幸せな無職の日常

27歳にして4度目の無職。
現在腰のヘルニア療養中…
自称「歩く波乱」の私が、人生を振り返りながら自分を見つめ直すブログ

夢いっぱい

2020-11-30 19:00:45 | 幸せな無職の日常
ここ最近は新聞に投稿するエッセイの執筆に専念しています。
他にも投稿できそうなものはいろいろチャレンジしていきたいと思っています。
時間の余裕と心の余裕のなせるワザです笑

それに、いよいよ12月になるので、メスシ会(LINEスタンプ作成会)も大詰め、草むしりや掃除もいい感じに進んでいます。

高校時代の同級生と会う約束もしたし、プチ忘年会も計画中です。

順調に2020年を締めくくっていきたいですね。
そろそろ私の充電期間も終わりが近付いてきたような気もします。


もともとコロナがなければ、台湾に1年ほど行く予定でした。
日本語学校の先生版交換留学的なやつです。行くかどうかは面接で決まりますが、エントリーするつもりでした。

コロナによって大幅に計画が変わり、仕事も続けられなくなった今となっては、何が最良なのかまだまだわかりません。

とりあえずどこかで働いて貯金して、単身台湾へ行くのもアリかななんて、最近はぼんやり考えたりします。

無職&結婚の予定もない今だからこそ、何でもできるんだなと改めて実感します。
海外で働くなんてまったく考えたことのない数年前が懐かしいです。

今の彼氏との関係同様、今すぐに答えを出さず、貯金してからまたどうするか具体的に考えていこうと思います。
(すぐに結論を出そうとして失敗した経験から)

何もないようで何でもできる今の生活も、気軽に他の人にすすめられるものではありません。それでも、自信を持って言えることは、いろんな選択肢があって夢いっぱいです。



8年温めた片思い

2020-11-26 12:42:01 | 幸せな無職の日常
今の彼氏への恋心を3年前に置いてきた私は、その当時今の彼と付き合う気はありませんでした。

彼にも今は恋愛をお休みするつもりと、それとなく釘をさしていたくらいです。

そんな私の気持ちを変えたのは、彼からの衝撃の告白でした。

なかなか言い出せなかったそうで、覚悟を決めるため、わざわざ山まで行ったくらいです。

※付き合うかどうかの話をしていた頃に何度か行った思い出の山です。
彼にとっての定番のデートコースは山(峠攻め)、ホームセンター、ラーメン屋なので…


彼の思いを簡単にまとめると

・高校のときに偶然再会したときからずっと好きだった(片思い歴8年)

・3年前は自分に自信が持てず、どうせすぐに振られると思い付き合うのをやめた

・これからも他の誰かを好きになることはない


傷心期であってもなくても、正直重すぎる気持ちに尻込みしたものの、彼の純粋な気持ちに心打たれたのは確かです。

3年前のことなどが頭をよぎったものの、私もモヤモヤが消化されてスッキリした気持ちになりました。

中国人の彼への気持ちが完全に吹っ切れたわけではありませんでしたが、今の彼の長い片思いに賭けてみたいとも思いました。


今となっては私の判断が正しいとも正しくないとも言えませんが、彼のことを運命の人だと自ずと思えるような関係にはなれました。

究極の選択を悩ませる一番の原因となるエピソードではありますが、私は彼と離れたくのは本心です。

彼に好かれてからもう10年以上が経ちました。今もなお好かれ続けていることに感謝しています。


ただ今を楽しむ

2020-11-24 23:02:26 | 幸せな無職の日常
最近コロナ第三波で、まだまだ油断できない状況ですね。
今回の三連休もこれといった外出はしていません。

家の草むしり、掃除、後はたまっていた録画を観たりして過ごしていました。


昨日は、久しぶりに彼氏が私の家に遊びに来ました。
今年の夏まで同棲していたので、こうして家に遊びに来るのは1年半ぶりでしょうか。

出戻りした部屋で、プロセカやピクミン3をして過ごしたのですが、ふと付き合って間もない頃を思い出して幸せな気持ちになりました。

コロナ、同棲解消、究極の選択と、私たちの交際は決して順調ではありませんでしたが、またこうして一緒にゲームをして過ごせるようになったことが純粋に嬉しかったです。

それは彼も同じだったようで、憑き物がとれたみたいに、またお互いと向き合うことができました。


今を楽しめば楽しむほど、彼と私の仲は深まり、未来を考えれば考えるほど、彼と私は離れていく…
それは確かな現実で、決して目を背けられるものではありません。
それが「今」の私たちの関係であるのなら、それを受け入れることが第一歩だと思っています。

昨日一緒に過ごした中で強く感じたのですが、ただ今を楽しむことで彼と私の心は癒やされ、お互いを必要な存在だと認識することができました。

今の私たちに必要なのは、ただ今を楽しむことなんだと、いずれ来る決断に繋がる答えがひとつ出たように思います。

付き合い始めた頃のように、純粋な気持ちで毎日を楽しめたらとも思います。

そうしたら、自然と答えは出てくると信じています。




写真は、私の好きなインドカレーです。
昨日彼と食べてきました。


別れと別れと再会

2020-11-22 13:07:46 | 幸せな無職の日常
順調な滑り出しだった夏休みも、2ヶ月目に差し掛かって悲しいことが重なりました。

中国人の彼と別れ、おばあちゃんは亡くなり、台風の被害にも遭って…

失意のどん底にいながらも、悲しみを打ち消すように、語学や資格の勉強、ゲームで気を紛らわせる日々でした。


少しずつ日常に戻って、またいつものようにゲームに明け暮れていたとき、懐かしい人からLINEが来ました。

そう、今の彼氏です。実に3年ぶりのLINEでした。

彼からの「会いたい」に二つ返事でOKして、気付けば連絡が来てから1時間後には再会していました。

今の彼氏は中学時代のクラスメートで、当時は仲の良い友達でした。
高校生のときに偶然電車で再会してからは、夢に出てきたり、そっくりさんを見かけたり、偶然会ったり…
なぜかまた会えると思えるような不思議な縁がありました。

実は3年前に付き合う話は出たのですが、結局自信が持てなかった彼から「やっぱりやめよう」と言われてしまい、そのまま疎遠になった経緯があります。

私からしたら急にどうした?という気持ちと、今は何をしてるのかなという気持ちが混ざっていましたね。消化不良のまま思い出になっていた彼とのことは気になりますしね。


久しぶりに会った彼はちょっと劣化(失礼ッ)していました。
正直な感想です笑
感動的な再会とまではいきませんでしたね。


私の濃すぎる3年間のせいか、話し出したら止まらなくなって、午後2時にカフェに入り、出たのが閉店時間という新記録を樹立。

当の彼は緊張で変な汗をかきつつも、3年前と変わらず接する私に感謝していたそうです。

彼に対する恋心は3年前に置いてきてしまったものの、お互いに元気に過ごせている(?)ことが確認できて良い収穫となりました。


後で聞いた話ですが、彼は私にLINEする決心がつくまでに半年かかったそうです。
そして、私と付き合いたい気持ちは捨てて、幸せに過ごしていることを確認することで心に区切りをつけるつもりだったそうです。

ところが、私の話を聞いて区切りをつけるどころではなくなったとか笑



彼との再会は、何度目かの人生のターニングポイントとなりました。

このときの私は、彼とは付き合う気はありませんでした。
親友として、細く長く関係を続けたい思いもありました。

不思議な縁があり、大切にしていきたいからこそ、付き合わない方が綺麗な関係でいられる気もしていたのです。

上司のこと、中国人の彼のことなど、いろいろと悲恋を経て傷付いてきたからか、恋愛に後ろ向きだった気もします。

自分にとっての幸せとは何か、まだまだわからない時期でもありました。







慰謝料400万と厳しい現実

2020-11-19 18:19:02 | 幸せな無職の日常
退職後の夏休み、私は1週間ほど中国人彼氏の住むアパートへ行っていました。

彼の手料理を食べたり(中国人男性は基本的に料理が上手いらしい)、香港映画やホラー映画を観たり、大学を案内してもらったり、家具を見に行ったり…

結婚したらどんな生活をしようかとか、子どもの名前は日本でも中国でも使えるようにと奈奈(なな/ナイナイ)と悠悠(ゆうゆう/ヨウヨウ)がいいねなんて浮かれた話もしていました。

と言うのも、彼の離婚を知ってから、日本にいる彼の親友と会ったり、私の幼なじみと会ってもらったりして、少しずつ公認の仲になっていたからです。
彼のお母さんは私のことを認めてくれていたようですが、彼のお父さんは反日感情が強いため、まだ交際を言い出せない状況でした。

私の家族も似たようなもので、付き合っているのは知っていましたが、中国人との結婚はやめてほしいという雰囲気はありました。

それでも彼は、お母さんと協力して必ず私との交際や結婚をお父さんに認めてもらうと約束してくれました。それだけで心が救われたことを今でも覚えています。


しかし、現実は想像以上に厳しいものとなりました。

彼が色んな人に説明して、彼のお父さんにもようやく納得してもらった離婚…
彼の家には元妻一家から批難の電話が毎日のように続き、相当泥沼化していたそうです。

彼は学生であったため、生活費はすべて元妻が払っていたそうです。1年未満の短い結婚生活だったとはいえ、お金はかかっています。
しまいには結婚詐欺だと言われ、最終的には彼が慰謝料として400万を支払うことで決着がついたそうです。


その結果を知り、私の頭の中は400万の重みでいっぱいになりました。

もともとハードルの高い交際なのに、泥沼離婚もプラスされてとんでもなく苦難の道になってしまいました。

そのことに心を痛めた彼は、自分を見つめ直して、私との今後を考えたいと、1ヶ月ほど中国の実家に戻りました。


泥沼離婚を経て、彼は結婚に慎重になり、自分の性格ではうまくやれないし、もう誰も傷付けたくないと考えるようになったそうです。

私も、突きつけられた現実と、ふたりの幸せとの間で揺らぎながら、彼と別れることを受け入れました。



2年以上前の話ですか、なかなかこの葛藤は苦しいものでした。

私は上司への思いを断ち切るために彼と出会い、彼は妻と離婚するために私と出会ったような気がしてしまったからです。
しかし、私も彼も出会ったことでお互いにとって良い方向へ向かえたと思います。

例え一緒になれなくても、出会えてよかったと思える関係も尊くて美しいですね。


今となっては結婚するしないの次元の話ではありませんが、この言葉はこの先も忘れることはないし、過去の思い出として大切にしています。