ぴーなっつ機関紙すぷらうとNo16の後書きにおいて、川添夏来さんは昔の仲間の一人が手作り茶葉を送って来るとのことです。
障地問・文福時代からの仲間なんですねぇー。
その人をSさんとしましょう。
Sさんは介護労働の他に請求日が近くなれば、事務経理を夜通し毎日やっていたので、心身ともに疲れきって退職しました。
二度と障害者の介護はしないと口にして。
いまでも関係性が続くのは、おそらく川添夏来さんからの、気持ちの悪いLOVEメール💖を受け取っているからなんですね。
川添夏来さんは「今の自分の礎(いしずえ)は、八木さん達から始まっている」らしいですが、嘘つくのもいい加減にしろ。
移送(川添・清水)以外の介護職員は介護労働だけで、月300時間や400時間はザラに働いていました。
いつの時代も介護職は人手不足なので。
その上、文福の活動まで強いられていました。
~文福時代~
では、その頃の川添夏来さんのシフト表はどうだったのか?
つつみ隠さず無修正で振り返っていきましょう。
プライバシーとはいえ7、8年は前なので、もう時効みたいなもんでしょ。
1月
文福設立時から、ずっと川添夏来さんのシフト表を調整していたのは清水博史さんです。
これは清水博史さんの字なんですね。
このシフト表って川添さんが体調悪くて、静養しながら仕事をしているのではなく、設立当初からずっとこんな感じでした。
清水博史さんは12時間は福祉車両に座りっぱなしの毎日だったので、清水さんの過酷なシフト表は見せれませんなぁ笑
川添さんのシフト表にはニュース〆切りだの印刷だの書かれてありますね。
このようなスッカスカのシフト表であれば、機関誌・障ちゃんニュースの編集・印刷・製本まで、たった一人でもできてしまいます。
7月
7月15日(木)は空白と思いきや、20時あたりから
村門~。
と書いてあります。
村門(むらかど)って名前の人の、泊まり込みの介護ですか?笑
このシフト表にある、S田姉妹の長時間介護はできて、どうして夢宙人会議での森田の介護や、家の床に座っているK子さんの介護はできないんでしょうか?
S田姉妹よりも、遥かに腰に負担がかからないのに、どうして川添さんは「できない」と断り続けていたのでしょうか?
3日分も空白の日ですが助成金でも申請しているのか?
スッカスカの空白部分で、一体なにをしているか?
「村門~。」ってなんなのか?
全て 謎 です。
9月
日中は事務所にいたりするのでしょう、気ままに人と話して自身のパソコンデスクに戻っていくという女王様体質でした。
水曜日と木曜日に「ギター合宿」とありますが、どー考えても仕事じゃないですよね。
そして土曜日と日曜日は移動ネット(東京)だそうですが、移動ネットの全国集会(?)が東京であったとしても、あって半日でしょ。
その他の空いた時間は完全に旅行なのに、川添夏来さんは事務所の経費を使ってたんですねぇー。
そして前文の繰り返しですが、その他の職員は介護労働だけでも月300時間や400時間と、疲弊・憔悴している訳です。
そんな中、文福から移送を独立させる旨がある川添夏来さんは、何故だか事務所に来れない(来ていない)状態なのに、運営会議に稀に出席してもずっとスマホいじってたんですね。
事務所に来れないのはあの事務員(当時)なんですけど、その理由を誰もが口ごもるような、非常に気持ちの悪い空気が事務所に漂ってました。
なので川添夏来さんは弱っていたのか?と思いきや、独立した途端にFacebook上で辞めた文福職員や現存している文福職員をバカにしていました。
その動向に気づいていたのは福田さんですが、御年60過ぎても川添は「ふーみん」などと舐めた口ぶりなのでしょう。
文福の確たる収益は介護労働です。送迎やレクリエーション、機関誌の広報活動をいくらやろうが、職員の給料は何も変わりません。
そして川添夏来さんのシフト表って、ぶっちゃけ川添が事務所にいなくても何も変わらないんですね。
れいんぼうの会(?)の口座の金にも、何も関係してません。
昔の仲間ねぇー。
辞める時に口座の金から、チョロっとくださいよ~と、おねだりしてきた川添・清水。
清水は「年齢的に事業やるとしたら最後のチャンスだから・・・」と、自分のことしか考えてないのが露呈してましたが、なんで最近また文福の会員になってんの?
こんなスッカスカのシフト表を調整していた清水博史さんは、いったい文福の何に賛同しているのか?
川添夏来さん、これら清水からの愛情たっぷり💖のシフト表に対して、なんか弁明ありますか?