、もちろんオリオンを嗜まれ、滑らかな口調で進められる午後の授業、良かったな。のどかな時代でもありました。良き良き。
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