幸せな無職の日常

27歳にして4度目の無職。
現在腰のヘルニア療養中…
自称「歩く波乱」の私が、人生を振り返りながら自分を見つめ直すブログ

ただ今を楽しむ

2020-11-24 23:02:26 | 幸せな無職の日常
最近コロナ第三波で、まだまだ油断できない状況ですね。
今回の三連休もこれといった外出はしていません。

家の草むしり、掃除、後はたまっていた録画を観たりして過ごしていました。


昨日は、久しぶりに彼氏が私の家に遊びに来ました。
今年の夏まで同棲していたので、こうして家に遊びに来るのは1年半ぶりでしょうか。

出戻りした部屋で、プロセカやピクミン3をして過ごしたのですが、ふと付き合って間もない頃を思い出して幸せな気持ちになりました。

コロナ、同棲解消、究極の選択と、私たちの交際は決して順調ではありませんでしたが、またこうして一緒にゲームをして過ごせるようになったことが純粋に嬉しかったです。

それは彼も同じだったようで、憑き物がとれたみたいに、またお互いと向き合うことができました。


今を楽しめば楽しむほど、彼と私の仲は深まり、未来を考えれば考えるほど、彼と私は離れていく…
それは確かな現実で、決して目を背けられるものではありません。
それが「今」の私たちの関係であるのなら、それを受け入れることが第一歩だと思っています。

昨日一緒に過ごした中で強く感じたのですが、ただ今を楽しむことで彼と私の心は癒やされ、お互いを必要な存在だと認識することができました。

今の私たちに必要なのは、ただ今を楽しむことなんだと、いずれ来る決断に繋がる答えがひとつ出たように思います。

付き合い始めた頃のように、純粋な気持ちで毎日を楽しめたらとも思います。

そうしたら、自然と答えは出てくると信じています。




写真は、私の好きなインドカレーです。
昨日彼と食べてきました。


別れと別れと再会

2020-11-22 13:07:46 | 幸せな無職の日常
順調な滑り出しだった夏休みも、2ヶ月目に差し掛かって悲しいことが重なりました。

中国人の彼と別れ、おばあちゃんは亡くなり、台風の被害にも遭って…

失意のどん底にいながらも、悲しみを打ち消すように、語学や資格の勉強、ゲームで気を紛らわせる日々でした。


少しずつ日常に戻って、またいつものようにゲームに明け暮れていたとき、懐かしい人からLINEが来ました。

そう、今の彼氏です。実に3年ぶりのLINEでした。

彼からの「会いたい」に二つ返事でOKして、気付けば連絡が来てから1時間後には再会していました。

今の彼氏は中学時代のクラスメートで、当時は仲の良い友達でした。
高校生のときに偶然電車で再会してからは、夢に出てきたり、そっくりさんを見かけたり、偶然会ったり…
なぜかまた会えると思えるような不思議な縁がありました。

実は3年前に付き合う話は出たのですが、結局自信が持てなかった彼から「やっぱりやめよう」と言われてしまい、そのまま疎遠になった経緯があります。

私からしたら急にどうした?という気持ちと、今は何をしてるのかなという気持ちが混ざっていましたね。消化不良のまま思い出になっていた彼とのことは気になりますしね。


久しぶりに会った彼はちょっと劣化(失礼ッ)していました。
正直な感想です笑
感動的な再会とまではいきませんでしたね。


私の濃すぎる3年間のせいか、話し出したら止まらなくなって、午後2時にカフェに入り、出たのが閉店時間という新記録を樹立。

当の彼は緊張で変な汗をかきつつも、3年前と変わらず接する私に感謝していたそうです。

彼に対する恋心は3年前に置いてきてしまったものの、お互いに元気に過ごせている(?)ことが確認できて良い収穫となりました。


後で聞いた話ですが、彼は私にLINEする決心がつくまでに半年かかったそうです。
そして、私と付き合いたい気持ちは捨てて、幸せに過ごしていることを確認することで心に区切りをつけるつもりだったそうです。

ところが、私の話を聞いて区切りをつけるどころではなくなったとか笑



彼との再会は、何度目かの人生のターニングポイントとなりました。

このときの私は、彼とは付き合う気はありませんでした。
親友として、細く長く関係を続けたい思いもありました。

不思議な縁があり、大切にしていきたいからこそ、付き合わない方が綺麗な関係でいられる気もしていたのです。

上司のこと、中国人の彼のことなど、いろいろと悲恋を経て傷付いてきたからか、恋愛に後ろ向きだった気もします。

自分にとっての幸せとは何か、まだまだわからない時期でもありました。







慰謝料400万と厳しい現実

2020-11-19 18:19:02 | 幸せな無職の日常
退職後の夏休み、私は1週間ほど中国人彼氏の住むアパートへ行っていました。

彼の手料理を食べたり(中国人男性は基本的に料理が上手いらしい)、香港映画やホラー映画を観たり、大学を案内してもらったり、家具を見に行ったり…

結婚したらどんな生活をしようかとか、子どもの名前は日本でも中国でも使えるようにと奈奈(なな/ナイナイ)と悠悠(ゆうゆう/ヨウヨウ)がいいねなんて浮かれた話もしていました。

と言うのも、彼の離婚を知ってから、日本にいる彼の親友と会ったり、私の幼なじみと会ってもらったりして、少しずつ公認の仲になっていたからです。
彼のお母さんは私のことを認めてくれていたようですが、彼のお父さんは反日感情が強いため、まだ交際を言い出せない状況でした。

私の家族も似たようなもので、付き合っているのは知っていましたが、中国人との結婚はやめてほしいという雰囲気はありました。

それでも彼は、お母さんと協力して必ず私との交際や結婚をお父さんに認めてもらうと約束してくれました。それだけで心が救われたことを今でも覚えています。


しかし、現実は想像以上に厳しいものとなりました。

彼が色んな人に説明して、彼のお父さんにもようやく納得してもらった離婚…
彼の家には元妻一家から批難の電話が毎日のように続き、相当泥沼化していたそうです。

彼は学生であったため、生活費はすべて元妻が払っていたそうです。1年未満の短い結婚生活だったとはいえ、お金はかかっています。
しまいには結婚詐欺だと言われ、最終的には彼が慰謝料として400万を支払うことで決着がついたそうです。


その結果を知り、私の頭の中は400万の重みでいっぱいになりました。

もともとハードルの高い交際なのに、泥沼離婚もプラスされてとんでもなく苦難の道になってしまいました。

そのことに心を痛めた彼は、自分を見つめ直して、私との今後を考えたいと、1ヶ月ほど中国の実家に戻りました。


泥沼離婚を経て、彼は結婚に慎重になり、自分の性格ではうまくやれないし、もう誰も傷付けたくないと考えるようになったそうです。

私も、突きつけられた現実と、ふたりの幸せとの間で揺らぎながら、彼と別れることを受け入れました。



2年以上前の話ですか、なかなかこの葛藤は苦しいものでした。

私は上司への思いを断ち切るために彼と出会い、彼は妻と離婚するために私と出会ったような気がしてしまったからです。
しかし、私も彼も出会ったことでお互いにとって良い方向へ向かえたと思います。

例え一緒になれなくても、出会えてよかったと思える関係も尊くて美しいですね。


今となっては結婚するしないの次元の話ではありませんが、この言葉はこの先も忘れることはないし、過去の思い出として大切にしています。







日記のすすめ

2020-11-18 18:33:56 | 幸せな無職の日常
昨日は論文添削の話で、ひたすら「読む」にフォーカスを当てたので、今日は「書く」をテーマにブログを書きます。
次に書こうと思っている夏休みのエピソードも、いつも通りわりとえげつないので箸休めです。



私の趣味は日記で、中学生の頃から毎日書いています。
もう12年半ほど書いていることになりますね。

こんなに長く続けられたのも、小学生の頃から作文が得意だったからかなと思います。

最近は、その日の出来事を毎日スマホのメモ帳にザッと箇条書きして、後でまとめて日記帳に清書するスタイルに落ち着いています。

こだわりポイントは、

①手書き
②枠内全部埋める(200字程度)
③空白の日を作らない

これを徹底しています。

それぞれの理由は以下の通りです。

①そもそも日常で文章を手書きすることがほぼないため、日記を書いて手書きの機会を作っています。
おかげで漢字忘れもありません!

キーボードの方が圧倒的に速いし、修正もしやすいですが、作文用紙に一生懸命書いていた小学生の頃の思い出を細く長く守っていきたい気持ちがあります。

②字数を決めることで、要約力が格段にアップします。核となる部分がハッキリするので、読みやすいですし、その時の情景が浮かびやすいです。

逆にダラダラ過ごしただけの日でも、絞り出せばいろいろやってたことに気付けます。
何気ない日常の積み重ねこそ、未来の自分へと繋がっていくことを実感できます。

③毎日が当たり前のようで当たり前ではないからこそ、空白の日を作るのがもったいないです。
それに、日記を続ければ自分の成長がよくわかります。どんなことに興味を持ち、どんなことで悩むのか…
読み返せばなおさら、いろいろあったなとしみじみするものです。

私のように日常が目まぐるしい人ほど、何気ない日常への憧れが強いのかもしれません。

※彼氏には波乱がなくなるとすぐ飽きるのではと懸念されています



脳科学的にも、日記は良いとよく言われていますね。
1日を振り返るって脳にとても良い刺激になるそうです。

私の場合は、
①1日のできごとを思い出しながらメモ書き
②後でまとめて清書(1週間分)
③時々日記を読み返す

を繰り返すので、同じ1日でも最低3回以上は思い出すようになっています。

1日を3倍楽しんでいるような気分になりますね笑


私にとって日記は生活の一部であり、歩んできた人生の記録です。

皆さんも日記を書いて、日記の魅力にハマってもらいたいなぁと密かに思っています。

画像は過去の日記です。改めて見るとゾッとしますね笑
試行錯誤の形跡も見えますが、まだまだ。
ちなみに、右上のブロックタイプが読みやすいです。
ウィークリータイプだと、狂気じみてますので笑





論文添削と取り戻した自信

2020-11-17 22:48:46 | 幸せな無職の日常
ちょっと寄り道しましたが、退職後の夏休みのことを書いていきます。

語学学習アプリを通じて、ある中国人大学院生と友達になりました。彼女は中国の中でも超一流大の大学院生で、日本の歴史や文学を研究しています。
(現在は日本に留学中です)

住む世界が違うような人と友達になれたのは本当に貴重な経験でした。


ひょんなことから、彼女の翻訳試験の手伝いをすることになりました。
彼女が日本語に訳した文章を私がネイティブチェックするのですが、あまりにも正確でクセのない日本語に度肝を抜かれたことを覚えています。
(日本語教師の経験から見ても、彼女の日本語力は驚異的です)

他にも、彼女の論文やレポート(日本の歴史や文化、文学)も添削しました。
正直言って、一般的な日本人よりも上手い文章でした。中国人が書いたとはとても思えません。
私も日本人のプライドにかけて、辞書片手にめちゃくちゃ厳しくチェックしていましたね。
日本人なのに辞書で調べながら日本語を読むって、なんかすごいなと思います。

しまいには古典文学の現代語訳までやるようになり、どんどん難解な文章に取り組むようになりました。

1章訳すのに2人で3時間。日本人のプライドにかけて、(2度目)古語の意味や情景をわかりやすく解説もしました。まさに根気との戦いで…時間に余裕がないととてもとてもできません。


その時の私は専属の家庭教師でした。いくら日本人と言えども、専門的な論文や古語まで添削したり解説するのは至難の業です。でも、少しでも彼女の役に立ちたくて頑張りました。

そんな私のことを彼女は心から尊敬し、感謝してくれました。

私よりも遥かに頭が良くて将来有望な彼女から尊敬されるのは、何とも言えない不思議な感覚でしたね。

正直、扱う文章が難しすぎてお手伝いの枠を遥かに越えていたんですが、大変さより、私の中に眠るアカデミックな部分が刺激される喜びの方が大きかったと思います。

論文と向き合う度、大学で勉強していた日々を思い出しました。

過去の栄光だったはずの私の記憶が蘇り、彼女を通して自信を取り戻すことができたと思います。

それは今も、私から放たれているであろう謎のオーラの一部となっている気がします。