五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

熊粋祭行われる。

2010-11-03 18:43:54 | 五高の歴史
十一月二日 火 晴
十月三十日、三十一日そして開学記念日の十一月一日まで学生のお祭り熊粋祭が行われていたので、やはり昔の気分になり車での出勤をやめてバスで出勤した。

この熊粋祭が始まってもうかれこれ、二十年以上になるか、まだ俺が現役の時代、それまでの黒髪祭、これは学校の住所が黒髪町にあるので黒髪祭と言うことで行われていたのであったが、学園紛争の名残は依然として強く職員はその対応のためこの時期になると学生の対応を考え徹夜を覚悟しなければならない時代であった。学生は黒髪祭を告発祭として大学当局を告発するという趣旨でこくはつ祭と称していたであった

しかし学生の間でもこの告発祭に際して嫌気がさしたのであろうか、だんだんこの祭りを実行する学生もいなくなり黒髪祭は終演になってしまった。

一方この時期になると学生の祭りの火は消してならないという、数名の有志の学生が現れ、大学当局から承認された学生の祭りを創造しようということになり熊粋祭が始まったのであった。
当時の学生部委員会はこれを如何に学生の祭りとして育てていくか検討され、あれこれの事情を考慮して第一回の熊粋祭が開催されたのであった。

今日、車で出勤しなかったのは俺の時代から数年後まではバザー用の天幕が構内いたるところに張り巡らされ駐車場もない状態が続いたことが頭から抜けていなかったことがその原因であった。

しかし今朝の大学の構内ではまだバザー用のテントの撤去は行われていなかったが、構内は歴然と整理され外部からの車の進入は簡単にできる状態になっていた。

それは酒は飲まない、飲ませないという学生の気分が浸透したのか、夜は八時にはすべての催しものを終了するとか、変われば変わるものであるということを実感し感心した。