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爺々ネタ?

「これ何? 新聞はもうその役目を終えたのか?」

 【今日の俳句】:涅槃西風(春)
   涅槃西風 投函音で眼を覚ます

 【今日の思込】:空気を読まない「東京新聞」
   『東京新聞はなぜ、空気を読まないのか』、
  その回答は、”東京新聞だから…”

   「東京新聞」&「空気を読まない」と言えば、
  有名?なのが編集局社会部の「望月衣塑子」記者。

   そもそも新聞の使命とは何でしょうか。
  世の中に人々の代弁者として権力をチェックし、
  「本当のこと」を伝えて警鐘を鳴らすことでしょう。

   記者達が批判を恐れて権力に忖度し、
  質問することをやめたら、その先には
  何があるのでしょうか?

   最高裁は1969年11月、
  報道機関による事実の報道は
  国民の「知る権利」に奉仕するものとして、
  憲法21条の保障のもとにあると認定している。

   これは、「報道機関の果たす役割が、
  権力の恣意的行使を防ぎ、国民の基本的人権を
  保障するという憲法の理念を実現するために
  不可欠であると憲法が認めている」という事。

   翻って戦時中の新聞は「大本営発表」を
  垂れ流しにして、軍部との一体化により
  国民の熱狂を煽ることに加担していた。

   現代においても此の「大本営発表」にも似た
  政府等の言質を盲目的に信じている新聞社もある。

   今も、そこかしこで、この「大本営発表」にも
  似た事象が散見されている……

   SNSの時代と言えども、まだまだ「新聞」の
  果たす役割は重要度を増していると思われる。

   なかには、権力に忖度して「言いたいことも書けない」、
  「言わねばならない事」も書かない新聞社も………

   「本当のこと」を知るためには、相手からは
  「物分かりの悪い記者」と思われても、
  しつこく食い下がる記者としての資質が
  必要なのでしょう。

   記者が気にすべきは、その場にはいない
  ” 読者の思い ” なのでしょう。
  「相手の土俵に乗らない」が、
  記者たちの合言葉だった……今でも………

   明治から戦前にかけて軍部と権力者を
  痛烈に批判し続けた新聞記者「桐生悠々」。

   彼は信濃毎日新聞の主筆時代の
  「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」の
  見出しを付けた社説で知られています。

   その悠々が個人誌『他山の石』に、
  「言いたい事」は権利の行使であり、
  「言わねばならない事」は義務の履行だと述べています。

   これらの事は、は現代においても、
  心の留めて実行すべきことだと
  考させられる言葉です。

   現代の「大本営発表」にも似た情報の
  垂れ流しには事実関係の確認を怠らない、
  また「戦える国に変貌」した国を監視するくらいの
  心意気がどの新聞社においても必要だと
  思われるのですが……

   集団的自衛権の行使を容認した安保法制に
  よって日本は、「戦える国?」となり、
  「新しい戦前」とも言われる状況下にもなっている……

   新聞社の存在意義は、読者の代わりに質問し、
  「本当のこと」を明らかにすることが
  主目的であることは、今も昔も変わらない……

   忖度せずに何処までも「質問」を
  続けられるかが、鍵なのでしょう……

 PS.
   映像ジャーナリストの「伊藤詩織」君が
  東京新聞の「望月衣塑子」記者に対して2月10日
  執筆記事で名誉を毀損されたとして330万円の
  損害賠償を求め東京地裁に提訴した。

   望月衣塑子記者は事実の一旦は認めつつも
  記事を掲載した社を訴えずに個人に訴訟の負担を
  負わせるこの訴訟は、言論活動を抑えようとの
  意図をも感じるとのコメントも発している。

 【今日の川柳】:新聞
  「新聞紙」寒い時には防寒具
  「新聞社」新と言う字を「真」に変え
  「政府刊」忖度新聞発売中

 【今日の道話】:迷
    迷えば仏も衆生、悟れば衆生も仏。
    愚痴なれば仏も衆生、智慧なれば
    衆生も仏。 (『六祖壇経』)
 *思いは人それぞれです。内容は当然の事ながら「個人的見解」と言う事で…

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